第20話 優しい人

 ♢


 羽月ちゃんとの思い出が、走馬灯のように思い出される。


 息の仕方を思い出すチャンス。ずっと望んでいた、羽月ちゃんとの復縁。

 断る理由なんてない。


「———…私…」


“羽月ちゃんと、もう一度やり直したい”


 そう言いかけた唇が止まる。喉が詰まる。


 なんで、こんなに嫌だって心が叫んでるんだろう。


 原因はわかっている。


 頭のどこかをちらちらと彷徨っている、どこかの自堕落成人女性のせいだ。

 なんでこんなに成那さんがちらついてるか、わからない。


 ううん。本当はわかってる。成那さんがちらついている理由が。




 私は成那さんの優しさに触れてしまった。




 羽月ちゃんにないもので、私が知らなかったもの。


 きっと、そんなに大層な優しさに触れたわけじゃないと思う。どれもこれも、全部小さいことだけど、私の心を掴むには十分すぎる理由だった。


 たとえば、普通に話しているとき。

 私のくだらない話に付き合ってくれる。授業がつまらないとか、課題がめんどくさいとか、そういう、成那さんに関係ないことでもちゃんと耳を傾けてくれる。


 たとえば、飲み物を飲むとき。

 飲み物なんて、別になくてもいいのに毎回ちゃんと出してくれる。元々成那さんの家になかった麦茶が最近仲間入りしたのも知ってる。私が何の気なしに言った、“麦茶が好き”って言った言葉をちゃんと覚えててくれた。飲み物が少しでもなくなったら、すぐ注いでくれる。


 たとえば、セックスするとき。

 無理やり進めることなんで絶対にないし、私が嫌だって言えばすぐにやめてくれる。キスするときも、服を脱がせるときも、私に触れるときも、全部私を優先してくれる。


 タバコを吸う場所も私を思って変えてくれているって、知ってる。私が勝手に成那さんの家に居座っているだけなのに。受動喫煙なんて、気にしなくていいのに。


 そういう、小さな優しさがいっぱいに積み重なっていつの間にか私は、息の仕方を思い出していた。


 最初は本当にただ、羽月ちゃんと重なるところばっかり見て、成那さんのことなんでこれっぽっちも見てなかった。


 でも、いつの間にか、羽月ちゃんと重なるところじゃなくて成那さん自身を見ていた。


 いつの日からか、眠れない夜に思い出すのは羽月ちゃんじゃなくて成那さんになっていた。


 気づいてた。気づかないふりをしていた。


 ああ、そっか。



 私、成那さんのことが————




「もう、羽月ちゃんのことは好きじゃない。もう一度付き合うことは、できない」


 私がそう伝えると、羽月ちゃんは目を丸くして、信じられない、というような顔をしていた。


 私はまっすぐ羽月ちゃんのことを見て、口を開くのを待った。


 すると羽月ちゃんは大きくため息をついて、私のことをなめくじでも見るような目を私に向ける。


「あっそ、もういいよ。あまねのことなんか知らない。連絡してこないで、会いにこないで」


 そう吐き捨てて、羽月ちゃんはこの場を去っていった。


 そんな子供っぽい姿にぷっと吹き出してしまう。


 連絡は、確かにたくさんしてしまった。返信はなかったけど。


 でも、少なくとも会いに来たのは羽月ちゃんのはずなんだけど。私は羽月ちゃんに会いに行った覚えはない。そもそも、引っ越した先の家も、羽月ちゃんの通っている高校も知らないしね。


