第18話 國繁親子

 学校の廊下を歩いていた。風景から昔通っていた小学校だとすぐに分かった。

 僕は教室に入ると、そこには一気に靄が掛かっているようで、しかも、生徒は一人しかいない。

 即座に、小学三年で別れた初恋の國繁綾香だと分かった。

 彼女は泣いているようで、俯き加減で、両手で両目を擦りながら、左脇では彼女が好きな猫のぬいぐるみを抱えていた。

「どうしたの?」僕は聞いてみる。

 すると、彼女は両目を擦るのを止め、こちらに目を向けた。

「お前が、ストーカーをしたせいだ!」

 瞳からは血の涙を流し、恨みが募った顔つきで、そこには僕が知っている綾香ではなく、綾香に化けたケダモノでしかなかった。


「うわあああ」

 僕は思わず声を上げた。

 身体を起き上がると、辺りには暗闇に包まれていて、今が深夜であるのが分かった。

 ……そうだ。眠っていたのだ。停学処分を受けているので、外も出歩けない。そんな引きこもりの生活を送りながら、三日後、僕の情緒が不安定になってきたのか、悪夢を見たようだ。

 六月の梅雨の最中、寝苦しい毎日を打ち消すかのように、部屋に設置されているエアコンの重低音だけが聞こえている。

 着ているTシャツの汗がびっしょりかいているのがわかった。布団にくるまないと風邪を引きそうだった。

 激しい鼓動がしばらく続いていたので、僕は何度も深呼吸をしてリラックスをした。

 ――しかし、なぜ今になって綾香の夢を見たのだろう。

 何度もいうが彼女に対して、初恋そのものだった。内気な彼女だったが、優しく気が利く女性だった。何故彼女が転校する前日に僕は連絡を取らなかったのか、何度も後悔してしまう。

 でも、そんな國繁綾香も今生きていたのなら、母親譲りの美人な女性になっていたはずだ。

 あの日、僕が小学四年生の時、学校から帰ると自宅の電話が鳴りだした。 

 僕は母がいたが、真っ先に出た。その頃、僕は母親から自分がいるときは電話が鳴ったら積極的に受話器を取ることと言われたのだ。

 まあ、他人とやり取りをする勉強みたいなものだ。

 電話の相手は綾香の母親だった。転校してから音沙汰がなかった。

「もしもし、あ、祐一君。久しぶり。お母さんいる?」

「いるよ。ちょっと待って」

 僕は素直に母に変わった。いつもなら綾香の母親は僕に多少の話をするのだが、突如変わることに違和感を覚えた。

「もしもし、綾香ちゃんのお母さん。久しぶりね。どうしたの?」

 その後、綾香の母親が何かを語った時に、一気に母の顔が強張り、やがて愕然としていた。僕は綾香に何かあったんだとすぐに悟った。

 その後に、彼女は亡くなったと聞かされた。死因は自殺だという。

 その日の夜は、長永家でも葬式の晩御飯になった。僕らは一言喋ってはまた黙った。

 僕は食べ物もそうだったし、中々事態が呑み込めなかった。一体彼女に何を苦しめさせられたのだろう。

 翌日、僕らは葬式に参加をした。棺桶に綾香が眠っているように目を閉じていた。今にも目を覚まして、僕を見てくれるのではないかと思った。

 彼女は自分が履いていた靴の紐で首を絞めたようだ。何度か試みたのか首元に何本かの跡があった。

 葬式が終わり、その後僕らは綾香の母親の自宅にて、彼女と僕ら二人呼ばれ、三人でお茶を飲んだ時に綾香の母親から信じられない言葉を聞かされた。

「綾香は、イジメられてたの……」

 飲んでいた湯呑を力いっぱい握りしめ、怒りを露わにして彼女は言った。

「イジメなんて……。そんな……」

 母は、目を疑っていた。しかし、僕は“自殺”と言葉を聞かされた時、イジメの可能性も考えていた。

「絶対に許さない。私の可愛い綾香を殺した生徒を……」

「イジメた子は、誰か知ってるの?」

 母は少し震えながら話した。もちろんこんなやり取りをするなんて、緊張感が走るが、それ以上に綾香の母親の目が血走っているのが恐ろしかった。

 結局綾香の母親はそれ以上、恨んだ相手の名前を言うことはなかった。僕の母は暫く彼女と連絡を取った。綾香が生きていた彼女は本当に温厚で優しかったので、何とか元の彼女に戻って欲しいと願ってのことだった。

