第14話 “藤白あまね”

 一度家に帰って、制服から私服に着替えてから成那さんの家に向かった。


 いつものように鍵は開いているだろうと思って成那さんの家の扉を開けると、鍵がしまっていた。


 まだいないのかな、と思ったけど一応インターホンを押す。


 少し待っていると、鍵が開いて、成那さんが出てくる。成那さんが家にいて、私を呼んだ時に鍵が閉まっていることなんて初めてだった。


「お邪魔します」


「どうぞ」


 成那さんの家に一歩足を踏み入れると、いつものようにタバコの匂いが漂ってくる。その匂いに何故か不思議な安心感を覚える。


 私がベッドに座ると、すぐに成那さんが私の隣に座ってくる。


「疲れてるのに、呼んじゃってごめんね。今日、大変だったでしょ?」


「…いえ、全然大丈夫です」


 私がそう答えると、成那さんは黙ってしまう。

 その沈黙がなんだか重たくて、私は口を開く。


「成那さん、保育士さんだったんですね。意外でした」


「そう? 周りからは似合ってるね、ってよく言われるけど」


「そう、なんですか…」


 なんだろう。今日の成那さんはなんか、不機嫌というか、話し方に棘がある気がする。

 私、何かやらかしてしまっただろうか。


 思考をフル回転させるけど、心当たりは何もない。


「———…あの、成那さん…」


「あまねちゃんって、普段はあんな感じなんだね」


 話しかけた私を遮るように、成那さんはそう言ってくる。


「なんか、お店でもここでも見ないような感じだったから、びっくりしちゃった」


 成那さんは、そう言って薄っぺらい笑みを浮かべている。


 なるほど、私が『成那さんには関係ない』って言ったことに怒っているのか。


「あの、成那さん…!」


「なんであんな感じなの?」


「そ、れは…」


 成那さんは、私の顔を覗き込んでくる。


 私がキャラを作っている理由を話すには、話さないといけないことが多すぎる。


 話せないわけじゃない。成那さんになら話していいと思う。でも、そんな軽い感じで話すような内容ではないし、私が話したところできっと、優しい成那さんを困らせてしまう。


 そんなつもりじゃなかった、軽い感じで聞いてごめんねって、きっと言うと思う。


 そんな言葉は成那さんに言わせたくない。


 そう考えて、ふと思う。


 私はなんで、素の私で成那さんに接していられているのだろう。


 少なくとも、ただの居酒屋の店員と常連の関係の時は、私はキャラを作っていたはず。


 成那さんの家に来た時は、もう素の私になっていた。


 なんでだろう。この人になら、私を見せてもいいと思ったのかな。


 でも、なんで思ったんだろう。ただの居酒屋の店員と常連だったのに。


 私はぎゅっと手を結び、俯く。


 ぐるぐる考える。


「あまねちゃん?」


 長い間ずっと黙っていたからか、成那さんが声をかけてくる。


「ごめん。そんなに話したくないことならいいんだけど…」


 顔を上げると、成那さんが眉を八の字にして私を見つめていた。


「いや…! そう言うわけじゃなくて…えっと…その…」


「…本当に、無理しなくていいんだよ」


 私は一度深呼吸をして、断片的に理由を話し始めた。


「私、男性がすごく苦手なんです。それで、男性に、近づいてほしくなくて。男性が苦手なキャラだったら、近付かれないんじゃないかって。男性って、ぶりっ子があんまり好きじゃないって聞くじゃないですか。だから…」


 私がそう話し終え、成那さんの方を向くと成那さんは口を結んで固まっていた。


「すみません。大した理由じゃなくて」


 私がそう言って笑うと、成那さんはぶんぶんと首を振る。


「大した理由だよ。こっちこそごめん。簡単に軽い気持ちで聞いて」


 やっぱり言った。ごめんって。

 そんな風に言わせたかったわけじゃなかったのに。


 成那さんは俯いて、手を閉じたり開いたりしている。


 その姿を見て、私も俯いてしまう。


「あまねちゃん」


 成那さんに声をかけられて顔を上げると、申し訳なさそうな顔をした成那さんがこちらを向いていた。


「ごめん…その…聞きたいことあるんだけど、いい?」


「いいですよ」


「なんで、乙葉…さん? お友達の前でも、そのキャラなの?」


「男性の前だけキャラ変えてたら、媚び売ってるって思われるかもしれないじゃないですか。それで友達とかに嫌われたら嫌だからです」


「そっか…。あとひとつ、いい? ごめんね」


「そんなに謝らないでください。別に、構いませんから」


「……その…男の人が苦手な理由って、なに?」


 そう聞かれて、私は息を呑む。


 それは、それだけは。


 いくら成那さんでも。


「…ごめんなさい。それは…言えない、です」


 私が目を伏せながらそう答えると、成那さんは泣きそうな顔になる。


「ごめん。変なこと聞いちゃったね。本当にごめん」


「謝らないで。本当に、成那さんは何も悪くないじゃないですか」


 そう。全部私が言えない所為なんだから。

 構いませんよ、なんて言いながら私は成那さんと壁を作る。


 こうやって話すには、話が大きすぎるし、重すぎるだけなんだ。


 私は成那さんの肩を撫でる。

 すると成那さんは私の腕を引いて、私を抱きしめた。


「成、那さん…?」


 そう尋ねても、成那さんはぎゅうぎゅうに私を抱きしめている。


 びっくりしたけど、成那さんの体温や心臓の音が心地よくて、身を委ねてしまう。


「嫌なこと、話させてごめんね」


 そんな風に成那さんは呟く。

 私は成那さんの背中に手を回しながら答える。


「本当に、いいんですよ」


 成那さんはうん、と呟いて私を解放する。体温がなくなって、少し寂しい気がした。


 成那さんを見つめると、笑いかけてくれる。


 やっぱり、私はこういう掴みどころのない笑みを浮かべる成那さんの方が良いと思う。


 今日見た子供に向けたような笑みも素敵だったけど、こっちの方が成那さんらしい。


 ねえ、今日会った子達?


 成那さんのこんな表情知らないでしょ?


 貴方たちが知ってるせなせんせーだけが、成那さんのすべてじゃないんだよ。

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