第弐話


 その日は、なんとか事なきを得た。

 将司は何も疑うことなく、シャワーを浴びて降りてきた真梨と普段どおり夕食を摂り、その後ベッドで愛し合った。

 拓也と愛し合い、将司と愛し合った真梨は、満たされた気持ちのまま、夢の中へと落ちていった。


 あれから、拓也とは連絡が取れない。

 メールやチャットは証拠が残るので、真梨は絶対に使わない。この間も、女性タレントがチャットの会話履歴をリークされて不倫が発覚し、活動自粛に追い込まれたからだ。

 そのため、真梨はプリペイド携帯を使っているのだが、拓也が電話に出ることはなく、もちろん、向こうから掛かってくることもない。


「拓也、怒っちゃったのかしら。」

 真梨はそう独り言ちて、少し悲しい気持ちになった。

 いきなり旦那と鉢合わせしたら、誰だってもう二度と付き合いたくなくなるなと、真梨はそう思って、拓也のことは忘れようとした。


 真梨にとって、忘れることは簡単だ。これまでだって、数え切れない程の男たちと逢瀬を繰り返し、愛し合ってきたのだ。そのほとんどが、互いに素性も知らない間柄で、真梨の心に残っている者は、一握りしかいなかった。


 ただ、拓也は素性を知っている。なぜなら、以前真梨が出演するドラマのエキストラとして参加していた彼に声を掛けたのだから。

 普段は会社勤めをしているらしいが、時折エキストラの仕事をしているらしく、良い小遣い稼ぎになっていると、拓也は言っていた。

 そんな拓也だから、真梨は秘密を守ってくれるだろうと思い、安心して身を委ねたのだ。


 だが、そんな拓也が怒って帰ったのだとしたら、リークされる可能性は高くなる。真梨は心底不安に駆られたが、取り敢えず今のところ、拓也から不倫のことがリークされた話は出てきていないし、週刊誌から情報がでることはなかった。

 その辺りは、拓也も分かってくれているのだろうと、勝手に真梨は考えて、根拠のない安心感を覚えるのだった。


 そして、今日もまた、真梨は懲りずに別の男を自宅に連れ込んだのだ。

 今日の相手は、祐輔ゆうすけという、今真梨が主演を務めているドラマの脇役で、イケメンの部下として真梨に横恋慕する役を演じているアイドルである。

 祐輔は、今売り出し中の男性アイドルグループの一人で、歌や踊りはもちろん、芝居も出来るという触れ込みで、準主役級の脇役に抜擢されたのだ。


「旦那さんは大丈夫なんですか。」

 事が済んだ後、マッタリとした時間が流れる中、祐輔は真梨に尋ねた。

「大丈夫よ。ここのところ、夜遅くてなかなか帰ってこないから。」

 真梨はそう言って、祐輔の胸板にキスをする。

「それなら良いんですけど。僕、真梨さんとこんな関係になるなんて、夢みたいで、どうしてもネガティブな気持ちが沸いてくるんですよね。」

 祐輔はそう言って、不安をかき消そうとするかのように、真梨を抱き寄せ、唇にキスをする。

「そうね。不安な気持ちは分かるわ。私もこんな幸せがいつまで続くのか不安だもの。でも、そのために、靴も持って上がってるんだし、万が一彼が帰ってきたら、そこのクローゼットに取り敢えず隠れれば良いから。大丈夫よ。」

 真梨はそう言って祐輔を安心させる。祐輔には、万が一の時のシミュレーションをし、真梨がクローゼットを開けたら、逃げるようにと言い含めていた。

「真梨さんがそう言うなら。」

 祐輔はそう言って、再び真梨の身体をまさぐろうとしたその時だった。

 不安が的中したのだ。


「真梨、ただいま!」

 将司が突然帰宅したのだ。玄関の扉が開く音と共に、将司の声が聞こえてきた。

「お帰りなさい!」

 真梨は声を張り上げると、祐輔をシミュレーションどおり、クローゼットに行くよう促し、自分は散らばっている服を片っ端から身に着けて、ドレッサーで確認する。今日はシャツが後ろ前にはなっていない。乱れた髪を手でほぐすと、祐輔がクローゼットに隠れたのを確認して、寝室から階下へと降りていった。


