第2話 アナタなんかにこれ以上、伯爵夫人を名乗ってもらいたくないわぁ。

 私が嫁いだグリアーノ伯爵家は、代々、武勇で名を馳せた家柄であった。

 隣国に近接する辺境とはいえ、王国随一の広大な領土を有する。

 それゆえ、誰からも裕福と思われていた。

 が、領主館の住人となった途端、じつは財政的に逼迫ひっぱくしており、厳しい領国運営をいられていることがわかった。


 幸いと言ってはなんだが、先代領主の戦死と、子飼い騎士団の壊滅を受け、国王陛下の命により、軍役は当分、免除されることになっていた。

 とはいえ、今までの戦費をまかなうだけで、相当、無理がたたっていた。

 年貢や課税の割合はすでに限界まで高くなっており、領国債を乱発してなんとかしのいでいる現状であった。

 さらに天候不順による作物の不作と家畜の疫病が重なり、慎重に流通を統制し、相場を安定させないと、飢饉になりかねないありさまだった。


 敗戦国内での領国経営は、まさにいばらの道である。

 でも、愛があるからと、私は頑張ると決心した。


 夫となったアレックス伯爵様に、私は念を押した。


「アレックス様。貴方様はお優しい。

 ですが、領地を治めるにはそれだけでは足りません。

 的確な判断力、そして何より、強い意志が必要です。

 領主ともなれば、一度決めた判断を撤回することはなかなかにできません。

 ですので、判断する前に、良く熟考なさいませ」


 夫は鷹揚おうように構える。


「わかった、わかった。

 タリア、そなたは心配性だな。

 心配要らぬ。

 戦場でも豪胆であった父上様が、我らを天から見そなわして、まもってくださる。

 何百人もの敵勢を血に染めた、父の剛腕がな」


 一族の虚名にすがるようでは、先が思いやられる。

 私は夫に現実を突きつけた。


「その剛腕も、すでにこの世にはございません。

 これからは私たちが、父上様に成り代わって、剛腕を振るわなければならないのです」


 目を丸くしてから、アレックスは気弱そうに笑った。


「はあ。剛腕か。皮肉なことを言う。

 余がこれから成すことは金策であろう?

