1-10 異形の末路
客室どころか大広間にも誰もいなかった。
乱雑な様子はそのままだったけど、今度はそれが他の場所にも広がっている。廊下の絨毯や壁には爪の跡や大きな凹みがある。まるで巨大な何かが体を押し付けながら通ったみたいだ。
「みんなは!?」
「誰かいるなら返事しろ!」
明かりが消えた廊下を二人で足早に歩く。
客は帰った後だから襲われてはいないだろう。けれど、肝心のメイド達はどこに?
「どうする? もっと奥まで行ってみる?」
「さすがに、そんな遠くまで行ってないと思うけどな」
この館は私でも見当つかないほど広い。下手に廊下を走れば、自分がどこにいるのか迷ってしまう。どこまで先まで行けばいいのか迷っていると、アニンに手を握られた。
「何か来る!」
「えっ!?」
彼女の視線の先を見ると、暗い廊下の奥に確かに何かが蠢く気配がした。見つめると、闇の中に二つの目が浮かび上がる。
「逃げろ!」
私達は一目散に反対側へと駆けた。さらに階段へと飛び込んで上に逃げようとすると、
「違う! 下に行くぞ!」
「え!?」
「あたしは耳がいい!」
「意味わかんない! どういうこと!?」
とにかく彼女に促されるまま下に向かって駆け出した。けれど、私達を追いかけてくる足音も、同じく下へと向かってきている。
これで大丈夫なの、と思っていると私にも聞こえた。屋敷の鐘とは別の、鈴を鳴らすような音が。それが外から聞こえてくるとわかった時、私達は玄関へと辿り着いた。
「蹴り開ける!」
アニンが豪奢な扉を蹴っ飛ばす。外へと転がり出ると、周囲は霧に覆われていた。
はあはあと息を切らしていると、
「あら。悪霊を呼んだつもりだったのに、懐かしい顔の子が出てきましたわ」
霧の中から銀の鈴を持った背の高い女性が現れた。肌の色は透き通るほど白く、複雑に編み込んだ長い髪の色は銀色。瞳はアニンと同じく青色で、身に着けているメイド服は控えめではあるけれど細かい刺繍が散りばめられている。
一目だけ見ただけで誰もが私達とは一線を画すとわかるその人は、
「メイド長!」
「こんばんは。今宵はまた物騒なことになりましたね」
「どうして、ここに」
「鐘を鳴らしたでしょう。悪いものは屋敷の中より外に出した方がいいと思ったんです」
すると、玄関に巨大なクマの姿が現れた。
さっき見た時よりも一回り以上大きくなっている。天井にまで体をこすりつけるせいで、シャンデリアが床へと派手な音を立てて落ちた。
「幽世を訪れる客は未練に加えて、ストレスをため込むと変質してしまいます。それこそ、現世で悪霊や地縛霊と呼ばれるような存在にね」
「ストレス……悪霊……」
それじゃあ、私がやったことは本当に失敗だったってことじゃないか。
「っていうか、悠長に話してる場合か! 早くなんとかしてくれ!」
「私はできないですよ」
「じゃあ、誰がどうやって止めるんですか!?」
「近くにいた子に頼ります」
彼女がパンパンと手を叩くと、ギュイイインと耳をつんざく音が聞こえた。音がする方を見れば、チェーンソーを手にした誰かが歩いてくる。月の光に照らされて明らかになった姿は、顔にドクロのマスクを被り血染めのメイド服を着た少女だった。
「誰だ、あれ?」
「植物園の剪定係です」
メイド長が答えた直後、彼女はチェーンソーを構えたまま走り出した。その足は意外と早く、風を切るかのような速度で周囲を駆ける。さらに門の上に飛び乗ると屋敷の壁に向かってジャンプした。次の瞬間にはクマの背後に舞い降りる。
「ウオオオオン!!」
大気を震わす程の咆哮をものともせずに、彼女は両手でチェーンソーを振りかぶった。クマが回避しようにも間に合わない。体にチェーンソーが叩きつけられた瞬間、
「え!?」
まるでバネのように少女が弾き飛ばされた。
「今、確かに刃が当たったはずなのに!」
「それどころか傷一つついてなくね?」
メイド長はと見ると、何も言わずにその光景を見守っている。弾き飛ばされた少女は地面に転がり落ちるも、再び体勢を立て直そうとしていた。
「おかしい。やっぱり変だ」
「変も何も、最初からそうだろ」
「だけど、今の動き……」
クマも立ち上がると、爪を見せつけるように前傾姿勢を取った。大きく膨らんだお腹が唸り声とともに大きく振動する。
「待って、今の!」
再び違和感に気付いた時、クマがこっちを見た。襲ってくるかと思いきや、その場から門の外まで飛び上がる。そのまま姿を消してしまった。
「逃げられた!」
「あらら……随分と身軽なクマさんですね」
まるで映画でも見ていたかのように言うメイド長。
私も久しぶりに会うけれど、彼女の天然はあいかわらずだった。
「あの……非常時の対処って他にないんですか? 終わり?」
「そんなことはないですよ。むしろ、私は様子を見に来ただけで対処なんかしていません」
「じゃあ、剪定係の子は来る途中で、本当にたまたま会っただけっていう……?」
彼女はこくりと頷いた。
「クレイジー過ぎるぜ」
「けれど、あのクマさんは明日また来るでしょうね。その時はアレですが」
「このまま荒野をさまようってことはないのか?」
「だって、エサがないですもの。他にいるのは人だけですよ」
そこで嫌な想像に思い当たって、さっと血の気が引くのを感じた。
屋敷の外に帰った客達はどうなる?
