第 5 話 小さな魔法使いの夢

夏が過ぎ、秋の陽だまりが穏やかに降り注ぐ花畑で、三歳のレオは今日も一人で遊んでいた。黒い髪が微風にふわりと揺れ、茶色の瞳には純粋な好奇心があふれている。実質一人とその他大勢なのだが、レオにはそれが当たり前の日常だった。

色とりどりの花々が咲き乱れる中で、レオはしゃがみ込んで小さな花を見つめていた。そんな時、いつものように妖精達の小さな声が聞こえてくる。

レオは妖精達に尋ねた。

「ねぇ、まほうつかいになるにはどうすればいいの?」

「そんなの決まってるじゃない!魔法使いに弟子入りするのよ!」

小ぶりな花の上に腰掛けた、手のひらほどの大きさの妖精が、レオに指を向けながら自信満々に答えた。透明な羽根をきらきらと輝かせ、髪には花の冠を乗せた愛らしい姿だった。

「でしいり?」

レオは首を傾げる。まだ三歳のレオには難しい言葉だった。

「そう!弟子入り。あたしのオススメは孤高の魔法使いレイよ!」

妖精は立ち上がり、小さな両手を広げて胸を張った。

「あら?あなたこの前シュダルデが格好いいって言っていたじゃない?」

別の花の上で寛いでいた、小さくとも妖艶な雰囲気を漂わせる妖精が、頬杖をつきながら視線を向けた。この妖精は他の妖精より少し大きく、紫色の髪を持っていた。

「でも、やっぱり昔からお気に入りのレイ様がいいの!」

最初の妖精の言葉を聞いていた他の妖精達も、次々と現れては共感し、頷き合っている。花畑には実に多くの妖精達が住んでいるのだった。

「レイ?」

レオは妖精達の言うレイ様が誰なのか分からず、眉を寄せた。

「あんたはちっちゃいから分からないでしょうが、あたし達の間では有名よ!」

「そうよ!なんてったってあのレイ様だもの!」

「レイ様なの!」

「レイ様……キャー素敵!一度でいいから抱かれてみたいわ」

一人の妖精は両頬に手を当てながら夢心地だった。

「あんた、子供の前で何言ってるの!?それにその姿じゃあ潰されるのがオチよ?」

「ちょっと夢を壊さないでよね!そこは妄想でカバーするわよ!」

「あんた達が色々言うからレオが困ってるでしょう?」

妖精達の騒がしい会話を聞いて、レオはニコーっと笑った。

「そんなことないよ?たのしいよ?」

その無邪気な笑顔を見ていた妖精達は、レオの将来は大物になると直感的に思ったのだった。


「レオは魔法使いになりたいの?」

妖艶な妖精は羽音を鳴らさずにレオの目線の高さまで飛びながら、腕を組んで尋ねた。

「うん!ぼくまほうつかいになって、ひとだすけしたいの」

レオの純粋な答えに、妖精は優しく微笑んだ。

「私、レオのそういうところ好きだわ」

妖精はレオの周りをくるくると飛び回る。

「噂で聞いた話だけど、 にぎやかなところからちょっと外れたあたりに魔女の館があって、弟子を募集してるって聞いたことがあるわ。そこに行ってごらん?目印は、赤い屋根のぶっさいくな鳥がいるところよ」

