第16話 ミステリーは嵐の館で
「さあ、お掛けください」
朗らかな声でそう言うのは、この館の主であり、俺達を案内した人物、モリアーティ・ノワールデン伯爵だ。背は高く、白髪混じりの金色の髪に髭を整えた顔は威厳に満ち、しかしその瞳には気さくさも漂っていた。
エイルとサルヴィアが席につくと、伯爵は姿勢を正し、両腕を広げるようにして口を開いた。
「まずは私の家族を紹介しよう。こちらが妻のラチェット」
ふわりと微笑んだ婦人は、明るい金髪を上品に結い上げ、鮮やかな緋色のドレスに身を包んでいた。
「ようこそいらっしゃいました。旅でお疲れでしょう、今宵はどうぞごゆるりと」
軽く会釈を交わす。
「それから、息子のジャック」
テーブルの片端に座る金髪の少年は、十六、七といったところだろう。背筋を伸ばしはしているが、顎を少し反らし、不遜な目をこちらに向けている。
「……」
口を開かず、ただ視線だけを投げつける態度だ。
「そして娘のバートリ」
兄とは対照的に、まだサルヴィアと同じくらいの年齢の幼く可愛らしい金髪の少女は緊張で強張った表情を浮かべ、小さく会釈する。
「よ、よろしくお願いします……」
声はか細いが、仕立てのよいドレスに身を包んだ姿は、まだ幼さを残しつつも将来の美貌を予感させた。
そしてモリアーティは背後へと視線を移す。
「そして、この館を支えてくれている執事長――ハンニーンだ」
控えていた白髪の老執事が一歩前に出て、恭しく礼をした。
「お目にかかれて光栄でございます。ノワールデン家執事長、ハンニーンにございます。以後、なにとぞお見知りおきを」
温厚さと威厳を兼ね備えた声は、館全体の空気を引き締めるようだった。
「さあ、それでは皆、食事にしようか」
モリアーティの言葉を合図に、銀の蓋が一斉に開かれる。香ばしい肉の匂い、スープの湯気、焼きたてのパンの香りが辺りを満たした。
エイルはフォークを手に取りながら、横目でサルヴィアを見やる。彼女はにこやかに礼をし、普段の眠たげな雰囲気は影を潜め、聖女らしい立ち居振る舞いを見せていた。
家族揃っての穏やかな食卓。特に今の所問題はなさそうだ。
「きゃっ!」
甲高い声とともに、テーブルの端で水差しが倒れた。透明な液体がテーブルクロスを濡らし、皿やフォークにまで飛び散る。
「ジャンヌ!」
鋭い声で叱責したのは執事長ハンニーンだ。
そこに立っていたのは、小柄な白髪のメイド服の少女。慌ててハンカチを取り出し、必死に水を拭こうとしている。
頬を真っ赤に染め、頭を下げながらおろおろと動き回る姿は、いかにも新人らしい不器用さを漂わせていた。
「も、申し訳ありません!すぐに、すぐに片づけますのでっ!」
食卓に一瞬の静寂が走る。しかしすぐにラチェット夫人が微笑みを浮かべた。
「いいのですよ、気にしないで。新人の頃は誰だって失敗するものですわ」
ふむ。俺達がいるからか、それとも普段からそうなのかはわからないが、ここで更に怒鳴ったり厳しく叱責しないのは好感度が高いぞ?
この世界では基本的に使用人というのは立場が低い。あんなミスを厳しい家ですれば折檻や鞭打ちになることもある。それを当然と思っている家では俺達のような聖職者がいる前でも当然のように行うのだが…そういった行為はなし、と。
だが、場の空気は和らいだが、執事長の目は鋭く光り、メイド――ジャンヌと呼ばれた少女の背を射抜いていた。
どこか、この館の奥底に漂う緊張の糸が、ふと顔を覗かせたように感じた。
□
食卓に並ぶ皿は次々と空き、穏やかな談笑が続いていた。
モリアーティ伯爵は旅の道中の様子を尋ね、ラチェット夫人は街の名産について語り、バートリは小さな声ながらも精いっぱいに話を合わせようとしている。
サルヴィアは眠たげな声色を少し抑え、丁寧に受け答えをしていた。普段の飄々とした態度は影を潜め、今は聖女としての顔を覗かせている。
俺の目の前ではあんな態度だったので少し不安だったが、杞憂だったようだ。
そうやってパンを口に運びながら、周囲を観察していた。
館の空気は豪奢だがどこか重く、先ほどのドジっ子メイドの失態をきっかけに、見えない緊張の糸が張り続けているように感じる。
その時――
「…あ」
窓ガラスに小さな音が落ちた。
雨粒だ。最初はぽつ、ぽつ、と控えめだったが、やがて次第に数を増し、音を重ねていく。
ザァァァァ……―――
一瞬で外の世界は雨音に覆われ、風が唸り声をあげ始めた。
雷鳴が遠くで低く響き、窓に映る庭の影を照らす。
「嵐になるかもしれませんね」
ラチェット夫人が小さく呟く。
バートリはスプーンを握る手を震わせ、ジャックは不機嫌そうに舌打ちをした。
「……この時期に嵐とは珍しいな?」
モリアーティ伯爵の言葉に、執事長ハンニーンが恭しく頷いた。
そこから、少しばかり場の空気が重たくなる。
それは雨か、それとも、この場にいる俺達以外が漠然と抱えていると思われる不安が理由だろうか?
