後編

美咲と触れ合うたび、僕のペンはより頻繁に宙を舞うようになった。

それはまるで、僕の感情のバロメーターのようだった。美咲が僕の質問に笑顔で答えてくれた時。


「わ、悠真くん、すごい! よくわかったよ、ありがとう!」


美咲がパッと笑顔になった。その瞬間、僕の心の中で喜びが弾け、ペンがキラキラと光を反射しながら、楽しげに小さく跳ねた。僕の感情が昂るほど、その動きは躍動的になる。


ペンだけでなく、消しゴムも、ノートの端も、机の上で小さく弾む。


けれど、彼女がクラスの別の男子生徒と楽しそうに話しているのを見た時、僕の胸には言いようのない焦りと嫉妬が広がった。


ある日の昼休み。

僕は自分の席で昼食をとっていた。


美咲は友達とおしゃべりしながら、楽しそうに笑っている。

その声を聞いているだけで、僕の心は満たされる。平和な昼休みのはずだった。


そこに、クラスの人気者であるバスケ部の田中がやってきた。彼は美咲の隣に立ち、少し身をかがめて、親しげに話しかけた。


「ねえ、美咲、この問題さ、ここってさ…」


田中が、美咲のノートを覗き込みながら、親しげに話しかける。美咲は楽しそうに笑い、彼の質問に答えている。二人の距離が近い。視界が歪む。胸の奥から、黒い感情が湧き上がる。


「やめろ…」


心の中で呟いた。

その瞬間、僕の机の上のシャーペンの芯が、「カタカタ」と不気味な音を立てながら勝手に伸び縮みする。芯が折れる寸前まで伸び、また引っ込む。


まるで僕の心の焦燥をそのまま映し出しているかのようだ。僕は焦ってシャーペンを掴むが、僕の感情の揺れは収まらず、シャーペンの芯は伸びたまま、「パキン」と乾いた音を立てて折れてしまった。折れた芯の破片が、僕の指先に刺さる。


「…っ」


「どうしたの、悠真くん?」


周りの生徒が、突然の音に驚き、僕の行動を不審に思い、視線が突き刺さる。美咲も、田中との会話を中断し、心配そうに僕を見つめていた。その視線が、僕には針のように痛かった。醜い感情を晒してしまった。


「ごめん…」


僕はただそれだけを呟き、折れたシャーペンの芯をゴミ箱へ。自分の不器用さに苛立つ。美咲との距離が縮まらない現実に苦しむ。


「どうして、こんな時に限って、こんな現象が起こるんだ…」


僕は自分を責めるばかりだった。

美咲は、うつむく僕を見て、何も言わずにそっと僕の机の上に、新しいシャーペンの芯のケースを置いてくれた。その小さな気遣いに、僕の胸が締め付けられる。


「美咲…」


「気にしないで。私、いつも予備持ってるから」


その言葉が、僕には痛かった。

僕の不器用さが、また彼女を困らせてしまった。

僕の秘密が、いつか彼女を傷つけてしまうのではないかという不安が、僕の心を蝕んでいく。



このままではいけない。

このままでは何も変わらない。



僕は自分のこの「現象」と向き合う決意をした。


たとえそれがバレて嫌われたとしても、美咲へのこの抑えきれない想いを伝えたい。

もう、隠し通すのは無理だ。

隠したところで、何も始まらない。

このまま、不器用な僕でいることを選ぶよりも、一歩踏み出す勇気を持とう。


放課後。夕焼けに染まる教室で、僕は美咲に声をかけた。


窓から差し込むオレンジ色の光が、教室の隅々までを柔らかく包み込んでいる。空気は少しひんやりとしていて、窓の外からは運動部の練習の音が微かに聞こえる。教室には僕と美咲の二人だけ。この空間が、まるで僕たちのための特別なステージのように感じられた。


「美咲、ちょっと、話があるんだ」


僕の声は、自分で思っていたよりもずっと震えていた。美咲が僕の方を振り返る。

彼女の瞳は、夕焼けの光を反射して、キラキラと輝いていた。


その瞬間、僕の心臓はこれまでにないほど激しく鳴り響いた。手に持っていたペンが、まるで意志を持っているかのように、ゆっくりと宙へと舞い上がっていった。


「…っ!」


一本、また一本と、机の上にあった僕の文房具たちが、美咲の周りを囲むように優雅に、しかし不器用に宙を漂い始める。ノートがゆっくりとページをめくり、消しゴムが小さな弧を描く。教科書がふわりと開き、その中の挿絵が夕焼けに照らされて鮮やかに浮かび上がる。


