#6 エグレアの指輪  歪な指輪

 人通りの多い、その一つ向こうにある古びた家屋。石畳を赤く染める夕陽が、アンナの店に差し込んできた。


 今日は……いや、今日も誰もこないようだ。


 老婆の振りはもうすぐ終わる。扉の木札を閉店にするため、アンナは扉の前に立ち、ほうきを土壁に立てかけた。店の前で掃き掃除をするために低い位置で髪を束ねる。たまにしか客がこない寂れた店の店主――アンナは、憂いを帯びた表情を浮かべた。木札に触れたところで、背後に気配を感じた。

 

「て、店主のアンナさんですか……?」


 ゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはアンナよりほんの少し若い青年が立っていた。髪の毛は緩やかなパーマで、眼に見えてわかるほどのはっきりとした赤毛。マントと長剣を携えた、そばかす顔の優男やさおとこだった。二十歳前後だろう、まだ少年めいた印象の伏し目がちな視線は頼りなさそうに見える。


「ええ」


「僕はラナスです。ここから離れた街で噂を聞いたんです。この街に目利きのアンナという老婆の魔道具屋があったと――眉唾でしたが本当にあるとは――それなら……簡単に」


 なまりがない旅人の風体だ。

 しかしなにか――なにか、感じる気持ちの悪い魔力がある。


 アンナは違和感の正体を探す。 


 服の質感は、長旅の冒険者には不似合いなほど上等な仕立て。無駄に豪奢ごうしゃな飾りの剣。飾りの様子から通常よりもさらに切れる魔剣であることは想像できた。

  

「……ひとまず暗くなってきましたし、中に入って話をしましょう。見たところ、あなたはを持ってきてますね。その話も」


 滲み出る強力な魔力、さらに……違和感の正体はまだつかめない。アンナの提案に、ラナスは肩をびくつかせた。演技めいた仕草。靴には金の細工が埋め込まれ、マントの縁取りも贅沢な刺繍。所々から成金趣味を覗かせていた。


 夕暮れ時の店内は薄暗い。店内に入るとアンナは幻燈魔法で灯りをつけ、店内の広い机の上にあった海図とコンパスをさっと手でどかした。足元に気をつけつつ察したラナスは、右手全体に巻かれた包帯へと手をかける。黒い指輪をはめていて、包帯を取りづらしくしていた。指輪を抜けばいい話なのだがとアンナは思ったが、事情があるかもと口を開かず待った。


「ああ……失礼。暗いと手元がおぼつかなくて。実は僕、庶民的な店にはぜんぜん慣れなくて……」


 あはは、と笑いながら小声で付け加える。まるで高貴な育ちだといいたげに。丁寧なつもりなのだろうか、かえって違和感を抱く一言にも思える。

 

 するすると腕にまくっていた包帯がとかれていく。すると、腕に黒いシミがみえてきた。だんだんと包帯が取れていくにつれ、現れたのは歪んだ女の顔であることがわかった。

 

 痣だ。

 右腕全体に広がった女の顔に見える痣。

 歪んだ顔は笑っているようにも泣いているようにも見える。

 今この瞬間に悲鳴をあげても可笑しくないという女の……。


 女の瞳の部分は、黒と紫の半々の色合い。まるで視線を返してきているかのようだった。アンナが一歩後ずさると、笑い声が残響ざんきょうしたような気分になる。この場で誰一人として発していない女の声が聞こえるような。


 あまりの禍々まがまがしさに、アンナはごくりと唾を呑んだ。

 

「これは……? ええと、でも痣というより、魔力そのものは指輪から感じます。指輪の魔力が腕に流れ、それが腕に反映されているのでは……?」


「ええ、僕も指輪が元凶だと思います。もしかして、何か知ってますか? ……さして大きくもない街のおばあさんじゃ無理かなと思ったけど、念のため来てよかった」

 

 まただ。弱々しい声音に潜む、どこか上から目線の響き。

 