 剛腕を振るうどころか、みっともなく頭を下げることばかりではないか」


 私は夫に抱きつきながら、耳元でささやいた。


「財政を立て直すために、必要なことなのです。

 なにより、今後の食糧不足に備えて、領民を飢えさせないため。

 彼らの訴えによく耳を傾けてください」


「わかった、わかった」


 夫には領主として領内を巡回してもらい、領民の陳情に耳を傾けてもらう。

 その一方で、教会や親戚筋の伝手つてを頼って、資金繰りにいそしんでもらう。


 その間、夫の留守を守って、私が政務を代行した。


 先の敗戦で多くの働き手を失ったが、それ以上に農地の荒廃が進んでいた。

 これを食い止めなければならない。

 そして、戦災により労働力が減ってしまったが、農業生産力を維持・増強しなければならない。

 そのためには、二毛作や牛馬の積極利用など、様々な農業改革が必要だ。


 数々の案件が山積みであったが、なんとかこなしていけた。

 それもこれも、夫と長く政務に取り組んできた家令ダミアンが優秀だったおかげだ。

 私は彼と一緒に、殖産興業と農地開墾の推進に取り組んだ。


 ある日、家令ダミアンが、私に進言した。


「これから様々な分野で、経費削減をしていく所存です。

 ですが、なればこそ、既得権益を保持する者たちからの強い反発が予想されます。

 ですので、まずは上のものから模範となる行動を示さなくては」


「わかりました。領主家として、強い心構えを見せれば良いんですね」


 私は家令の進言を受け入れた。


 さっそく私は、お義母様と義妹にお願いした。

 毎週開催されるティーパーティーを、月に一度に変更すること。

 その際、ケーキを五種類作り、余ったら捨てることを繰り返していたが、それは経費の無駄だから、一種類のみケーキを焼いて、決して捨てないことにした。

 また、当面の間、舞踏会を開かないことに決した。

 さらに、どのような会合においても、着用するドレスや宝飾品も質素なものに限定し、頻繁に買い替えるのをいましめた。

 伯爵家お抱えの料理人コックも五人から二人に変更した。

 極め付けは、湖畔こはんにある巨大別荘の売却である。


「あの別荘は、先代領主様ご愛用の居宅なのですよ!」


 とお義母様が激しく反対した。

 が、家令と共に、なんとか押し切った。


 これで当分の間、資金が調達できる。

 おかげで、食糧の備蓄を進める飢饉対策が進展する目処めどがついた。


 順調に事が運んでいるーーそう思えたときのことであった。

 突如として、異変が起こったのは。


 一緒になって経費削減を進めてきた家令ダミアンが、失踪してしまったのだ。


 優秀な家令が、朝の会合に出席しない。

 いぶかしく思っていたら、本格的に行方不明になったと判明した。

 私は親指の爪を噛んだ。


(明後日には、夫のアレックスが巡回を終えて帰宅するというのに……)


 せっかく進んでいた改革も、先導役を失ってしまう。

 他の事業計画を放り出して、私は伯爵夫人として家臣たちに対し、命を下した。


「一刻も早く、家令ダミアンを捜索なさい。

 これは単なる事故ではありません。

 なんらかの事件に巻き込まれた可能性があります」


 大勢の家臣たちや、領民を動員した。

 にも関わらず、一向にダミアンは見つからなかった。


 そして、家令の捜索開始から一昼夜を経た、深夜ーー。


 私、伯爵夫人タリア・グリアーノは、ヘトヘトになった身体を鞭打って、領主館に帰還した。


 そのときである。


 自室に入ると、いきなり大勢の黒尽くめの男どもによって床に押し倒されてしまった。


「キャアアア!」


 私は叫び声をあげ、手足をジタバタさせて抵抗を試みたが、無駄だった。

 多勢に無勢。

 力尽くで、床に叩きつけられた。


「いたっ!」


 身体に痛みを覚え、悲鳴をあげる。

 内心では、(しまった!)と舌打ちした。


 たしかに、いつもと様子が違っていた。

 いつもなら、私の帰宅を二名の侍女が待ち構えていて、服を着替えさせてくれたり、軽食と飲み物を持ってきてくれる。

 だが、今日は自室前に誰もいなかった。


 もっと警戒すべきだった。

 でも、まさか、自宅屋敷、それも自室内で暴漢に襲われるとは想定できるはずもない。


(いったい、なにが起こったの? ここは屋敷内ですのよ!?)


 私は男どものなすがままに、押し倒されてしまった。


◇◇◇


「お母様なんですの? こんな夜更けに」


 二階の自室で、半分、寝かかっていたのを、伯爵家令嬢のミアは母親に起こされた。

 天蓋付きのベッドで半身を起こした娘に、伯爵夫人ドロネスは誘いかけた。


「面白いものを見せてあげるわ」


 ドロネスはニタリと笑う。


「あなたも言っていたでしょう?

 あの家庭教師の、取り澄ました顔がぐちゃぐちゃに崩れるのを見てみたいと」


 自分の息子アレックス伯爵の許に嫁いだ結果、タリアは正式に伯爵夫人となっているのに、ドロネスは相変わらずタリアを「家庭教師」と呼び続けていた。

 娘のミアは跳ね起きた。


「なに、なに? なにがあるの?」


 ミアは習い事が大嫌いだった。

 だから、自分を教育しようとするタリアが嫌いだった。

 今では家庭教師ではなく、お義姉様=伯爵夫人となって、自分にあまり構わなくなった。

 それでも、タリアが伯爵夫人となってからは、伯爵家全体が質素倹約をいられることとなり、贅沢好きなミアは正直、ウンザリしていた。


(あの、いつも澄まし顔のタリアが、顔をぐちゃぐちゃにする?

 そんなこと、あるのかしら?)


 ミアは好奇心で目を輝かせる。


「静かにして、ついてきなさい」


 母娘おやこで、真っ暗な廊下を歩き、階段を降りる。


「侍女や執事がおりませんよ?」


 娘が周囲を見回すが、母親は背筋を伸ばしたまま平然と歩く。


「みなに暇をあげたのです」


 階段を降りると、騒がしい音がした。

 廊下の奥には、あかりがついていた。


 やがて、キャアアアという女性の叫び声が聞こえてくる。

 そして、ガタゴトとした激しい物音ーー。


「何があったのかしら?