 私は立ち上がって大きく伸びをする。


 全部が吹っ切れて、清々しい。

 自分の気持ちが見えて、気持ちがいい。


「よーし!」


 私は文化祭の波に乗るべく、校舎の中へ向かった。


 ♢


 それから、いろんなところを見たり、食べたり、体験したり。途中でクラスメイトと会って一緒に回ったりもした。


 高校3年生の出し物のフルーツティーがすごく美味しくて、何回も飲みに行ってしまった。


 別のクラスはお化け屋敷をやっていて、見た目がすごく怖そうだったからビビっていたけど、中に入ると可愛らしいくまのゾンビや、うさぎのミイラが驚かせてくれた。


 そして後夜祭が近づいて来たくらいの時間に、乙葉ちゃんと合流した。


「ごめんね、お待たせ」


「ううん。全然待ってないよ〜! もうすぐ後夜祭始まっちゃいそうだから行こう! あまね、めちゃくちゃ楽しみだったの〜」


 私と乙葉ちゃんは駆け足で後夜祭の会場である校庭に向かう。あたりはすっかり暗くなり、夕焼けが校舎を茜色に染めていた。


 校庭の仮設ステージの前にパイプ椅子が並んでいる。ほとんど埋まってしまっているけど、探せばちらほら空席がある。


「あまね、ここにしよ」


 私の少し先を歩いていた乙葉ちゃんが、満面の笑みで手を振っている。私は駆け寄って乙葉ちゃん隣に座った。

 校庭は熱気に包まれ、生徒たちの興奮が肌を刺すようだった。


「ミスコン、めちゃくちゃ楽しみー!」


「彼氏さん、出るんだっけ〜?」


「そう!! 我が自慢の彼氏、海斗かいとがでるんだー! あまねも楽しみにしてて? 絶対優勝するから」


 目を輝かせてそう言ってくる乙葉ちゃんは、いつもの乙葉ちゃんじゃないみたい。

 すごく楽しそう。


「わかった。楽しみにしとくね〜」


 18時になり、照明が落ちて後夜祭が始まった。


 最初に軽音楽部のライブがはじまり、ダンス部のパフォーマンス、吹奏楽部の演奏と続く。

 どの部活もすごく上手くて、感動してしまった。


 そしてついにメインイベントであるミスコンが始まる。

 最初に女子の部があって、その後に乙葉ちゃんの大本命である男子ミスコンが始まる。


「海斗ーーーーー!!!!!!」


 乙葉ちゃんは一生懸命に彼氏さんの名前を呼んでいる。


 司会の人がマイクを握ると、あたりがスッと静かになった。


「それでは〜、エントリーナンバー1番!」


 歓声が飛ぶ。ステージに出てきたのは、サッカー部のキャプテン。照明が反射して白く輝く歯。整った立ち姿に拍手が巻き起こる。


 乙葉ちゃんがが小声で


「やっぱりレベル高いね。でも、海斗だって負けてないから」


 と、自慢げに話してくる。

 私は頷きながらも、ただ静かに見つめていた。


 次々と出てくる出場者たち。おどけてダンスを披露する人もいれば、ピアノの弾き語りをする人もいる。笑いと歓声が重なって、夜の空気が少しずつ熱を帯びていく。


 乙葉ちゃんの彼氏さんも、爪痕を残して自分の出番を終えていた。


 すべての出場者がアピールを終え、いよいよ結果発表の時間が来た。



 司会の先輩がマイクを構えわざと溜めを作る。隣を盗み見ると、乙葉ちゃんが両手を合わせて祈っていた。


「それでは、今年の男子ミスコン、優勝は——!」


 ライトが一度消え、会場が暗くなる。次の瞬間、白いスポットが一点に当たった。


「――エントリーナンバー13番! 田中海斗さん!!」


 爆発のような歓声。花束が渡され、クラッカーの音が空に弾ける。みんなが笑顔で拍手している。



 乙葉ちゃんの彼氏さんががステージ中央で優勝者インタビューを受ける。


『今のお気持ちはどうですか?』


『彼女にありがとうを伝えたいです。このミスコンにでたら? と誘ってくれたのは、彼女なので』


『おー!! それでは、彼女さんに一言』


『乙葉ーーーーーー!!!!!! ありがとうーーーーー!!!!』


 隣を盗み見ると、乙葉ちゃんが涙を流して


「こちらこそありがとうーーー!!!」


 と叫んでいた。


 その楽しそうな姿を見て、私は少し目を伏せる。


 もしも、私と羽月ちゃんがまだ付き合っていて、同じ高校に通っていたら、こんな未来もあったんだろうか。


 もしも、成那さんと同い年で、セフレなんて出会い方をしていなければこんなふうに普通に笑い合えていたのだろうか。


 全部、もしもの話だけどそれが叶ったらどれだけいいことか。


 考えたって仕方がない。でも、考えずにはいられない。


 そんなことを考えていると、スマホが震える。


『今日、来れる? 来て欲しい』


 そう、成那さんからメッセージが届いた。

 私はつい、にやけてしまう。


 元彼さんの隙間を埋めるためだけの存在でも構わない。都合のいい女で構わない。


 あなたの隣に居られるのなら。


『行けます。少し遅くなります。ごめんなさい』


 後夜祭の最後までいたら行けなくなってしまうけど、途中で抜ければいけるはずだ。


 だって、後夜祭より成那さんの方が大切だもん。


 気づくと打ち上げ花火が始まっていた。

 夜空には、色とりどりの花火が咲き乱れ、歓声が上がる。


「綺麗……」


 私は、思わず息をのんだ。


 成那さんにも、見せてあげたいな。

 きっと、すごく喜ぶんだろうなぁ。


 今度、線香花火でも買っていってあげようか。

 でも、夏じゃないんだから、売っているかわからない。どこにも売ってなかったら、通販で買ったっていい。


 喜ぶ成那さんの顔が見たい。

 楽しそうな成那さんが見たい。


 とりあえずこの花火を成那さんに見せるため、私は輝く夜空ににカメラを向けた。

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