「わかった!ぼくいってみるよ!どういくの?」

「私達が道しるべを作ってあげる」

「ここからだとあんたの足じゃあ時間がかかりすぎるしね」

「言えてる!」

「私達もレオには魔法使いになって欲しいもの」

「レオ優しいしね」

「レイ様は大好きだけど、レオも大好きよ!だから案内してあげる

「歌を歌ってあげる」

「道を繋げてあげる」


そう言うと、妖精達は鈴の音を転がしたような心地よい音色で歌い始めた。

すると何もない空間から小さな波紋が現れ、次第に子供一人分の大きさの光る道が紡がれていく。歌いながら妖精達はレオをその先へと促す。

花畑の花の数と同じくらいいる妖精達の意思が揃うことにより、本来不可能とされている不思議な道が現れたのだった。

レオは促されるまま、その光る空間の道を歩いて行く。レオが視界から消えるまで、妖精達は迷わないよう歌い続けた。





レオが妖精達の作った道を抜け出ると、見知らぬ広大な草原に立っていた。遠く霞む地平線の向こうに、レオの住む街が小さく見える。陽光に照らされた草原には爽やかな風が吹き抜け、野の花が揺れている。

周囲を把握しようとレオがあたりをキョロキョロと見回していると、草原の真ん中にぽつんと古びた一軒家が建っているのを発見した。風雨に晒され続けた木造の家は、所々に苔が生え、屋根瓦も歪んでいる。

レイはその家を目指して歩みを進めた。

玄関の上には【魔女の館】と丸みを帯びた優しい文字で書かれた看板が掛かっていた。

レオはまだ文字を読むことはできなかったが、妖精達が言っていた「ぶっさいくな鳥」言っていたがそれらしい鳥を探すと玄関横に置かれた古い木製の長椅子で寛いでいるのを発見した。

身体うまく丸めて寝ているようだった。

「こんにちは、とりさん。まじょさんはいる?」

その鳥にレオは無邪気に話しかけた。幼い声が草原に響くと、鳥は閉じていた目をゆっくりと開いた。その瞬間、レオは思わず息を呑んだ。


鳥の姿はあまりにも醜悪だった。死んだ魚のように濁った目、羽根はボロボロで尾羽もなく、痛々しいほど痩せ細った体には鳥肌が浮いている。栄養失調で今にも倒れそうなほどのみすぼらしさだった。しかし、その目の奥には何か深い悲しみが宿っているように見えた。

鳥は鼻で「フン」と笑うと、再び目を瞑って眠りについた。

「きこえなかったのかな?……とりさん!!あのね!!まじょさんは……」

レオは大きく息を吸い込むと、精一杯声を張り上げた。



「なんだい!!うるさいねぇ!!あたしゃ寝ていたんだよ!?どこのどいつだい!?安眠妨害する奴は!!」

可愛らしい花模様の描かれた扉が勢いよく開かれた。レオは驚いて肩を震わせ、声の主の方へ慌てて視線を向けた。

「ご、ごめんなさい……とりさんとはなしてたの…まじょさんですか?」

黒いフードを被った白髪頭の嗄れ声の老婆がそこに立っていた。曲がった背中、皺だらけの手には古い木の杖を握りしめている。しかし、その瞳には確かな知性の光が宿っていた。

「……おや!?こんなところになんでまたガキがいるんだい?そうやすやすと迷い込めるような場所じゃないんだがねぇ……」

老婆は顎を撫でながらレオを観察するように見つめた。

「まじょさん!!ぼくをまほうつかいのでしにしてください!!」

「弟子だって!?冗談じゃないよ!!確かにあたしゃ弟子が欲しいって言っていたがね、それは聞けない相談だよ」

老婆は激しく頭を振った。レオの顔が見る見るうちに曇っていく。

「えぇ!!なんで?なんでだめなの?」

「あたしが魔女じゃないからに決まってるじゃないか!!魔女なんて!恐ろしゅうて関わりたくもないよ!!」

「えぇ?でも、【まじょのやかた】って看板にかいてあったよ?」

「魔女のように博識があるってだけの意味さ!!」

「なら、まじょさんでしょ?」

「まだ言うか!!あたしゃ魔女じゃないっていってるじゃないか!!あたしゃ博識ある薬師なんだよ!!」

「くすし?」

レオは聞いたことがない言葉に小首をかしげた。茶色い瞳に困惑の色が浮かぶ。

「薬師!!薬に師と書く、薬の専門家さ……魔法使いのマの字もかすってないさね!!さぁ、これで分かっただろう?さっさと帰んな」

老婆はしっしと手で追い払おうとした。レオは戸惑いながらも、まだ諦めずに食い下がろうとした。

「ぼく!まほうつかいになりたいんだ!!どうしたらなれるの!?」

「魔法使い?そんなの決まってるじゃないか……あんた親に聞いてないのかい?だらしない母親だねぇ……いいかい?魔法使いになりたければ【魔法学園】に入学することさね……おまんまくれるお前のママに聞いてみな」