まるで、僕の心の奥底にある、美咲への溢れんばかりの感情が、そのまま形になったかのようだ。




美咲は、宙を舞う文房具と僕の顔を交互に見つめていた。

驚きと、少しの戸惑い。でも、怖がっている様子はなかった。僕はもう、現象を隠すことを諦めた。隠す必要なんてない。これは僕の感情そのものなのだから。震える声で、真っ直ぐ美咲の目を見て告げた。


「美咲のことが……好きだ」


僕の告白の言葉が、夕焼けに染まる教室に響いた。


宙を舞っていた文房具たちは、一瞬動きを止めたかのように見えた。


美咲は、宙に漂う文房具と僕の顔を交互に見つめ、少し驚いた表情を浮かべた後、ふっと、優しい笑顔を見せた。

その笑顔は、夕焼けの光を受けて、僕の目に焼き付いた。まるで、世界がその笑顔を中心に回っているかのように、美咲の周りの空間が輝いているように感じられた。


「…悠真くん」


美咲がゆっくりと口を開いた。僕は、固唾を飲んで次の言葉を待った。


「知ってたよ、悠真くん」


「え…?」


心臓が止まるかと思った。まさか、そんな言葉が返ってくるとは。


「悠真くんの、そういうところ……ペンが宙に浮いたり、時々、空気の温度が変わったりするの。私、前から気づいてた」


「前から…?」


信じられない。僕が必死に隠してきた秘密を、美咲は知っていた?


「うん。だって、悠真くんの気持ち、すごく伝わってくるんだもん。特に、私と話してる時とか、田中くんと話してて悠真くんがちょっと変な顔してる時とか」


美咲がくすっと笑った。

僕の顔が熱くなる。

あの嫉妬もバレていたのか。


「それで、なんで…」


僕は言葉を探した。


「なんで、気味悪がったりしなかったんだ…?」


美咲は、ふっと優しい眼差しになった。宙を漂う文房具たちに目を向ける。


「だって、それがなんだか、悠真くんらしくて、私…」


彼女は僕の目を見つめ返した。


「私、前から好きだったから」


その言葉に、僕の目から熱いものが溢れそうになった。


僕の不器用な感情が引き起こす現象が、美咲にとっては特別なものとして受け止められていた。


そして、あの体育祭の練習の時、僕の「静かな気遣い」に、美咲が気づいていたことも。僕が必死に隠そうとしていた秘密が、実は彼女にとって、僕を好きになった理由の一つだったなんて。

僕は、彼女の深い優しさに、ただただ感動していた。


「美咲…本当に、俺でいいの…?」


「悠真くんがいいの。悠真くんじゃなきゃ、嫌なの」


宙を漂っていたペンやノート、消しゴムは、僕の安堵と喜びの感情に包まれるように、ゆっくりと美咲の周りに降りていく。

まるで、僕たちの新しい関係を祝福するかのように、美咲の足元にそっと着地した。


床に落ちた文房具たちが、「カツン」「コロン」と穏やかな音を立てる。その音は、僕の耳には、新しい物語の始まりを告げる合図のように聞こえた。




僕の「現象」が完全に消えることはないだろう。


美咲と手をつないで歩けば、きっとペンがポケットの中で跳ねるだろうし、一緒に映画を観て感動すれば、ポップコーンが宙に浮くかもしれない。

これからも、僕の不器用な感情は、様々な形で美咲の周りで現れるだろう。


「悠真くん、今、ペン、ちょっと浮いた?」


美咲が僕の手元を見て、楽しそうに笑う。僕は少し照れながら、でも隠さずに答える。


「うん、美咲が可愛いから」


彼女は頬を染め、僕の腕をそっと掴んだ。

もう、隠す必要はない。

それは僕の個性であり、僕と美咲の、誰にも理解できないけれど、確かに存在する「特別な日常」の証なのだ。


美咲が、僕のこの力を「悠真くんらしい」と言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。

この力は、僕にとっての呪いではなく、彼女と僕を繋ぐ、特別な絆となったのだ。



夕焼けの中、美咲が僕の前に立つ。

彼女の瞳は、僕の心を映す鏡のように澄んでいた。


僕のペンは、僕らの新しい関係を祝福するように、静かに、そして確かに、僕の指先で微かに震えていた。


その震えは、もう焦りや不安からくるものではなく、ただ純粋な「好き」という感情の、温かい鼓動だった。

僕たちの手は、自然と触れ合い、そしてそっと、指を絡ませた。夕焼けの光が、僕たちの手元を優しく照らす。この温かさと、隣にいる美咲の存在が、僕の全てを満たしていた。


「ねえ、悠真くん」


「ん?」


「これからも、いっぱいペン、浮かせちゃってね」


美咲がいたずらっぽく笑った。僕もつられて笑う。

僕たちの特別な日常が、今、ここから始まる。

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