 執事も侍女もいなくて、大丈夫?

 まさか、盗賊……」


 ミラはひたすらに自分の身を案じて、生唾を呑み込む。

 母のドロネスはバサッと扇を広げる。


「おほほほ。心配は要らないわ。私が雇った者どもですよ」


「どちらへ向かわれてるのです?」


「決まってるでしょう。あの家庭教師の部屋です」


 行き先の部屋では、ドアが開いていた。

 明かりは、この部屋から漏れていた。


 ドアの陰からミアが覗くと、ちょうどお義姉様タリアが手足を固定され、男にのしかかられているところだった。


「まぁ!」


 口に手を当てて、ミアは顔を真っ赤にする。

 ドロネスは冷たい視線を暴行現場に向けたままで語った。


「あなたには、まだちょっと早かったかしら。

 でも、見なさい。あれが大人の男女の営みです。

 あらあら。

 さすが、裏街に巣食う下郎どもですね。

 ケダモノのように激しいわ。

 ほほほほ。

 容赦なく女の頬を殴って、髪の毛を引っ張ってーーまるで猫の交尾ですよ」


 ドロネスとミアの母娘は、二人揃って目を爛々と輝かせる。


 やがて静まり返った。

 暴漢どもが楽しみ終えたようであった。

 ここで、ようやくドロネスは部屋の中へ足を踏み出す。


「トドメを刺すとしましょうか。

 あの家庭教師を我が家から追い出し、本来の伯爵家に戻るのですよ」


 喜色満面の表情で娘が駆け慕いつつ、母親に問いかける。


「ホント!? だったら、毎週ティーパーティーをやっても?」


「もちろん、いいわよ」


「舞踏会を開いても?」


「すぐに開けるようになりますよ。アレがいなくなれば」


「わあ、素敵! ワタシ、タリアお義姉様のこと、苦手だったのよね」


 暴漢の一人が、雇い主のドロネスの気配に気づき、振り向いて頭を下げる。

 ドロネスはズイッと前に出る。

 彼女の足下では、タリアが衣服を裂かれ、全裸で横たわっていた。

 乳房もあらわになり、下半身まで覆い隠すものがなにもない状態であった。

 タリアの両眼は腫れあがり、唇は切れて血が滲んでいた。


 ドロネスの心中に、笑いが込み上げる。

 ふと隣を見れば、ミアも興味深そうにタリアのあられもない姿を見据えている。

 さすがに淑女としてはしたないと思ってか、口許のほころびを扇子で隠していたが。


 ドロネスは意気揚々と言い放った。


「あらあら。やはり、こんな下賤げせんな者どもに蹂躙じゅうりんされてよろこぶような女でしたか。

 アナタなんかにこれ以上、伯爵夫人を名乗ってもらいたくないわぁ」


 虚脱したタリアの顔を見るのが心地良い。

 しかも、これから我が家から追い出せるとなれば、なおのことだ。

 ドロネスは胸を張り、勝ち誇った。


「息子がこの嫁をめとってから、わが伯爵家では悪いことばかり起きてるわ。

 でも、そうねえ……とにかくお金が必要みたいだから、この下衆な女の身体で存分に稼がせてちょうだい。

 もちろん、上がりは私たち、真の伯爵家の者がすべていただくけど。

 おほほほほ」


 ドロネスの命令に従い、五、六人の男どもが、タリアの身体を担ぎ上げる。

 タリアは呆然自失の状態で、黙ったままであった。

 そのまま館の裏口へと運び出されていった。

 裏口には馬車を停め、待たせてある。

 御者には、向かうべき場所もすでに知らせてあった。

 悪巧みにおいては、誰にも引けを取らないという自負が、ドロネスにはあった。


「おほほほ!」


 ドロネスは扇子を広げて哄笑した。


 かくして、ドロネスの暗い企みはうまくいき、伯爵夫人タリアは伯爵家から追い出されてしまったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る