Chapter2

Our Territory

 ——半月前、テキサス州ダラス郊外


 セミの鳴く道路脇の並木道を、少女は大きな紙袋を抱えて歩く。明るい茶色ライトブラウンの髪は、青い星飾りが付いたカウボーイハットの下にいつも通り下ろしたまま。暑いのでデニムのホットパンツ一択だ。お気に入りのウェスタンブーツの踵を鳴らしながら、いつも行く三ブロック先のスーパーマーケットで買い物を済ませたところである。


 紙袋の中身は、ペカンナッツ、パイ生地、コーンシロップ、バニラアイス。溶けないようアイスだけは、保冷剤入りの袋に入れてもらった。


 自宅アパートメントの近くまで来れば、歩いているのは近所の人たちばかりになる。広い道路の端には常に誰かしらの車が停まっており、平屋が多い。


 通り過ぎたドアが開いた音がしたため振り返ると、理髪店主のラテン系アメリカ人が笑顔で片手を挙げていた。体付きの立派さにビビられがちだが、実は繊細で心優しい男だ。


「ちょうど良かったわ、ミア! これ持ってってくれない?」


 彼の喋り方は、優しいお姉さんふう。差し出されたのは紙袋に入ったオクラフライとタッパーに入ったポテトサラダだった。好物だ。


「ありがとうエド! あたしエドのお料理大好き!」

「ああっ! 今日も可愛いミア!」


 荷物ごとぎゅうっと抱き締められ、少女――ミアは抱き締め返せない代わりに頬をエドワードの頬にくっ付けた。


「んん~至福。今度お店にいらっしゃいね。毛先を整えてあげる。その方が綺麗に伸ばせるから」


 身体を離したエドワードに髪を撫でられた。優しい手のひらの感触が伝わってくる。


「はぁい!」

「うふふ、いい子」


 楽しそうなエドワードに笑みを返したミアは、ふと別方向からの視線を感じた。周りを見回すことはせず、エドワードの後ろにある窓ガラスに映った光景に目を留める。すると、向かいの通りに見かけない顔を複数見つけた。


 路地の陰に立っている者、向かいの店の窓際に座っている者、壁に背を預け、手元の携帯を弄っている者。彼らは、不自然にこちらを見ていない。まるで誰かに見つからないよう見張っているようだ。制服は着ていないが、おそらく警官に違いない。


 自分が見られているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。横に視線を動かすと、一人の青年がいた。何やら周囲を気にしながら店先に立っている。こちらも見ない顔だ。この暑いのにジッパー付きのジャケットを着て、ウェストバッグを付けている。


「エド、あのおにいさん知ってる?」

「え? あの子? 見たことないわね。挙動不審だわ」


 眉をひそめたエドワードが、彼に視線を向けた。青年が一瞬こちらを見たが、居心地悪そうに目を逸らし、足早に路地へと入っていく。きっと彼が向かいの警官たちに追われているのだ。コソ泥なのか、スリなのか、麻薬の売人か、はたまた暴行でもしたのか。何にせよ小物だという印象を受けた。


「エド、ありがと! また今度ね!」

「気を付けて帰るのよ!」

「はぁい!」


 ミアは荷物を一つの紙袋にまとめて抱えて歩き出す。ちらと向かい側の彼らを見ると、慌てたように動き出していた。どうやら彼らはこの辺りの地理に明るくないらしい。


 ミアはホットパンツの後ろポケットから携帯を取り出し、電話をかけた。ピンクのウサギストラップを愛でている間に、相手に繋がる。


「ねぇー、おバカさんが一人いるの。警官コップみたいなのが三人くらい追ってる。路地に入ったから、多分、あの人たちは見失うと思う。追っかけとくね。だって早く出ていってほしいし、警官コップにうろうろしてほしくないもん。……うん、わかった」


 通話を切り、ミアは青年が入った路地とは別の路地に入った。自宅アパートメント周辺はミアの庭だ。青年が入った路地は視覚的に右へと誘導される構造になっている。左へと続く道が店裏にある大きなダストボックスがほぼ塞いでいるからだ。彼がここに不慣れで慌てているのなら、必ず右側へと曲がるだろう。他にも昼から酒臭い連中がたむろしている場所もある。彼が避けそうな道はだいたいわかる。軽い足取りで、ミアは駆けた。


 数分後、ミアは青年を見つけていた。奥まった路地の壁に背を預けて座り込み、頭を抱えているようだ。ミアは靴音を鳴らしながら青年に近づき、慌てて顔を上げた彼の前にかがみこんだ。


「ねぇねぇ、おにいさん何してるのー?」


 壁に背を張り付けた青年の緊張が、急激に解けたことを感じた。警察ではないと安心したのだろう。青年が辺りをきょろきょろと見回し、視線を戻してきた。ミアは剣呑な眼差しを受け止める。


「……ここら辺の子供か?」

「んふふ、おにいさんからの質問には答えてあげないよ」

「ふざけてんのか?」


 目の前に拳銃を出された。胸元に隠し持っていたようだ。ただ、その扱い方が覚束ない。そう思っていると、銃口を向けられた。安全装置は掛けられたままだ。教えてはやらない。


