第2話 渡すわけないだろ

 騎士と女性が跨る白馬は丘を駆け下りてくる。

 しかも減速する素振りがまるで無い。そのままの勢いでこちらに突っ込んでくる。


「……嘘だろ」


 明らかに俺たちの前で止まれるような速度ではなかった。

 これだけでもただならぬ様子だが、さらにおかしいことに気づいた。


 馬を駆っている騎士の体がぐらぐらと揺れていたのだ。

 しまいには態勢を崩し、どさっ、と大きな音を立てて落馬してしまった。


「……おいおいおいっ! どうなってんだよ!」


 白馬は女性だけを乗せ、こちらへまっすぐ突っ込んでくる。

 彼女は馬の背に抱きつくようにもたれかかっており、かろうじて落馬を免れていた。

 正面衝突を避けるべく、俺は白馬の動きを見切り、ギリギリで避けつつ指示を出す。


「ルルは馬の上の女性を! 頼めるか!」


「もちろん! マスター!」


 ルルはキリッとした声で返事をする。

 横を通り過ぎる白馬の鞍を掴み、ひらりと飛び乗った。


 流石は猫耳の獣人族。身のこなしが軽い。

 馬車で俺と共に旅をしていたことがあるから、馬の扱いにも慣れている。

 女性はルルに任せることにして、俺は落馬した騎士に走り寄った。

 

「大丈夫か!?」


 落馬だけでも相当にダメージがあるはずだ。

 膝をつき彼を優しく抱き起こす。

 背中には鎧を貫通するほどの大きな刺し傷があり、血が溢れ出していた。


「……あ、あんたがビゲルから依頼された男か」


 騎士はそう言ったあと、ごふっ! と口から血を吐きだした。

 やはりこの騎士が依頼の荷物を持ってきたのだ。


「ああ。そうだ。少しだけ待ってろ」


 ビゲルさんからの依頼は王都カザインまで荷物を届けること。

 それなりの長旅だ。医薬品は馬車に積んである。

 取って来ようとしたが、騎士はルルに支えられた女性に視線を向けると、かすかに安堵の表情を浮かべ、俺の手を掴んだ。


「……お、俺のことはいい。た、たしかに届けたぞ……」

 

 そう言って、先程よりも大量の吐血をした。

 出血はさらに増している。


「……っ」


 傷が深い。残念だが馬車に積んである医薬品ではこの傷を治療するのは無理だ。

 高位の回復魔法でも助かる見込みは低いだろう。


 騎士も死を覚悟しているらしく、最後の願いとばかりに強い視線で俺を見つめてくる。

 だとしたら――。

 俺が出来ることは、彼の意思を汲んでやることだ。


「荷物ってのは……一緒に馬に乗っていた女性のことか? 彼女を王都に連れて行けばいいんだな?」


「そ、そう……だ…………ごふっ! ごふっ!」


 俺の問いに答えようとして、また血を吐き出した。

 辺りの地面が彼の血で染まっていく。

 彼の体が痙攣し始めた。呼吸は浅く、肌が青ざめていく。


「…………た……たの……んだ……ぞ……」


 最後の力を振り絞るように言うと、体から力が抜けた。ずしりとした重さを腕に感じた。

 息絶えた騎士の体をゆっくりと地面に下ろし、目を閉じて祈りを捧げた。


 ルルが女性を馬に乗せ、こちらにやってきた。

 力尽きた騎士に悲しい顔を向ける彼女に聞く。


「……ルル。女性は?」


「外傷はありません。強い衝撃を受けたのか、気を失っているみたいです」


「やはり依頼の荷物ってのはその女性のことらしい」


「……そうですか」


「いったん、馬から下ろそう」


「……はい」


 ルルと協力し、出来るだけ柔らかそうな芝を選んで、女性を馬から下ろす。

 ビゲルさんは彼女を『荷物』と表現したが、長い金髪に整った顔立ち。

 服装からも身なりの良さが伺える。

 ただの庶民というわけではなさそうだ。


 そう考えていた時だ。

 黒馬が勢いよく俺達の前にやってきて、円を描くように周囲を駆けた。

 そして前足を上げ、ヒヒンと大きく嘶き、急停止する。

 白馬を追いかけていたうちの一頭だ。


 跨る騎士は、装飾のない実戦向きのプレートアーマーを頭から足の先まで着込んでいた。


「その女を渡せ。俺達が連れ帰る」


 開口一番、命令口調で言った。


 ヘルムの目視穴から鋭い眼光が見える。

 少し遅れて、もう一頭の黒馬が駆けつけてきた。

 こちらは黒と赤で装飾された豪華な重装鎧。先に来た騎士と違いヘルムは被っておらず、歴戦の騎士といった鋭い目つきを剥き出しにしている。


 俺たちを挟み込むようにして位置取ると馬を降りた。

 二人の鎧には見たことのない紋章が刻まれている。


「な、なんですか、あなたたち……」


 ルルは怯えた声を出し、小さく後ずさる。


「お前には関係ないことだ」


 ヘルムの騎士の声は刺すように冷たい。

 俺はルルと女性をかばうように、一歩前に踏み出した。


「確かにそうかもな。だが、この女性は渡せないな」


「なんだと、俺たちに歯向かうつもりか?」


 すぐに苛立たしげな声が返ってくる。


「とある場所に連れて行ってくれって依頼を受けているんでね」


「依頼だと……? ふ、ふはははっ! そういうことか!」


 ヘルムの騎士は高らかに笑うと、豪華な重装鎧を着た騎士に向き直る。


「隊長、どうします?」


「決まっている」


 隊長と呼ばれた騎士が淡々とした声で返すと、ヘルムの騎士は無言で腰の鞘に手をかけ、剣を抜いた。抜き身が陽光で鈍く輝いている。


「そうだ……あの獣人の女。俺が貰っていいっすか?」


「……ふん、好きにしろ」


 隊長は鼻で笑う。


「獣人の女も悪くないっすよ。たまにはどうです?」


「そういう趣味はない」


「残念。じゃあ俺だけ楽しませてもらいます。――おい、お前。最後通告だ。死にたくなければ、女二人を置いていけ」


 剣を弄ぶようにひらひら振った。

 答えによっては俺を斬り伏せ、ルルとこの女性を強奪するつもりらしい。

 だとしたら、なおさら譲る気はない。


「渡さないと言ったはずだが?」


 俺がそう言った途端、騎士の雰囲気が一変する。

 ピリピリとした凍てつく気配が走る。


「……いいぜ? なら、お前を殺して奪うだけだ」


 騎士は上段に構えた。

 今まで何人もあやめてきたのだろう。動きに一切の淀みがない。

 隊長は腕を組み、一歩下がって高みの見物と言った様子だ。


「馬車まで下がってろ。こいつら、本気だ」


 俺はルルに声を掛ける。

 ルルは芝の上の女性に視線を向けた。


「この人はどうしますか?」


「放っておいて構わない。連れて帰ると言った以上、危害を加えることはないはずだ」


「了解、マスター! 、気を付けてください!」


 ルルは機敏に走り出す。


「ククク……逃げろ逃げろ。泣き叫ぶ女を嬲るのは最高だからなぁ」


 そのルルを侮辱し続ける言葉に、俺は非常な不快感を覚えていた。

 気づけば、強く睨みつけていた。


「……あ? なんだその目は。さては貴様、あの獣人とそういった関係か? 安心しろ。その役目、変わって――」


「いい加減にしろよ」


 これ以上、聞いていられなかった。


「あいつのことをそんな風に言うのは許さねぇぞ。ゲス野郎」


 胸の奥に黒いものが湧き上がり、言うと同時に、スキル《剛力》を発動した。

 マナが体を巡り、力がみなぎる。

 

「ほう……貴様、加護を受けし者か」


 加護を受けし者――誰もが持つ生命力『マナ』を操り、スキルや魔法を使える存在だ。

 ヘルムの騎士は俺が加護を受けし者であることに驚きつつも、どこか楽しそうだ。


「でかい口を叩くのは、それなりの自信があってのことか。ならば俺も本気で行くぞ! うおおぉっ!」


 唸るように気合を入れると、体の周りにマナが渦巻いた。

 スキル《疾風》――超速で移動可能となる。

 こいつも加護を受けし者だ。


「目にも止まらぬ速さの前に、死ねぇ!」


 叫ぶと同時に跳躍。ギュン! 風を切り裂き突撃してくる。


 ――速い。


 だが。


「遅い」


 重装備での踏み込みにしては凄まじい。スキルの修練に余念が無いこともわかる。

 それでも、俺から見れば凡庸だ。

 俺は腰を落とし、右足を引く。正拳突きを構えた。


「もらったぁ!」


 騎士の剣が振り抜かれる――よりも早く、拳を放つ。


「セイッ!!」

 

 スキルを発動して放つ超速の拳は、周囲の地面を抉るほどの衝撃波を生み出す。

 加護を受けし者であっても、直撃すればただでは済まない。

 それは周囲一帯に轟音を響かせ、ヘルムの騎士と隊長の間を抜けていった。


「ぶへっ!」「ぐあっ!」


 ルルに対する侮辱は許しがたいとしても、殺すほど恨んでいるわけではない。

 だから敢えて外した。


 それでも飛び込んできた騎士は空中でひっくり返り、地面に激しく打ち付けられ、滑稽に転がった。

 隊長も衝撃波で脳が揺さぶられたらしく、ぐらりと体がよろめき、その場に倒れ込む。


 二人はぴくりとも動かず、情けない姿を地面に晒していた。

 きっと、しばらくは目を覚まさないだろう。


「依頼された荷物を届けるのが配達屋の仕事なんだよ。渡すわけないだろ」


 意識を失った二人に吐き捨てるように言い、振り返る。


 荷物――。

 寝かせていた女性の背に、手を回した。

 色白ですらりと細い。女性らしい、やわらかな体だ。

 依頼主のビゲルさんが言っていた通り、片手でも持てるくらい軽い。

 だが、


「こんな大事な荷物、片手で持つなんて出来ねぇよ」


 皮肉を込めて独りごちた。

 ゆっくりと彼女を両手で持ち上げ、お姫様抱っこをしてルルのいる馬車に向かった。


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