第2項 灰色の髪の少女

王都の片隅、細い路地の奥にある下宿で、竹中カヤは途方に暮れていた。兄も姉も軍需工場で働いているというのに、自分だけが行き場を失っている。


「働き口も見つけられないあんたなんか、もういらないのよ」


母の冷たい言葉が、耳底に沈殿したままだった。十六の春に、カヤは住む場所と家族を一度に失った。空を仰げば、自分の髪の色と同じ灰色の雲が流れていく。それは行き場を失った自分の姿のようでもあった。


細い路地を彷徨いながら、カヤは自分の前に開かれた狭い選択肢を見つめていた。街の暗がりでは、様々な事情を背負いながら身を賭して生きる女性達の姿があった。彼女達の生き方を責められる立場にはなかったが、カヤ自身の心は断固として拒んだ。自分の魂と身体だけは、どんな飢えや寒さにも屈せず、自らの意志で守り抜くと。傷つき、汚された心を抱えながらも、なお前を向こうとする固い決意が、彼女の瞳の奥に灯っていた。


そんな時、遠くから歓声が聞こえてきた。人々の熱気に導かれるように足を進めると、そこには王の衛兵の凱旋 行進パレードが繰り広げられていた。大半の部隊は既に通り過ぎた後だったが、カヤの目は、背が高く短い髪の女性に釘付けになった。


日が傾きかける空の下、規律正しく並ぶ兵士達を率いて進む分隊長・立花シグリッド。濃紺の燕尾服に身を包み、その隙間からときおり覗く同色の胴衣ベスト。首元に添えられた銀細工の留め金具が輝くポーラータイが、凛とした気配をより一層引き立てている。短く刈られた栗色の髪を風に揺らし、颯爽と進む彼女の姿は、古の物語に描かれた騎士の気高さと、王子の様な凛々しさを併せ持っていた。


女性でありながら、柔と剛が絶妙に調和した佇まい。まっすぐな眼差しには確かな強さがあり、それでいて時折見せる微笑みには人を魅了する不思議な優しさが宿っていた。


耳元で揺れる繊細な耳飾り、銀の鎖の先で黄玉トパーズが夕陽を受けて、まるで小さな太陽を宿したかのように輝いていた。黄金色の光が銀の鎖を伝い、シグリッドが歩くたびに優雅な軌跡を描く。それは貴族の女性が身につける装飾品というより、戦功を称える勲章のように感じられた。その黄玉トパーズの煌めきは、暗がりに佇むカヤの目にも鮮やかに映り、心を奪われていく自分が分かった。


そしてシグリッドの傍らには、まるで童話の姫君のような衛生兵の姿があった。筑紫エイル。柔らかな波打つ髪と優しい瞳を持つ彼女も、同じ濃紺の制服に身を包んでいた。シグリッドが刀なら、エイルは盾。一方が力強さを湛えるなら、もう一方は慈しみを宿す。相反するようでいて、互いを完璧に補い合う二人の姿に、カヤは言いようのない感情を覚えた。


シグリッドがエイルに向ける眼差しは、戦場の喧騒の中でさえ特別な柔らかさを持っていた。二人の間に流れる言葉にならない絆。それは長い時間をかけて育まれた、戦場で咲く一対の花のようでもあった。


これまでの人生で、カヤは誰かを見上げることなど、一度もなかった。信じられるのは自分だけと、固く心を閉ざしてきた。けれど、目の前の分隊長の姿は、そんな彼女の心の扉を、音もなく、だが確かに押し開けようとしていた。そして同時に、エイルを見守るシグリッドの優しさに、かつて自分が誰からも受け取ったことのない温もりを感じた。


思考が追いつく前に、体は動いていた。これまでの人生で初めて、感情が理性を追い越し、心が体を突き動かしていく。


足が勝手に動き、唇が震える。カヤは群衆を掻き分け、シグリッドに近付き、無意識に口が開いた。


「どうやったらそんなになれますか?一緒に戦えますか?」


自分でも思いもよらない言葉が、カヤの唇から溢れ出た。その瞬間、春の風が二人の間を吹き抜け、分隊長立花シグリッドが振り返る。


シグリッドの髪と耳飾りが揺れると同時に、カヤの灰色の髪が風になびいた。カヤの口から言葉が漏れた「綺麗...」


「綺麗な髪の色の面白い娘だね」


シグリッドは不思議そうに、しかし優しく微笑みながらそう言った。その言葉にカヤの胸が熱くなる。幼い頃から周りから「地味な灰色」と嘲られてきた彼女の髪。それが今、心惹かれた人から「綺麗」と評されたのだ。誰にも価値を見出されなかったカヤの一部分が、初めて肯定された瞬間だった。


シグリッドは鞄から一枚の紙を取り出すと、さらりと書き記して手渡した。「良いよ、一緒に戦おう」


『私の所に配属させて下さい。立花シグリッド』


その言葉を残し、シグリッドは再び前を向く。彼女の耳元で揺れる銀の鎖と黄玉トパーズが、夕陽に煌めきながら、カヤの心に深く刻まれていった。その耳飾りの意味も行く末も、カヤはまだ知る由もなかった。


シグリッドから受け取った一枚の走り書きを胸に、カヤは次の日の早朝、開庁時間と同時に王の衛兵 募兵所へと向かった。本当に受け入れてもらえるのか、もしかしたら気まぐれな戯れ言だったのではないか?そんな不安が胸をよぎる。だが、他に行く場所もない。震える手でその紙を差し出した時、係官の表情が変わったのを見て、ようやく安堵の息をついた。


「話は聞いていたよ。立花隊長の推薦とは...紋無しか。まずは洗礼を受けてもらう」


王の衛兵営舎内の礼拝堂で洗礼を受け、左手の甲に紋章が刻まれた時、カヤは初めて「存在を認められた」実感を得た。続く適性検査で二重適性者であることが判明した時の係官の驚きは、今でも覚えている。王の衛兵は季節ごとに新兵を募り、春に仮入隊した者たちは初夏の入隊式を待って正式な訓練に入る決まりだった。カヤもその例に漏れず、桜が散る頃から麦が実る頃まで、基礎体力の向上に励んだ。そして始まった三ヶ月間の新兵訓練。朝から晩まで続く厳しい鍛錬の日々も、シグリッド隊に入るという目標があれば耐えられた。

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