飛べない八咫烏

第6話 飛べない八咫烏(1)



 ここにやってきて二週間が経った。

 来た頃に満開だった桜は全て散ってしまい、枝からはまぶしいくらいに鮮やかな新芽が顔を覗かせようとしている。

「ふあ…………」

 不謹慎だとは思うが、朝の掃除をしながらのあくびが止まらない。

 同級生も私も、なぜか作業をする様な人間は夜にスイッチが入る人が多く、ほとんどが夜型だ。朝イチの授業なんて座学なら半分以上が船を漕いでいるし、欠席者も多い。

 神社での仕事はその真逆の生活サイクルだった。

 朝の五時ごろから起床し、開門、境内の清掃をして日供祭をしてから朝食となる。その分仕事が終わるのは早いが、結局次の日が早いし、そもそも早起きをしているのでそこまで長く起きていられずに寝てしまう。

 以前まで寝ていた時間に起床し、課題を始めていた時間にはもう寝ている。だいぶん慣れてきて、今は課題に追い詰められていないこともあり、久しぶりに健康的な生活をしている自覚があった。ご飯も美味しく三食食べられており、体の調子も心なしか良い。

 それでもまだ完全には慣れていなくて、朝はやっぱりあくびが出てしまう。せめて人に見せないように俯いてバレない様にしているので許して欲しい。

 多少絵が描けないことへの焦りはなくなったが、描かないならこれから先をどうするかという悩みはある。

 小さい頃から絵を描く仕事がしたかった。

 だから、ここに来て違う道を選択することになるとは思っていなかったので、絵を描く以外の仕事、となると全く見当がつかない。

 進路によっては学校に復学するか、別の学校に通うのかを考えなくてはならない。時間は有限だ。行先が見つからなくても時間は残酷に過ぎていく。

 自分の興味があること、好きなことを仕事にすることが当たり前だと思っていたが、そうじゃなくなるかもしれない。一体何を基準に将来やりたいことを見つければ良いのだろうか。

「おはよう」

 考え事をしながらシュロ箒で境内を掃き清めていると声をかけられて顔を上げる。本殿の階段を菊理様と白山が降りているところだった。

 菊理様はリードを手に持っていて、白山は危うげなく階段を降りていく。今から散歩に行くようだ。まだまだ春の季節のうちとはいえ、日中は少し日差しが強くなる時もある。

 白山は毛並みがもこもことしていて暑さに弱い犬種なので、涼しいうちに散歩をしたいらしい。

「おはようございます菊理様」

「難しい顔をしていたけど、大丈夫?」

 自分では一人で考え事をしていたので表情を出していた意識は全くなかったが、どうやら苦悩が滲んでいたらしい。

「あー……色々と考え事をしてまして……」

 当たり障りのないように答えると、菊理様は少し苦笑いを浮かべた。

「真面目なのは佐保のいいところだけれど、あまり考え過ぎない様にね。何事もやり過ぎは良くないから」

「はい……」

 見事に全部お見通しのようだ。

 グゥの音も出ないとはまさにこのことである。

「私で良ければいつでも話を聞くよ」

「あ、ありがとうございます」

 人に話せばスッキリするとかよく言うけど、私は後からなんであんなこと言っちゃったんだろう……と後悔で死にたくなるタイプだ。

 実際、この間の真藤動物病院での件の後、促されるまま話してしまったけれど、恥ずかしくてたまに思い出して叫び出したくなる。

 確かに、自分の思いを曝け出すことで解決したところもあるけれど、それとこれとは話が別だ。

 いつか誰かに話したくなった時はぜひ声を掛けさせて頂こうと思うが、それがいつになるのかは私にも全く分からない。

 散歩に行く菊理様と白山を見送ろうと、箒を持ったまま鳥居の近くまで歩いていく。

「ん?」

 鳥居近くの大きなクヌギの木の下に、動く黒い影が見える。

「……なんか、あそこ動いてません?」

「本当だ」

 菊理様と二人で恐る恐る近付くと、その動いている黒いものが生き物だと分かった。白山がその黒いものに鼻面を寄せる。

「鴉……?」

 クヌギの根元にいた黒いそれは、街でよく見かける鴉だった。

 鴉は翼が変な方向に折れており、素人目から見ても異常があるのが分かる。

「いや、違う。その子は普通の鴉じゃない」

 少し焦った様子の菊理様が地面に膝をつく。自分の来ていたパーカーを脱いで、鴉を包もうとしていた。

 鴉は菊理様の手から逃れようとギャアギャアと騒いで翼をばたつかせている。私もどうにか助太刀に入りたかったが、オロオロするばかりで全く助けにならなかった。

 威嚇する鴉を菊理様がなんとか捕獲して立ち上がる。視界を完全に覆っているからか、鴉はさっきまでの威勢の良さがなくなり、じっと菊理様に抱えられていた。

 鴉を包んだパーカーから脚が出ていたのだが、なぜかその脚が三本に見えて思わずギョッとした。どれだけ目を凝らしても脚が三本ある。

「この子は八咫烏だ」


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