 でも、母の杞憂とはよそに、綾香の母親は徐々に恨んだ生徒のことを許したのか、それとも気を使っているのか、次第にイジメや綾香の話題をしなくなった。

「また、困ったら電話してね」

 綾香の母親は趣味でダンススクールに通い、そこで何人かの友人を作ったようで、僕の母は距離も関係の遠さもあり、彼女と離れることにした。

 それから、綾香の母親はどうなったのかは分からない。彼女の夫と楽しく暮らしているのだろうか。

 僕は悪夢を見た次の日に、隈埜小秋にストーカー行為をしてやり取りしづらくなった母親に対して、唐突に今朝の悪夢の話をした後、綾香の母親のことを聞いた。

 すると、案の定、母は驚いた様子で、

「どうしたの? いきなり?」

「いや、何となく急に興味が湧いてきて……」

「私も知らないわよ」と、彼女は僕が積極的にコミュニケーションを取ったことに思わずニヤついていた。「あなたは綾香ちゃんが好きだったもんね」

 僕はきつい口調で言った。

「そんなんじゃないよ。ただ、自分の子供を失うって相当苦しいだろうと思ったからさ」

「まあね。そりゃあ、祐一がいなくなってしまったら、私も発狂しそうになるもの。真奈美ちゃんがああいう気持ちになるのも無理ないわよ」

 確か、綾香の母親は真奈美という名前だった。五十一になる僕の母よりもひと回りほど年齢が若く、いつも相談役だった。そんな年の離れた人にどうして意気投合で来たのか不思議である。

「もう連絡も取ってないの?」と、僕は居間にある食卓の椅子に座り、母に聞く。

「そうね。いっても年齢も近くないし、真奈美ちゃんもダンス教室で同年代の子たちと仲良くなったって言ってたから……」

「ふーん」

 僕は母が作ってくれた、ホットミルクが入った白いティーカップを口付けた。

 すると、母はニヤッと笑った。

「まあ、綾香ちゃんも可愛かったけど、真奈美ちゃんも可愛かったからね。しかも二人ともぬいぐるみが好きだったから……」

「へえ、綾香ちゃんのお母さんもぬいぐるみ好きだったの? 意外!」

 と、僕は言ったのだが、よくよく考えてみると、綾香の母親も小柄で年齢以上に若く見える。当時は大学生に見えても可笑しくはなかった。

「そうよ。一回真奈美ちゃんのぬいぐるみコレクションを見たけど、凄かったわ。クマのぬいぐるみや綾香ちゃんと同じ猫のぬいぐるみ。それに、人形も持ってたのよ」

「人形?」

「ひな祭り人形とか、昔の職人さんが作る骨董品の人形よ」

「へえ」

「それに、彼女は手先も器用だったから、自分で作ったのもコレクションにしてたし、私にもくれたしね」

「へえ、それってどこにあるの?」

「ほら、そこの置時計の隣にあるじゃない。ピノキオみたいな帽子被った」

 母の言うとおり、居間の置時計のタンスの上に帽子を被って鼻を高くしたぬいぐるみがあった。母が言ったようにピノキオのようだった。しかし口はなく、至って可愛らしいぬいぐるみだった。

「ああ、あれって綾香ちゃんのお母さんが作ったの? 凄く上手いな」

「そうよ。あの子が学生時代に手芸部に入って、上手くなったらしいわよ。よく出来てるでしょ?」

 國繁親子は見た目からして可愛らしい趣味があるのだなと、僕は温かい気持ちになった。

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