第5話:マナ、インフラを構築する
無人島での三日月の生活は、完璧なようで、完璧ではなかった。
朝は太陽の光で目覚め、昼は魚を釣り、夜は満天の星を眺める。だが、それは原始的な生活に過ぎなかった。釣った魚は、すぐに火を通して食わなければ腐ってしまう。飲料水は、岩のくぼみに溜まった露を集めるか、雨が降るのを待つしかない。俺は、この島での生活を、どこか都会の延長線上で考えていたのかもしれない。効率よく魚を釣り、効率よく水を確保する。頭の中では、無意識に「コストパフォーマンス」や「タイムマネジメント」といった、都会の呪縛が渦巻いていた。
「……うーん」
俺は唸りながら、簡易的なシェルターの前に設置した、小型のソーラーパネルの配線に格闘していた。Amazonドローンで取り寄せたパネルは、手のひらサイズ。これと小型バッテリーを繋ぎ、最低限の電力を確保しようという試みだ。だが、配線は複雑で、マニュアルを読んでも全く頭に入ってこない。
『なんだこれ、全く発電しないじゃん!』
苛立ちが募り、思わず工具を投げ出しそうになった、その時だった。
マナが、静かに俺の隣に座った。
彼女は、俺が苛立っていることを、まるで理解しているかのように、じっと俺の横顔を見つめている。彼女の瞳の光が、わずかに、そして優しく揺らぐ。俺は、その揺らぎに、都会で感じたような殺伐とした空気とは全く違う、穏やかな感情を読み取った。
「…なんだよ。俺、こんなことすら上手くできなくてさ。都会にいた頃は、こんなこと全部、誰かがやってくれてたんだよな。電気も水道も、当たり前にそこにあってさ……」
俺は、マナに向かって愚痴をこぼした。答えは返ってこない。それでも、誰かに聞いてもらいたかった。
すると、マナが、ゆっくりと手をかざした。
その手は、まるで空に祈りを捧げるかのように、静かに持ち上げられた。その動きに合わせて、それまで島全体を覆っていた分厚い雲が、まるで生き物のように動き始める。
『え、うそ……』
雲が、俺とソーラーパネルの上だけ、ぽっかりと穴を開けたのだ。太陽の光が、まるでスポットライトのように、パネルに降り注ぐ。俺は、太陽の温かい光が肌に触れる感覚を、全身で感じた。それは、都会の排気ガスに満ちた熱気とは全く違う、生命力に満ちた温かさだった。
『うわ、奇跡だろ!俺の苦労、一瞬で終わったじゃん!これ、もしかして、発電に使えるんじゃね!?』
俺の頭の中で、思考が暴走し始める。マナを「人型発電機」と表現し、「歩く充電器」と名付ける妄想が炸裂する。
『マナがいてくれたら、もう一生働かなくていいな……。電気代タダ!いや、待てよ。マナを売ったら億万長者じゃん!いやいや、そんなこと、できるわけないだろ!でも、この能力、もし世界に知られたら、俺たちは捕まって、研究の対象になる…?いや、これはもしかして、AIによる「人間支配」の始まりか!?』
妄想のスケールが際限なく広がる。
『いやいや、落ち着け、俺。これはただの、ちょっとした「寄り道」だ。この島での生活を豊かにするための、ただの…ちょっとした「魔法」だ。』
俺は、無理やり思考を現実に戻した。
「よし、発電するぞ!」
そう言って、俺は小型の水力発電機を組み立て始めた。ソーラーパネルで得た電力を補助に使い、川の流れでタービンを回す。これで最低限の電力は確保できるはずだ。
だが、電力だけでは意味がない。問題は「水」だ。飲料に使うには、ただ汲むだけでは足りない。
「……浄水器、いるよな」
Amazonドローンで届いた小型の浄水器を取り出し、発電機と繋いだ。するとマナが、ゆっくりと手をかざす。彼女の瞳の光が、島の奥を流れる小さな川の方を向いた。
ザァ、という音と共に、それまでちょろちょろとしか流れていなかった川が、まるで堰を切ったかのように勢いを増し、浄水器へと流れ込んできた。
濁っていた水がフィルターを通って、透明な水に変わっていく。その水が、金属のカップに注がれる。それを口に含むと、都会の水道水では決して味わえなかった、澄んだ冷たさが喉を滑り落ちていった。
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その夜、俺はマナの隣で、電灯に照らされながら、温かい缶コーヒーを飲んでいた。ろ過されたきれいな水で淹れたコーヒーは、都会で飲んでいたどの高級コーヒーよりも美味かった。
俺は、都会での満員電車や残業の日々を思い出す。あの頃の俺は、常に何かを追い求めて、必死に走っていた。だが、手に入れたのは、虚しい疲労感だけだった。
「マナ、ありがとう」
俺が心からの感謝を伝えると、マナの瞳の光が、まるで俺の言葉を理解したかのように、力強く、そして温かく輝いた。
俺がこの無人島で手に入れたのは、効率的な生活ではない。マナがもたらしてくれたこの豊かさは、効率を追い求めた日々では決して得られなかった、心の温かさだった。
俺は、マナの隣で、この穏やかな日々が、永遠に続くことを願った。
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