第17話 ノワールデンの呪い


 夜の館は、まるで嵐の海に閉じ込められたようだった。


 窓を打ちつける雨粒の音は絶え間なく続き、時折、稲光が夜空を裂く。その閃光に続く雷鳴が館の壁や天井を揺らすたびぎしりと音が鳴る。


「随分と荒れてきましたねー」


 サルヴィアは客間の椅子に腰掛け、両手で温かな茶を抱えながら窓の外を眺めていた。眠たげな声は変わらぬ調子だが、その金の瞳にはかすかに緊張のようなものが宿っている。


「森を抜けてから雲行きは怪しかったけど、まさかここまで降るなんてな…帰り道に何もなけりゃいいけど……」


 エイルはソファに背を預け、額を軽く叩いた。昼間の賑やかな食事会の余韻も、今は重苦しい嵐の気配に呑まれている。


 ――その時だった。


「ぐあああああああああっ!!!」


 若い男の悲鳴が、館全体に響き渡った。


 サルヴィアは茶を机に置き、すぐに立ち上がる。エイルも椅子を蹴るようにして扉へ向かった。


「今のは二階か?」

「急ぎましょうー!」


 二人は廊下を駆け抜ける。嵐の轟音の中でも、館中の使用人たちがざわめきながら階段に集まり始めていた。


 悲鳴の発生源は二階の大広間横の一室。扉の前にはすでに青ざめたメイド、ジャンヌが腰を抜かして座り込んでおり、中を指差し口を震わせていた。


「坊ちゃまが……っ!」


 その声を聞くや否や、エイルは躊躇なく扉の前に立つ。


 そこにあったのは、豪奢な寝台。そして…


 ジャックが血の気の失せた顔で横たわっていた。


 口を開けたまま虚空を睨んでいる。目立った傷はなく、衣服も乱れていない。だが、顔は青紫色に変色し、その表情は苦悶を浮かべていた。


「……これはー…」


 サルヴィアは脈を確かめる。


「何故坊ちゃまが……!?」


 そんな時、背後から駆け込んできたのは執事長ハンニーンだった。だが、即座に驚愕の表情を止め、すぐさま指示を飛ばす。


「旦那様をお呼びしろ!それから治癒師を――急げ!」


 慌ただしく使用人たちが散っていく。


「治癒師は必要ありませんよー」

「何故ですか!早く治療を…」

「…………聖女でも、死者は蘇らせられませんから…それにー、私が駄目なら誰を呼んでも駄目でしょうー」

「し、死者…」


 ほどなくして、モリアーティ・ノワールデン伯爵やラチェット、バートリが駆けつけてきた。伯爵は息子の姿を見るなり絶句し、言葉を失った。


「ジャック……!?」

「あぁ、ジャック…!ど、どうして…」

「お、お兄様…!!?」

「皆さん、ここは事件現場ですので入らないで、あっ、ちょっ…」


 エイルはどこからか取り出したこの世界の言語で立入禁止と書かれた黄色いテープを貼ろうとするが、簡単に突破される。


 バートリは、兄の亡骸にしがみついて泣き崩れる。


「ジャック……!嘘だろう、起きてくれ……!!」


 モリアーティ伯爵もバートリと同じようにそばに近寄り、血の気を失った息子の顔を揺さぶった。


 だがジャックの瞳は虚空を映したまま、二度と戻らない。


「あぁ…どうして…どうしてぇ……」

「坊ちゃま………」


 部屋の前で泣き崩れるラチェット。その隣に立っている執事長ハンニーンの声も震えていた。普段は冷静であるはずの彼でさえ、その動揺を隠せない。


 部屋の隅ではバートリが泣き崩れ、メイドたちが支えている。


 その中で一人、若いメイドが青ざめた顔で口走った。


「やっぱり……これ、ノワールデンの呪い……なんじゃ…」


 その声は火種となり、瞬く間に燃え広がった。


「呪いが本当に……」

「次は誰が……」

「ここにいる全員が危ない……?」


 館の使用人たちが互いに顔を見合わせ、恐怖に取り憑かれたようにざわめき始める。


 荒れ狂う嵐が窓を叩きつける音が、その不安を煽るかのように響いた。


「黙れ!!」


 ハンニーンは嵐の音をかき消すほどの声を上げた。


 その厳しい声音に、ようやくメイドたちは身を竦め

る。


「呪いなどと軽々しく口にするでない!!!」


 叱責に場が凍り付く。


 だが恐怖の火は完全には消えない。人々の瞳に宿る影は深く、疑念と怯えが形を持ち始めていた。


 そんな中、エイルは静かにジャックの亡骸を見下ろした。


 その死に様には、奇妙な点がいくつもあった。胸に傷一つなく、争った形跡もない。窒息死のようだが首を絞められた痕もない。


 ただ顔だけが、恐怖と驚愕に引き攣っている。


 魔法、またはそれに通ずる何かだ…例えば…


(――呪い)


 彼は眉をひそめ、サルヴィアへ視線を送る。


 金の瞳の聖女はしばし亡骸を見据え、静かに口を開いた。


「……皆さん安心してくださいー。私がいる限りこれ以上の犠牲者は絶対に出ないと約束しますのでー」


 その淡々とした声が、不安に支配されかけた空気をわずかに和らげた。


 サルヴィアは続ける。


「私たちがここに呼ばれたのはー、本来は孤児院の子たちの未来のためですけどー……どうやら、別の役割も果たすことになりそうですねー」


 エイルは小さく頷く。


 この状況を放置すれば、恐怖は疑心暗鬼を呼び、やがて呪いなど関係なしに惨劇を生むだろう。パニック状態の人間の集団など、末路は決まって同じだ。


「モリアーティ伯爵」


 エイルはモリアーティに向き直った。


「どうか落ち着きを。今は人心をまとめることが先決です」

「……わ、分かっている。だが……息子が……」


 伯爵の声は震えていた。


 その姿に、エイルは胸の奥で痛みを覚える。彼は父としての顔をむき出しにしていた。


 …こっちは駄目そうだな。


「ハンニーン執事長」


 エイルはさらに声をかける。


「今夜は館の者全員を大広間に集め、互いを見える場所に置きませんか?各自を散らせば、さらなる犠牲が出るかもしれません。それと…ノワールデンの呪いというものについてもお話を聞かせてください」


 ハンニーンは深く頷いた。


「…畏まりました」


 こうして、ノワールデン家の館に渦巻く不穏な影は、ノワールデンの呪いという言葉とともに広まりながらも、ひとまず皆が大広間へ集められることとなった。


 だが、その場にいる誰もが感じていた。


 これはただの殺人などではない。


 嵐に閉ざされた館の中で、確実にが動いている――と。

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