第2話 戦慄

「邪魔をするなと言ったはずだ!」

黒ローブの男が杖を振り上げると同時に、航希の身体が勝手に動きだす。


シュッ!


空気を裂く音と共に航希の姿が消えた。

いや、消えたのではない。目にも留まらぬ速さで男の懐に潜り込んだのだ。

(なっ……何だこれ? 足が勝手に……!)


思考より早く体が反応していた。

中学時代に全国大会で見せた技が、意識せずとも自然と繰り出される。


「うっ?!」


男が杖を振り下ろす軌道の死角に滑り込み、

腰を落として放った右回し蹴りが脇腹を直撃した。

まるで鉄棒を振るわれたかのような鈍い衝撃音。


「ぐぇっ!!」


巨体がドサッと音を立てて倒れる。

店内が完全に凍りついた。

黒ローブたちも酒場の常連客も──全員が口を半開きにして固まっている。

「……え?」

自分でも何が起きたか分からない航希だけが間抜けな声を漏らした。


「なっ……馬鹿な……!」

深淵教団の一人が震える指で仲間の骸を指す。

「我が団最高幹部グレイザーが……一撃で……!」


「うわぁぁぁ!!」

残りの団員たちがパニックになっている。


「航希さん……!」

銀髪の少女が涙目で駆け寄ってくる。航希は混乱しながらも反射的に彼女を抱き寄せた。


「今のうちに逃げるぞ!」


ドンッ!


出口に向かって走り出した瞬間──足裏が床を強く押し返した。まるで跳躍台から飛び立つように、航希の身体が空中を舞う。少女を片手で抱えているのに、まったく重さを感じない。


「うわっ!?」

航希自身が一番驚いていた。


「すごい……!これが航希さんの『翼』……!」

少女が頬を赤らめて呟く。


「逃がさんぞ!聖血の乙女よ!」

黒ローブの男たちが路地を塞ぐ。剣や魔法の杖を構えている。


「危ない!」

航希は咄嗟に地面を蹴った。


グオォン!


まるで鳥のように上空へ舞い上がる。少女を片腕で抱えたまま、屋根の高さまで一気に飛翔した。


「キャッ!」

少女が小さく悲鳴を上げるが、航希の胸にぴったりと顔を埋めている。


「お前たち……何だあの跳躍は!?」

地上では黒ローブたちが口をあんぐり開けている。


「落ち着け。まずは屋根伝いに移動しよう」

航希の冷静な声に少女が頷く。


「ありがとう……本当に覚えていないんですか?航希さんが私を『翼で空へ逃がしてくれた』時のことを……」


航希には見当もつかない。


「覚えていない……ですか?」

銀髪の少女が寂しげに俯く。風になびく長い銀髪が航希の胸に触れた。


「すまない。君の言う『翼』って……僕はそんな大層なものを持ってないと思うけど」


実際に航希自身も驚いていた。人間離れした跳躍力に加え、こんなにも軽々と少女を抱えて屋根を駆け抜ける自分が信じられない。


「いいえ!あれは確かに航希さんの『翼』でした!」

少女が突然顔を上げた。その金色の瞳が星のように輝く。

「三日前の夜……私が追われていた時も同じように助けてくれました!あの時は大きな白い羽根が背中から……」


その言葉に航希は眉をひそめた。

(背中から羽根?冗談だろう?)


屋根から屋根へ跳ぶたびに少女の体温を感じる。甘い香りが鼻をくすぐる。

「君は一体何者なんだ?なぜあんな奴らに追われてる?」

航希が尋ねると少女は胸にしがみつく手に力を込めた。

「わたしは……エルミナ=シルヴェル。この国の辺境伯領で生まれたハーフエルフです」

風に揺れる銀髪が航希の頬をくすぐる。

「わたしの一族は古来より『聖なる血』を持つとされていて……深淵教団が何代もわたって狙っているのです」


その時だった。

カッ!!


地上から白い閃光が放たれた。エルミナの肩を掠めて瓦礫が粉々になる。

「いたぞ!北区の屋根上だ!」

黒ローブ達の声が冷たく響く。


「町を出るぞ!」

航希は屋根伝いに駆け抜けた。少女を抱えたままの超人的な疾走に、エルミナは目を丸くする。

「信じられない……あの教団が恐れる暗殺者だって三人で逃げるのが精一杯なのに」

「それよりしっかり掴まってろ!」

町の城壁が見えてきた。高さ十メートルはありそうだ。


「ジャンプだ!」

航希はためらいなく踏み込んだ。ズシッという衝撃とともに城壁へ向かって飛び込んだ。



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