老婆は眉を寄せながらレオに教えた。その表情には、どこか複雑な感情が宿っているようだった。

「なにそれ?ぼくしらないよ?まほうがくえん?たのしいの?」

「これだからガキは嫌いだよ……乳臭くてかなわないよ……さっさと帰っておくれ、部屋が臭くなる。あんたを見てるとムカつく奴を思い出してしまうからね……」

老婆は一度言葉を切ると、じっとレオの顔を見つめた。

「……そういえばあんた、どこか見知った顔に似てるねぇ?あんたの名前は?」

老婆は思案深げな表情でレオに名前を促した。

「れお、ういりあむ、すぱな、さんさい」

レオはピッと三本指を立てながら、まだ舌足らずな発音で自分の名前を言った。

「ウィリアム・スパナ……あぁ!!!!思い出した、あんたレイの孫かい!!おぉ嫌だ嫌だ、なんてそっくりなんだい!そんなことはあんたの爺さんにでも聞きな!!あたしに聞くのはお門違いってもんだい!!」

「じぃじのことしってるの?」

「知ってるもなにも……はぁ、関わりたくもないよ……」

老婆の表情に、一瞬だけ深い悲しみが過ったが、すぐに元の不機嫌そうな顔に戻った。

「なんで?」

「知ったことかい!!あんた、魔法使いの弟子になりたいって言っていたねぇ」

「うん!!」

「それは、あんたの爺さんが叶えてくれるはずさ……なんたって【偉大な魔法使い】と言われている御方だからねぇ」

「じぃじすごいの!?」

レオの瞳がキラキラと輝いた。

「それに若い頃は東にある魔法大帝国トルスガルバの側近魔法使い、魔法連合の団長を務めたとされる偉大な人物さ!!突然辞職したと聞いていたんだがね……」

「……それすごいの?」

「人それぞれ価値観の違いもあると思うがねぇ……まぁ、すごいんだろうねぇ……」

老婆はレオを見て、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。

「さぁ、もう帰んな!!日が暮れちまうよ!!」

今度こそ話すことは何もないとでも言うかのように、老婆はしっしと手で追い払い、扉を勢いよく閉めた。


固く閉ざされた扉をレオは見つめながら、妖精達が言っていた話と薬師の老婆が言っていた話を整理し、じぃじに聞こうと心に決めた。

「そういえば…ここどこだろう…」

レオは不安そうにあたりを見渡していると空から声がした。

「な~んだ。薬師の弟子だったんだ…ごめんね。聞き間違えていたみたい」

レオを心配して離れてついてきていた妖艶な妖精はすまなさそうにしていた。

「だいじょうぶ!じぃじにきけばわかるって!そういえばなんかいっていたような」

レオは考えるそぶりを見せるが思い出せないから気にしないことにした。

「そう…。…用も済んだし、レオもそろそろ帰りましょう?」

妖艶な妖精はレオの周りをゆっくりと浮遊する。


遠くで、戻ってくるのを待っていた数体の妖精が手を振っているのを確認するとレオは意気揚々とその場まで草原を駆け抜けて行くと待っていた妖精達にもみくちゃにされながら妖精の導きによって帰路につきながら、今日出会った不思議な薬師の話と、じぃじが偉大な魔法使いだという事実を胸に、希望に満ちた足取りで歩いていた。



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