怪異無双Ep.2 視えない女と、憑かれた女と、ぼやく男(後編)


十円玉が不気味に震え、指先から軋むような音が響いた。

「コインから指を離して!」

 五十嵐先輩の鋭い叫びが部室に響く。


「京子さん、どうしたの?」

 谷口さんが心配そうに身を乗り出し、京子の肩に触れようとした瞬間――。


 どろりとした瘴気が一気に吹き出した。

「きゃっ――!」

 谷口さんの身体が、まるで紙切れのように宙を舞い、机へと叩きつけられる。


「谷口さん!」

 駆け寄ろうとした五十嵐先輩も巻き込まれ、衝撃に弾かれて床へと転がった。


 谷口さんは小さく呻き声を上げたあと、意識を手放したように静かに動かなくなる。

 残されたのは、不気味に笑みを浮かべたままの京子――そして、部室全体を呑み込む黒い気配だった。


部室に吹き荒れる瘴気。

京子の体を通じて現れた“それ”は、もはや人ではなかった。


『……もう、あれは普通の人間じゃない』

声が割って入った。


着流し姿の長身の男──月白守。

次の瞬間、風が巻き上がり、衣がほどける。

白と藍の狩衣が顕れ、腰の刀が淡い光を放つ。烏帽子の影が瞳を鋭く縁どる。


『小夜、危険だから下がっていろ』


「――遅い!」

小夜の声が鋭く飛ぶ。


月白守は小さく肩をすくめただけで、すぐに印を切り、詠唱へと入った。


足元に式陣が走る。

月白守は両手を広げ、印を結びながら低く詠唱を始めた。


『天地の理よ──此処に降り立ち、闇を裂け……』


結界の光が膨れ上がり、刀に白い炎が宿る。

五十嵐先輩は硬直しながらも、その姿を確かに"視て"いた。

(……小夜さんに、こんな守護霊が……)


月白守が、詠唱の最後の節を口にしようとした――


──「ぴん!」


……音が、響いた。

全員の時が、止まった。


月白守の刃も、怪異の蠢きも、五十嵐先輩の呼吸すらも。

ただ一人、小夜だけが、ため息をついていた。

「……はー……またアンタは。結局こうなるんだから」


額に指先をあて、京子を軽く弾いた。

音の正体は、それだった。


“怪異”の笑みが、そこで崩れた。

ぐにゃりと歪んだ影が後方へ吹き飛び、壁に叩きつけられて煙のように散っていく。


……だが、まだ黒いもやの残骸が壁際にまとわりついていた。

月白守はちらりとそれを睨むと、ため息をひとつ。

刀に手をかけることもなく、伸ばした片手でぐしゃりと握り潰した。


沈黙。


先に動いたのは五十嵐先輩だった。

深く息を吐き、小さく微笑んで──「……お疲れさまでした」


谷口さんが気を失ったまま横たわり、室内に残ったのは緊張の残滓だけ。


月白守は刀を収め、額に手をあて、ぼそりと。


『……大仕掛けしたわりに、やったのこれだけかよ……』


視えもしないその嘆きだけが、薄暗い部室に虚しく残った。


◆【完】

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