「撃つの? それサイレンサー付いてないから、音で居場所バレちゃうよ。追われてるんでしょ」

「あいつら、近くまで来てるのか!?」

「ぽい人たちが通りにいたよ——わっ」


 Tシャツの胸元を掴まれて立たせられ、場所を交替させられた。背中を煉瓦の壁に押し付けられ、目の前に銃口が迫る。その向こうに見える青年の焦りに歪んだ顔を、ミアは見上げていた。視界が銃口と青年の顔だけなんていただけない。それにTシャツが伸びちゃうじゃないの、そんな力任せに掴んだら。


 その時、青年の横に光の玉が現れた。片手で包み込めるほどの大きさだ。ふわふわと揺れるそれは、円を描くように舞った。


「妖精さんだー」


 ミアはそれを見上げて笑う。


「なに笑ってやがる! おい! どこか隠れられる場所はないか? お前の家にしばらく居させろ」

「ぜったいイ・ヤ」

「このガキ!」

「だって、今日は誕生日会バースデーパーティをするんだもん。おにいさんたちはジャマなの!」


 そう言った時、青年の顔が強張こわばった。ぎこちない動きでTシャツの胸元から手が離れ、解放される。青年の陰から出ると、一人の男が青年の後頭部に拳銃の銃口を押し付けていた。白いタンクトップにデニムのジーンズだけで様になる引き締まった体躯の男は、ミアが待っていた通話の相手だ。


「リィ、おそーい」

「そう言うな。ちょうど炒めものをしていたんだ」


 暗い茶色ダークブラウンの髪を無造作に後ろで一つ結びにしているアンカースタイル髭の男――フェリクスに緑色の瞳グリーン・アイズを向けられ、ミアは彼の左側へと回った。彼は幼い頃に年の離れた兄に殴られたせいで右耳の聴力が弱くなっており、ほとんど聞こえないためだ。


 抱えたままだった紙袋を少し持ち上げて見せる。


「オクラフライとポテトサラダもらった!」

「でかしたぞ、付け合わせを作る手間が省けた」


 片方の口角を上げたフェリクスが片手で結束バンドを寄越してきたので、ミアはまず紙袋を大事に下ろしてから、固まっている青年から拳銃を奪った。彼のジャケット内に戻してやる。出所の分からない物は危険だ。


 フェリクスによってその場に膝をつかされた青年の両手首と両足首を縛る。転がされ、地面とキスしそうな体勢で青年がもがく様子が可笑おかしい。ミアはかがみこみ、青年の歪んだ顔を覗き込んだ。


「ねぇねぇ、おにいさんは何したのぉー?」

「な、なんなんだよお前ら! 俺はを売ってただけで……あ、なんだったら買ってくれよ! 安くしとく——アガッ」


 青年の顔が更に歪んだ。勢いよく彼の頭を踏みつけたのは、フェリクスの黒いショートブーツだ。メリメリという音は青年からしているのか、固い地面との摩擦で起きているのか。面白い。


「この辺りで麻薬ドラッグをばら撒くなよ。いいな? クソガキ。しばらくはムショの床を舐めてろ」


 そう言ったフェリクスが、青年の襟首を片手で掴んで引きずっていく。彼の拳銃は彼の腰ベルトの右側に固定されているヒップホルスターに仕舞われた。この辺りでは、フェリクスのように銃を露出して携帯していても問題ないのだ。


 ミアは紙袋を抱え、フェリクスについて行った。


 通りに近い場所まで来ると、青年は壁際に置かれた。足元で芋虫のようにもがいている。なんというか、諦めが悪くて元気な男だ。


「不良共より早く警察に見つけてもらえるといいな」

「ま、待ってくれよ! 俺、前にも捕まってて、今回マジでヤバいんだって!」

「あ、そうだー」

「え?」

「ねぇおにいさん、紙とペン持ってる?」


 ミアは青年の答えを聞く前に彼のウェストバックを開けると、小さなメモ帖と油性ペンを見つけた。メモを一枚千切り、ペンでウサギの絵を描く。吹き出しを付け、『Here you go!これどうぞ!』とつづった。


「えへへー」


 ミアはそれを青年の背中に置いてフェリクスを見上げた。目元を僅かに緩ませた大好きな顔が見下ろしてきている。


「おい、お前動くなよ。そのメモ落とすな。大事なメモだからな」

「ヒィっ、何書いてあるんだよ……!」

「後で見せてもらえ」


 立ち上がると、ひょいと紙袋を引き取られた。右腕で荷物を抱えたフェリクスから、左手を差し出される。骨ばった大きな手だ。その手を握ると、少し強く握り返された。


「怪我ないな?」

「大丈夫!」

「じゃあ、帰って料理を仕上げるのを手伝ってくれ。ナディアは店を閉めたら来るらしいぞ」

「アーニーも来るよね?」

「ああ」

「楽しみー!」


 皆で集まって食事をするのは楽しい。今夜はナディアの誕生日会バースデーパーティなのだ。

 ミアは足取り軽く、フェリクスに寄り添って自宅アパートメントへと向かった。


 

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