だが、その沈黙を破ったのはジャックだった。
「……ここで言うのもなんだけどよ」
低く押し殺した声に、場の視線が一斉に彼へと集まる。
ジャックはフォークを突き立てた皿を見下ろしながら、忌々しげに続けた。
「家族が増える、なんて話……俺は納得していない」
その言葉に、空気が凍り付いた。
エイルは眉をひそめ、サルヴィアは口元を押さえて目を細める。
ラチェット夫人は「ジャック!」と息子を叱ろうとしたが、彼は顔を背けて聞こうとしない。
「養子だかなんだか知らないが……突然見ず知らずの子供を迎えるなんてどうかしてる!呪いとか、聖女とか馬鹿みたいだ!」
嵐の雷鳴が言葉を強調するように轟いた。
モリアーティ伯爵の表情は崩れなかったが、視線は鋭く息子を射抜いていた。
バートリはジャックの言葉を聞き泣き出しそうに俯き、ラチェットは手を胸に当てて沈黙する。
そして執事長ハンニーンだけが、変わらぬ声音で場を整えようと口を開いた。
「坊ちゃま。エイル様とサルヴィア様の前でございます。どうかお言葉をお控えください」
だがジャックは聞く耳を持たず、椅子を乱暴に引き、立ち上がった。
「俺はもう部屋に戻る」
その背中を追うように、雷鳴が再び響いた。
残された食卓に、不穏な沈黙が落ちる。
嵐はますます激しさを増し、窓を叩き割らんばかりに雨風が荒れ狂っていた。
「――ハハハッ!」
唐突に響いたモリアーティ伯爵の笑い声は、嵐にかき消されることなく、重苦しい食堂に広がった。
その声音には威厳がある一方で、どこか作られた響きが混じっていた。
「申し訳ない、エイル殿、サルヴィア殿。近頃この領内で騒ぎが立て続けに起こっていましてね、ジャックも不安なようで…どうか気を悪くなさらぬよう。さぁ、食事を続けようではないか!」
その言葉を合図に、場は再びぎこちなく動き出した。
夫人ラチェットは口元に微笑を浮かべるが、その目はどこか疲れている。
娘バートリは静かにスープを口にしつつ、ちらりと兄ジャックが消えた扉を見やり、また黙り込んだ。
使用人たちが新たな皿を運び込み、重苦しい宴はなんとか進んでいった。
やがて食事が終わる頃、執事長ハンニーンが一歩前に出る。
「伯爵様、客室のご準備は整っております。嵐が強うございますゆえ、館の外への出入りは控えたほうがよろしいかと」
「ふむ、そうだな。客人にはゆっくり休んでもらおう。――エイル殿、サルヴィア殿、今宵は長旅の疲れを癒していただきたい」
伯爵はそう言って笑みを見せたが、その眼差しの奥に隠されたものは読み取りづらかった。
エイルは軽く頷き、席を立つ。サルヴィアも静かに従った。
□
用意された客室は、厚いカーテンと重厚な家具で整えられていた。
窓を打ち付ける雨音が絶え間なく響き、館全体を包む不気味な鼓動のように聞こえる。
サルヴィアはベッドの端に腰掛け、細い指でスカートを整えながら言った。
「……気まずかったですねー」
「そうだな」
エイルは外套を椅子に掛け、ため息を吐いた。
「とくに息子…ジャックだったか?孤児を迎え入れる話が進めば、あいつは正面から反対しそうだったな…兄がああだと悪影響もありそうだからちょっと不安だな…」
「そうですねー…それに、呪いって何のことでしょー?」
エイルは顎に手をやり、しばし考える。
呪い…うちのガキを迎え入れる理由に何か関係していそうだ。
その様子を見ていたサルヴィアは口元で笑う。
「――こういう館には、だいたい秘密がありますよねー。ミステリーの常識ですー」
「……まあ、そんなこともないことは…ないか」
館全体に漂う得体の知れない気配。食卓の不自然な会話。
そして、絶え間ない嵐。
静けさの裏で、確かに何かが進んでいる。そんな感覚だけが二人の胸に残った。
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あとがき
ミステリー、嵐、洋館、呪い、ベタなの結構好きです。ミステリーの始まりって一番わくわくしますよね。ミステリーはにわかなのでここからが大変なのですが…
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