「あなた、早かったのね。」

 真梨が、洗面所に立つ将司の背中から声を掛けた。

「ああ、ちょっと行き詰まってね。リフレッシュのために、早く切り上げてきたんだ。」

 将司が顔を洗いながら応える。

「そうなの。それは大変ね。お食事まだでしょ、用意してあるから、先に食べてて。私シャワーを浴びたいから。」

 真梨はそう言って、その場を離れようとする。


「なんだよ、一緒に食べてくれないのかよ。」

 洗面を終えた将司が後ろから真梨に抱きつき、甘えたように耳元で囁く。

「もう、くすぐったいから止めて。ヨガで汗掻いたのよ、汗臭い身体で食事はしたくないわ。」

 真梨はそう言って、将司の腕を振りほどこうとする。

「良いじゃないか。君の汗の匂いはとても魅力的なんだ。洗い流す必要なんてないさ。」

 将司がそう言って後ろから真梨の頬にキスをする。

「もう、あなたが良くても、私が嫌なの。」

 真梨は、将司の腕の中で、祐輔と愛し合って火照った身体が、再びうずき出すのを必死に堪え、どうにか将司から離れようと藻掻もがいた。


「それじゃ、私がシャワー浴び終わったら、一緒に食事にしましょ。それまで、リビングのソファーでテレビでも見ててよ。」

 漸く将司の腕から逃げられた真梨はそう言って、将司の唇にキスをして、二階へと逃げるように上がった。


 階下では、キッチンに行った将司が、冷蔵庫からビールか何かを取り出し、リビングへと向かう音がしていた。

 真梨は、聞き耳を立てて、それを確認すると、再び寝室に戻ってきた。


 寝室の扉を開けると、ベッドの下に祐輔のスニーカーが置いてあるのが見えた。

「もう、見つかったらどうするのよ。」

 真梨は祐輔のスニーカーを摘まみ上げ、クローゼットを開ける。


「あれ、祐輔、どこ行ったの。」

 クローゼットの中には誰もいなかった。拓也の時と同じだ。大きいとは言え、人の気配がなくなる程の巨大なクローゼットではない。そこに誰かが隠れているのならば、扉を開ければすぐに分かる筈である。

 一応、真梨は掛かっている服をどけながら、クローゼットの中をくまなく探すが、祐輔の姿は見当たらなかった。


「もう、裸足で帰ることないじゃない。これどうするのよ。」

 真梨は仕方ないので、手に持っている祐輔のスニーカーを紙袋に入れて、クローゼットに仕舞った。

「今度会ったら返さなきゃ。……とは言っても、大体どういう理由で返せば良いのよ。誰かに見られたら大変なのに。」

 真梨はブツクサ言いながらも、もう祐輔のことは気にもとめず、着替えを持って、シャワールームへと入っていった。


 そして、祐輔と逢瀬をしたあの日から数日が経った。


 あの日の翌日、ドラマの現場に祐輔が現れなかったことから、大騒ぎになり、穴が開いたとして、監督は大激怒をしていたが、どうやら、マネージャーも連絡が付かず、自宅に行っても、本人がいないことが分かり、失踪事件としてトップニュースとして取り上げられる程に大事おおごとになってしまっていた。


 真梨も、関係者として警察に事情を聞かれたが、もちろん知らないとだけ伝え、少し寂しそうな雰囲気を演じた。

 だが、内心、真梨は気が気では無かった。もし、祐輔が、夫と鉢合わせしたことに罪悪感を覚え、苦悩の果てに最悪の事態になっていたらと思うと、真梨は落ち着かなかった。


 しかし、いまだに祐輔の消息は分からないままで、いたずらに時間が過ぎていく。ドラマの脚本も大きく修正が加えられ、祐輔なしで話が進んでいった。


 世間では、祐輔の失踪を事務所のせいだとし、き使っていたとか、いじめがあったのではとか、何か事件に巻き込まれたのではとか、憶測が飛び交っていたが、祐輔が再び姿を見せることはなかったのだ。


 祐輔との逢瀬は、後味の悪いものとなってしまったが、真梨はそれでも懲りずに男を引っ張り込んでは、愛を確かめ合い、将司と鉢合わせした時は、クローゼットに男を隠して、事なきを得た。

 もちろん、鉢合わせしなければ、そのまま男たちは帰って行き、何度も逢瀬を繰り返したが、一度将司と鉢合わせし、クローゼットに隠れた男たちは、二度と真梨の前に現れることはなかったのだ。


 真梨は、皆そこまで深刻に考えることもないのに、などと脳天気に考えていたが、中には祐輔同様、失踪事件として扱われたという話を耳にすると、真梨はどこか空恐ろしくなり、不安な気持ちが拭えなかった。


 だが、それでも、真梨は男たちとの逢瀬を止められなかった。

 真梨にとってセックスは至上の喜びであり、幸福の象徴であり、心の渇きを癒やすオアシスのようなものであったからだ。



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