記憶の忘れ物保管所
記憶の忘れ物保管所
鉄道会社の忘れ物保管所は、忘れられた人々の記憶の墓場だ。
今日もまた、無数の傘、片方だけのイヤホン、読みかけの文庫本が、持ち主との再会を待っている。
小野寺明里(おのでら あかり)にとって、この仕事は単調そのものだった。流れ作業のように物品を仕分けし、番号を振り、棚に並べる。無機質な作業に、彼女の心は次第に冷えていくようだった。
そんなある日、明里は古い懐中時計を手に取った。
金属の冷たさと、ずっしりとした重み。
裏蓋には「永遠の愛を込めて」と小さな文字で刻まれている。
その瞬間、明里の視界が歪んだ。
「君との時間は、まるでこの時計の秒針のように、永遠に続くと思っていた」
老いた男性の声が聞こえる。次の瞬間、目の前に広がったのは、満開の桜並木だった。手を取り合う若い男女。男性は懐中時計を女性の首にかけている。二人の笑顔は、明里の心に鮮烈な光を放った。
ハッと我に返ると、明里の手には懐中時計が残されていた。まるで幻覚でも見ていたかのようだったが、手のひらに残る熱と、心臓のドキドキが、それが現実だったことを物語っていた。
それからというもの、彼女は様々な忘れ物に触れては、その持ち主の「記憶の欠片」を見るようになった。
色褪せた写真からは、家族の団らんの笑い声。
使い込まれた手帳からは、夢を追いかける若者の熱い想い。
明里は、忘れ物に宿る人々の人生の断片に触れ、時には胸を締めつけられ、時には温かい気持ちになった。
「君のその力は、まるで忘れ物を呼んでいるみたいだね」
声をかけてきたのは、ベテラン職員の佐々木(ささき)さんだった。いつもは口数が少ない彼が、珍しく穏やかな眼差しを向けている。明里は自分の能力について打ち明けるべきか迷ったが、佐々木さんは彼女の葛藤を見透かしたように続けた。
「昔、私にも君と同じ力を持っていた同僚がいたんだ。彼女はたくさんの忘れ物を持ち主の元へ届けた。でも、ある日突然、姿を消してしまった。きっと、記憶の重みに耐えられなくなったんだろう」
佐々木さんの言葉は、明里の胸に重くのしかかった。自分の能力は、いつか自分をも壊してしまうのだろうか。そんな不安を抱えながら、彼女は日々の業務をこなしていた。
ある夜、明里は小さなボロボロのぬいぐるみを見つけた。そのぬいぐるみに触れた瞬間、彼女は激しい衝撃に襲われた。
「お母さん、待ってて。必ず帰るから」
幼い女の子の声が聞こえる。場面は一変し、今度は大雨の中、一人で泣き続ける女の子の姿が見えた。彼女の視線の先には、線路を横切る母親らしき女性の後ろ姿。
「お母さん……行かないで!」
女の子の絶叫は、明里の耳に焼き付いた。そして、記憶は途切れた。
明里は震える手でぬいぐるみを握りしめた。
この記憶は、ただの断片ではない。何か、悲しい出来事と繋がっている。
そう直感した。
忘れ物の記録を調べると、持ち主は「高橋和美(たかはし かずみ)」という女性であることがわかった。彼女はぬいぐるみと一緒に、母親との別れの記憶を、あの忘れ物保管所に預けたのだ。
明里は、その記憶を頼りに高橋和美を探し始めた。手帳に残された住所を頼りに、彼女のアパートを訪ねた。玄関のドアを開けたのは、かつて少女だった和美だった。
「このぬいぐるみは、あなたのお母さんの忘れ物ですか?」
明里の言葉に、和美は驚いたように目を見開いた。彼女は語った。幼い頃、両親は喧嘩ばかりだったこと。ある日、雨の日に母親が家を出て行ってしまったこと。それ以来、母親を恨み、心を閉ざして生きてきたことを。
「でも、お母さんはあなたのことを愛していました」
明里は、ぬいぐるみに宿っていた記憶を和美に伝えた。母親は、決して和美を捨てたわけではなかった。
あの雨の日、母親は和美に何かを伝えようと、必死に線路を横切ろうとしていたのだ。
しかし、和美の絶叫を聞いて、彼女は線路から引き返し、和美を抱きしめた。その時、和美は恐怖で何も覚えていなかったが、母親の愛情は確かにそこにあったのだ。
「そんな……お母さんは、あの後すぐに事故で亡くなって……。だから、私はずっと、私が捨てられたんだと……」
和美は、明里の言葉を聞いて涙を流した。彼女は、長年抱えていた後悔と悲しみから解放されたようだった。明里は、和美にぬいぐるみを渡した。それは、母親との再会の象徴だった。
帰り道、明里の心は、これまでに感じたことのない温かさに満たされていた。忘れ物保管所の仕事は、単調な作業ではなかった。それは、人々の失われた繋がりを結びつけ、温かい奇跡を生み出す場所だったのだ。
明里は、これからもこの場所で働き続けるだろう。
そして、次に現れる忘れ物に宿る記憶の欠片に、そっと耳を傾けるのだ。
そこに、まだ救いを待つ誰かの「今」があるかもしれないから。
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