「…………」
アニンも同じことを思いついたのか、表情を暗くさせた。
たった今まで騒々しかった世界が、今は音もなく静まり返っていた。それが余計、私の心を焦らせる。けれど、今から焦ってもどうにもできない。ひたすらに体が震えた。
「すいません! 私が自分で解決しようとしたばっかりに!」
沈黙に耐えられなくて、私は頭を深く下げた。
「……だから、言ったんだ。こんなの最初から無理だって。人を救うなんて簡単にできることじゃねえよ」
「……そうね」
メイド長がため息をついて、私の頭に手を乗せた。
頭を下げているから彼女の顔は見えないけれど、今一体どんな顔をして私を見ているんだろう。怒っているのか、呆れているのか、それとも両方なのか。私が『光になる』と言ってくれた彼女にこんな姿を見せるなんて、自分が悔しくて情けなくて泣きそうになった。
「……ですが、一つだけ。まだ、私はあの客に試していないことがあります」
「試していないこと?」
メイド長の手が止まる。
「今まで、私はあのクマが何か食べている姿しか見ていませんでした。でも、さっきのあの動きを見て変なことに気付いたんです。もしかしたら、と思って」
「客の正体に気付いたのね?」
私は顔を上げて頷いた。
それにメイド長がふっと顔をほころばす。
「なら、メイドの役割を果たしなさい。あなた達はそのためにいるのだから」
「ちょっと待てよ、イルミン」
険のある声に振り向くと、アニンが私達を睨みつけていた。
「客やメイド達の目を見ただろ。これ以上、振り回すつもりなら暴動が起きるぞ」
「アニン……わかってるよ。でも、未練を断ち切って人を救うのが幽世のメイドの仕事だ」
「クマを野に解き放っちまったのにか?」
「……悲鳴は聞こえてこない。それに赤いものが嫌いなら、人の血なんて見ないはずだ」
一度は致命的だと思ったけど、冷静に考えればクマが食べるものは限られている。私達を追いかけてきたのも、食べ物をよこしてほしかったからかもしれない。
「そういうことを聞いてるんじゃねーんだけど?」
「いいんだよ、アニン。私達を救うのは私達自身だけど、あのクマを助けられるのも今は私達以外にいないんだ。死んだ後まで救われない結末なんて、あんまりだ」
「んなもん、偽善だ。どっちにしろ、イルミンが――……」
彼女は何か言おうとして、「チッ」と舌打ちした。
「このクソ問題児め。しなかったら、それがあんたの未練になるってのか」
「救うことが救われることになる。情けは人の為ならずっていうやつですね」
メイド長が言うと、アニンは鋭い視線を彼女に送った。
「結局、あたし達はカゴの中の鳥だ。この繰り返しに、いつか終わりはあるんだろーな?」
「その時が来れば、です」
「ふん。なら、後一回だけだ。それでダメなら諦めろよ」
「わかった。ほんと、見本を見せつけるどころじゃなくなったよ」
私は深いため息をついて、メイド長に向き直った。
「さぁ、どうするの?」
「まずは逃げたメイド達を探しに行きます。事情を説明して謝らないと」
その言葉に彼女は満足したように頷いた。
「それじゃあ、迷える魂にあと一日の猶予を。あなた達に神のご加護がありますように――」
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