あいつからの切手のない手紙
久しぶりに、まだ太陽が登っているうちに仕事から帰ることができた。といっても、夕日だが。
満員電車を降り、駅から自宅までの2キロ。自分の影が、道に長く伸びていた。後ろから誰かが近づく。振り向くと、ウォーキングのおじいさんだった。彼は足と腕を規則正しく動かし、私を追い越していく。老人の歩行速度に、負けた。
自宅までたどり着く。愛しのボロアパート。部屋に入る前に、ふとベランダに目をやる。柵にくくりつけられた小さな赤い風車は、回っていない。
郵便受けを確認する。手紙が入っていた。夏っぽい、海月が泳ぐ、涼やかな青の封筒。
――って、いま秋だが。
差出人の名を見ずとも確信した。こんな季節外れの装いの手紙を寄越すなんて、あいつくらいだろう。口角が上がるのが分かる。
玄関を開ける。ヒールをテキトーに脱ぎ散らかし、立ったまま手紙の封を開けた。
『やっほー。げんきしてる〜?』
丸っこくて、少し読みにくい文字。学生時代から変わらない。
『きょう、あんたの部屋に来たんだけど、あんたいなかったから、こうして手紙をおくことにした!』
ん? きょう? 封筒を確認する。
切手が貼り付けられていない。直接、郵便受けに入れたということか。なんでそんなことを……。いや、でもあいつらしいか。
『あたしがあげた「幸運の赤い風車」、ちゃんとつけててくれてんだね。ありがとね〜』
つけててくれた、というより、あんたが何も言わず勝手にくくりつけていったんでしょうが。異様に固結びされていて、ぜんぜん取れないんだぞ、あれ。部屋を退去するとき、どうしてくれる。
『なんか風車って、子どものころのワクワクがもどる気がすんだよね。ヘンに好きじゃなかった? 風車が回るの見るの』
『風がヒューッてふいて、クルクル〜ってする。それだけなのに、なぞに楽しいんだよね』
それは、あるかもしれない。上手く説明できないけれど。
『でもさ、風車ってちょっと「待ち」な感じあんじゃん。風がふかないと動かんし』
『あと、クラゲ。封筒がそれだから気づいたんだけど。自力で泳げんらしいよ。アレも「待ち」』
「待ち」か。分かる気がする。
『ちょっとあんたに似てるよね』
は? 私が風車だと?
『あんたもさ、風にふかれるとか、波に流されんじゃなくて、嵐をまきおこすがわになったら?』
『な〜んてね!』
そこで手紙は終わりだった。
……「あんたは風車に似ている」か。言ってくれるじゃないか。
掃き出し窓を開け放ち、ベランダに出る。赤い風車へと近づく。
大きく息を吸い込んで、ふーっ! と息を吐き出した。風車は、少しだけ回った。
嵐にはほど遠い。しかし、無風ではない。小さいことから始めるんだ。
まずは、老人に負けない歩行速度から、かな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます