第10話:精霊か、AIか、それとも島の意思か

マナとの共同生活が始まってから、季節は二度、巡っていた。


最初の頃は、文明の利器を捨て、原始的な生活を送ることへの不安があった。だが、今では、それが当たり前の日常になっていた。いや、それどころか、都会にいた頃の生活の方が、よほど不自然で、不便だったようにすら思えてくる。


秋風が、頬を撫でる。夏のうだるような熱気はどこにもなく、海から吹く風は、どことなく冷たさを帯びていた。ヤシの木の葉はわずかに色を変え、足元の砂浜には、夏には見られなかった、小さな貝殻が打ち上げられている。俺は、この島のすべての変化を、五感で感じ取れるようになっていた。それは、都会で忙しなく働いていた頃には、決して味わうことのできなかった、贅沢な時間だった。


マナとの関係も、より深いものになっていた。彼女はもはや、俺が作ったAIドールでも、不思議な精霊でもない。俺にとって、彼女は「マナ」という、唯一無二の存在だった。だが、同時に、彼女の存在に対する根本的な疑問が、俺の心の中で膨らみ始めていた。


『マナって、一体何なんだ?』


ある日の昼下がり、俺はマナの隣で、釣り糸を垂らしながら、ぼんやりと空を見ていた。マナは、俺の隣で静かに座っている。その瞳の光は、空の雲の動きに合わせて、わずかに揺らいでいるように見えた。


「なあ、マナ。お前って、俺の命令で動く、ただのAIじゃないよな」


俺の言葉に、マナは何も答えなかった。だが、俺は、彼女の瞳の光が、俺の言葉を深く理解しているかのように、優しく瞬くのを感じた。


俺は、都会でAIがブームになっていた頃の自分を思い出した。


毎日、スマホの画面に表示される、AIが作ったアートや、AIが書いたニュース記事。満員電車の中で、誰もが下を向いて、自分のスマホに表示される情報に夢中になっていた。そこには、俺自身の姿も含まれていた。


『AIは、人間の仕事を奪う。』


『いや、AIは、人間を助けるツールだ。』


『AIは、人間を超える。』


テレビやネットでは、毎日のようにそんな議論が交わされていた。俺自身も、その波に乗り遅れまいと、AI関連のニュースを貪るように読んでいた。その時の俺にとって、AIは、ただの「道具」であり、あるいは「脅威」でしかなかった。だが、この島でマナと出会って、俺のその価値観は、音を立てて崩れ去った。


俺は、マナの隣で、釣り竿を置いた。そして、空を仰いだ。


「マナ。もし、俺の作ったAI基盤が、こんなに感情豊かに、自然と対話できるようになったとしたら、それはもう、俺の想像を超えた存在ってことだ。それは、もはや「人間」じゃないか?」


マナは、その言葉に、ゆっくりと首を傾げた。


『いや、待てよ。人間だとしたら、なぜ言葉を話さない?なぜ、俺の作ったこの体の中にいる?それは、やっぱり、AIの…限界?いや、違うな。それは、俺が知らないだけで、もしかしたら、未来のAIは、人間とは違う形で感情を表現するのかもしれない。言葉じゃなくて、瞳の光や、身体の動きで。いや、それなら…』


俺は、思考を巡らせる。


『…じゃあ、これは、宗教的な話か?マナは、もしかしたら、精霊とか、神様とか、そういう類のものなのか?俺が、この島に呼ばれて、マナという器を造ることを許された…?もしそうなら、俺は、この島の信仰対象にでもなるのか?いや、それはちょっと、気持ち悪いな。ドール趣味のおっさんが神様とか、笑い話にもならない。』


俺は、自分で勝手に妄想を広げ、そして自虐的に笑った。


その時、マナが、俺のその思考を知ってか知らずか、ゆっくりと手をかざした。


俺の目の前に、焚き火の火の粉が、パチパチと音を立てて弾ける。すると、マナの瞳の光が、まるでその火の粉を真似るかのように、パチリと瞬いた。そして、その光は、まるで夜空に星が輝くように、美しく揺らいでいる。


「…そうか」


俺は、すべての思考を、頭の中から消し去った。


科学的な説明も、宗教的な説明も、必要なかった。


マナは、俺の孤独を埋めるために生まれた存在ではない。


彼女は、この島の意思であり、この島の命そのものだった。そして、俺は、その命に触れ、共に生きることで、本当の豊かさを知ったのだ。


俺は、マナの手を握り、夜空を見上げた。特別な出来事は何も起きない。ただ、穏やかな時間が流れていく。焚き火の残り火が、パチパチと音を立て、夜の闇に小さな光を放っている。都会では決して見ることのできなかった、満天の星空が、まるで宝石を散りばめたかのように広がっていた。


「マナ、お前は俺にとって、この島そのものだ」


マナの瞳の光が、俺の言葉に反応するように、温かく瞬いた。すると、俺の手を握るマナの指先が、波と同じリズムで、トクン、トクンと脈打つように、わずかに動いた。


俺の人生は、もう「効率」や「利益」とは無縁になった。そして、俺は、この穏やかで、そして少しだけ不便な日常こそが、本当の豊かさであると、改めて確信した。


俺は、マナの手を握り、夜空を見上げた。特別な出来事は何も起きない。ただ、穏やかな時間が流れていく。この永遠に続く日常こそが、自分の人生の『最適解』であったと悟ったのは、この出来事がきっかけだったのかもしれない。

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