「いえ、初見です。ただ処置するには……」


 不穏な空気にためらった。すぐに受けていいのか、この客は断った方がいいのか……。


「あなたさまの知っていることについて、どうか詳しく話をしていただけますか」


「どこから話せば……とにかく、この指輪は亡くなった母の遺品です。とむらった後に……指から抜けた大切な指輪で……ええ、形見ですね。生前、手紙で教えてくれました。持っていると良い事が起こるから……と。でも、つけたその日から……逆に、周りで良くないことが起こってしまうんです」


「良くないこととは?」


「ええと、直後に財布を拾って届けました。でも、帰宅途中で持ち主が死んだと報告があり、財布含めた所有物はまるごと僕のものに。その数日後に馬車が目の前で倒れて、人が大けがをしまして、助けたら感謝のしるしに高額の金銭をもらったんです。一度ならず二度までも、不幸が起こると僕に幸福が――で流石に気持ち悪いなと思って」

 

 エルデンは自身の指輪を眺めた。

 

「そう思った直後、痣が濃くなっていることに気が付きました。そう、不幸が起こり僕に幸福が訪れる、んだと。そんなことが何度も続きすぎて、いよいよ変だと思ってた時に、机の引き出しから姉の日記を見つけたんです。『指輪を処分しろ』と。でも指輪は外せない、それどころか痣は広がって、顔が浮き出てくる。だんだんと気味が悪くなってきて――。なのに、どこもみてもらえなくて」


 ラナスが話を進めるたびに女の痣が笑ったり歪んだりを繰り返している、まるで話をあざ笑うかのように。アンナは息を呑んだ。


 本当ならば助けたい、だがずっと、指輪はずっと赤く光り続けている。


 何かが嘘である証拠だ。


――これまでの話全てか。

  嘘は、一部だけなのか。


 気弱に見せていた表情の奥に、一瞬だけ覗いたラナスの不気味なわらい。いや、光の加減かもしれない――。でも、指輪の赤、気弱な男が一瞬だけ見せる不気味な笑み、すべて違和感ばかりだ。


 アンナは迷った。

 でも、この人物は……にじみでている。

 信じてはいけない人間らしさの要素ばかりがそこかしこに。


「……ええと、形見ですか」

「ええ、姉の形見です」


 ……アンナは指輪と男を交互に見る。


 『助けたい』と『直感を信じろ』が、胸の中で揺らぐ。魔道具も人も見誤ると何が起こるかわからない。そうでなくとも持ち込まれる魔道具すらアンナに牙を向けてくる。


「それならば、最初から……本当のことを教えてください」


「本当のこと? さきほど話したじゃないですか事実です」


 指輪はひときわ赤く光る。


「いっていることが、おかしいのです……」


ラナスの目つきが鋭くなった。本能は警笛を鳴らしている。同調するようにラナスは薄く笑って肩を揺らした。視線を外し、アンナは小さく防御魔法を唱えた。


「はっ、ごちゃごちゃとうるせえなぁ……!」


 同時に詠唱完了し防御魔法が発動し、反応するように声を荒げた。


「ずいぶんと警戒されてるな。さきほどの話じゃ不満かぁ? ふざけやがって! お前が客を選べる立場かよ?」


 声音は、さきほどまでの気弱で柔らかい青年のものではなかった。急に低く、腹の底から響くような冷ややかさが宿る。


「ふん……やっぱり婆ァはうまく取り扱えねえな。なあ、時間がねぇんだ。こっちは大枚はたいてわざわざこんな辺鄙へんぴなところまで旅をしてきてやったんだぞ? いまの俺の時間は金よりも価値があるのにな。お前みたいな老婆より俺のように若いのが大事だろう? 世間も。そう、生かすなら老人でなく若者。なあ、婆ァ、お前もそう思わねえか?」


 そばかす顔が、不気味に歪んでいく。眉が吊り上がり、浮かぶ表情はまるで痣の顔と同じように嗤っていた。アンナは数歩下がり、ラナスと距離を取った。


「信用できない方とのお取引はできません」


「取引? はは……なにを勘違いしてるんだ? きちんと対応するなら命くらいは助けてやらんでもないと思っていたが、もうやめた。俺はお願いしにきたんじゃない、お前に

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