駆け引きの章

 なだらかな稜線を描く山裾に広がる平野は、夏の盛りを過ぎ、僅かに生えたひょろりとした尾花が数本、風に揺れている。


 山を下って、半刻程里へ寄った辺り。笊に薬草を干し広げていた添助そえすけの小柄で肉の薄い背に、聞き慣れぬ声が掛けられた。


「もし。そちらの薬草は、貴方様がお育てになったのでしょうか」


 不思議な響きの声だった。

 平野を渡る風のような、男とも女ともつかぬその声に、添助は腰を屈めたまま顔だけで振り返る。


「いいや」

「では、よろしければ、何処で手に入れたのかをお教え願えませんでしょうか」


 そう口にしたのは、何とも奇妙な人物だった。

 特徴の無い、やけにつるりとした顔の中で三日月に撓めた目と口は、笑みというより元からそう彫り付けられた面のように揺らぎが無い。ひょろりと細い腕と脚は指先を除いて念入りに布が巻き付けられており、恐らく全身そうなっているのだろう、ありふれた旅装束の首元からも同じものが見て取れる。

 面貌と身形が相まり、何処か木偶を思わせた。

 そして、におい。

 大きな柳行李を背負った凹凸の乏しい身体から、樟脳のにおいが風に混じる。


 胡乱。


 添助の頭に浮かんだのは、その一言だ。

 思いが顔に表れていたのか、その人物は「突然、失礼いたしました」と深々と頭を下げ、


「わたくしは自前で薬を拵え、方々で売り歩いている薬売りでございます。通りすがりにそちらの草の青々とした張りが目に入りまして、つい声を掛けてしまいました。お代は勿論お支払いいたします。どうか、僅かでもお分け願えませんでしょうか」


 過ぎる程丁寧な物言いに、添助が曖昧に頷く。暫しの沈黙の後、ぼうっとしていた添助がようやく我に返り、


「……ああ、薬草か。こいつは俺のたつきの元だ、何処で採ったかを教えるわけにゃいかねえ。売るのはいいが、こいつは調合の腕がよっぽどじゃ無いと無駄になっちまうんだと。あんた、大丈夫かい?」

「草木の扱いには少々自信がございます」

「そうかい。ま、こいつに目を付けるほどにゃ目利きみたいだし、ならまあ、構わんよ。」

「結構でございます」


 添助は掌に付いた土をぱんぱんと払って腰を上げ、改めて薬売りに身体を向けた。それを合図に交渉が始まる。


「それでは、一掴みで翠玉一粒でいかがでございましょう。かなり小粒ですが、雑じりの少ない玉でございます」

「ははっ、兄さん、こいつは俺のたつきの元だって言っただろ。あんたが目を付けた通り、こいつはただでさえ珍しいうえに、その中でも特に質が良いんだ。なんせ笊に山盛り三杯で、二人分の冬支度を整えられる。一掴みも渡すのに、翠玉すいぎょく一粒ってのは渋過ぎないか?」

「では、銀一粒でいかがでございましょう」


 添助はあさってを向き、ふう、と息を吐くと、腕組みして、


「……俺の畑は粟も蕎麦も、大根おおねだって中々でかく育たんから、いくらかは他所で贖わんとならん。こうして薬草なんて採ってんのもそのせいさ。つまりさ、俺なりの相場ってもんがあるのよ」

「では、銀一粒と翠玉一粒ではいかがでございましょう。都にお持ちになれば、それなりの取引が出来るかと存じます」

「都ねえ……遠いし、そもそも行ったところで、伝手の無え俺に上手く取引できるかどうか」


 薬売りが取り出して見せた玉の輝きにも、気が乗らぬ、とばかりに添助が小さく首を振ると、薬売りは三日月の様な口の端を更に持ち上げ、


「今年はどの地も豊作でございますから、都まで足を伸ばされなくとも、常より多くの冬支度を贖えるかと存じます」

「ほ……こりゃ、いい事を聞いた」


 添助は組んでいた腕を解き、にっと笑った。


「まあ、これ以上欲をかくのもみっともないな。いいさ、そいつと交換だ。ほれ、手を出しな……はいよ、これで足りるかい?」

「十分でございます」


 薬売りは、差し出した銀粒と翠玉の代わりに掌に盛られた薬草に目を細め、柳行李に下げた袋に丁寧に仕舞い込んだ。


「なあ、さっきの話は本当かい?」


 受け取ったしろを懐に突っ込みながら、添助がほくほく顔で訊ねる。


「どこも豊作、という話のことでございましょうか」

「ああ。実はさ、妻が身重なんだ。冬の間にはやや子の顔も見れるし、飯ぐらいは、たんまり食わせてやりてえんだ」

「左様でございますか、それはおめでたい事でございますね。ええ、真実でございます。こちらに参るまであちこち巡りましたが、どこも昨年より恵みが多いようでございました」


 添助の顔に安堵が広がり、すぐに真顔で、


「なあ、薬売りさん。お産が楽になる薬なんてのは無いものなのかい? うちのは初産なんだ。どうにも気が休まらなくてよ」

「身重の方でも服用できる痛み止めでよろしければ、扱いがございます。それと、滋養強壮の為の丸薬も」


 添助の目が輝く。


「本当かい! な、そいつを売ってくれないか?」

「お売りすることは吝かではございませんが、少々難しい薬でございます。奥方様のご様子をうかがわないうちから必ず効くとのお約束は出来ませんが、それでもよろしゅうございますか?」

「なら、アンタさえよけりゃ、うちのを診てやっちゃくれんか? 代は……そうだな、翠玉一粒でどうだ? 小粒だが雑じりの少ない、都ならそれなりの取引ができるって代物らしいぜ」


 添助が懐から、先程仕舞い込んだばかりの玉を取り出してみせる。薬売りは小さく笑い、


「それでは頂き過ぎでございます。丁度、夜を過ごす先を探そうと思っていた所でございます。近くに宿をご紹介いただければ、奥方様のご相談に応じましょう」

「そんなことでいいのか。そんなら、家にそのまま泊まってくれたらいい。大したもんは出せねえが、飯も用意するぜ。おっと、名乗り遅れた、俺は添助ってんだ」

「わたくしは『クスノキの』と申します。りん、とお呼び下さいませ」

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