第3話 焦らないの、と母上が抱きしめてくる

 さらに一年の時が流れ、俺は8歳になった。しかし未だ魔術を撃てない。


 今日も今日とて魔鋼岩ヒヒイロカネの前で必死に魔術を絞り出す。しかし魔力の欠片さえ出る事は無い。


 どうしてだ。何故こんなに頑張っているのに出ないんだ。魔術の指南書に書いてあることは全て暗記したし、一通りやっている筈なのに。兄上の教えをちゃんと守っている筈なのに……。


「ベスティ! いい加減にしろ! ちゃんとやっているのか!」


 兄上に押し倒され、山土に塗れる。


「魔術を出せなければオットー家の血族ではないんだぞ!? 分かっているのか!?」


 今や14歳になった兄上は学業のほか、父上の傍らで領主や魔術師としての執務に励んでいる。魔石の管理に土壌や天候の操作、魔術の研究に加え領内の治安維持など、寝る間も惜しむほどの激務だ。本当は俺に割いている時間さえ惜しい。


 何よりオットー家は魔術至上主義で、父上がその典型例だ。その父に厳しく育てられてきた兄上もまた、魔術至上主義に染まりつつある。


 魔術を扱えなければ人にあらず。そう言いたげな顔で、俺を再度蹴るのだった。


(辛い……苦しい……)


 ベスティに生まれた時は才能や環境に恵まれたと思った。魔術を使える才能と、魔術師として最高の環境が揃った。


 それがどうだ。才能や環境を活かすことができず、不甲斐ない結果しか遺せていない。執事や使用人、遠戚の中から時折『一族の恥さらし』という声が聞こえる。そのたび心が抉られる。


 結局俺は前世から何も変わっていないのか。寧ろ才能や環境が無かった前世よりもひどいのかもしれない。


 ……いいや。


 俺は決めた筈だ。もう後悔はしない、と。


 『魔術騎士道』にも心得が書いてあったしな。逆境にこそ立ち向かい、かつ他者を愛する心持を努々忘れるなってね。


 疲弊している中、兄上は一日足りとて俺への指導を怠らなかった。なんて素晴らしい御人なのだろう。


 そんな兄上へ感謝を忘れてはならない。


「兄上、折角ご指導いただいているにも関わらず申し訳ありません。必ず兄上のようなオットー家に相応しい魔術師と成れるよう死力を尽くします。日々激務の中、私の為に時間を割いていただき、ありがとうございます」


 深々と頭を下げる。次に顔を上げると、兄上が何やら顔を赤らめて背けていた。


「いや……分かればいいんだ」


 そして鍛錬を再開する。陽が暮れて息が上がっても、流れている筈の魔力に訴えかける。


 兄上も時折執務や学業の為に屋敷へ帰りながら、ちょくちょく見に来てくれた。しかし三回目で母上も一緒になってやってきた。


「母上!?」


「ベスティ。今日は休憩にしましょう。そのままでは魔力よりも先に体力が尽きてしまうわ」


 気付けば月が真上にあって、満天の星空で満ちていた。どうやら夜になってからかなり時間が経ったらしい。


「ジーニアス、あなたも焦らないの。たった一人の弟なのよ」


「……母上、申し訳ありません」


「十中八九、お父さんが二人にプレッシャーを掛けたのね。あの人は魔術師であるかどうかしか頭にない人だから」


「しかし母上。魔術を放てなければ私はオットー家にいる意味がありません」


「いいえ。そんな事はありません」


 オットー家の理を、母上は即答で否定した。


「いい加減あの人には私から言っておきます。だからジーニアスも、ベスティも焦る事は無いのよ。貴方達のペースでいいのよ」


 俺だけでなく、兄上の肩も優しく叩く母上。昔から兄弟喧嘩があった時は、母上がこうやって仲裁に入ってくれていた。


 兄上も子供時代のような居た堪れない顔になって、俺に頭を下げる。


「ベスティ、ごめん」


「いいえ。兄上が自分の為に神経をすり減らしてまで指導してくれている事は分かっていますから」


 と俺が言うと、母上が口元を隠して笑い始める。


「そうだ、ビーフシチューを作ったのよ。あの人は今日も居ないみたいだし、三人で食べましょう」


「一番の好物です!」


「俺も……」


「でもベスティ。トマトもちゃんと食べるのよ」


「うぐ……」


 そして俺達は三人で帰り、家族水入らずでビーフシチューを食べた。俺達の好みに合わせて味付けされたそれは、きっとどんな一流シェフが作った絶品料理よりも美味しかったと思う。


 本当に俺は環境に恵まれた。こんなに身も心も綺麗で、全てを包み込むような母上の下に生まれたなんて。そして俺のことをちゃんと見てくれる兄上の弟として生まれたなんて。


 俺は絶対にこの才能と環境を無駄にしない。立派な魔術師になって、俺だけでなく母上や兄上を後悔させない生き方をして見せる。




 ……ただ数日後、母上は突如行方不明になった。

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