この世界で、君とだけは出会えた
『セレンさんがログインしました』
その通知が表示されたとき、私は自然と口元がゆるんだ。
誰かに恋をしてるときって、こんな感じなんだろうか。
顔も声も、本名さえ知らない相手に、こんなふうに気持ちが動くなんて、数ヶ月前までは想像もしなかった。
私がこのゲームを始めたのは、なんとなく日々が寂しかったからだった。仕事で疲れて、何も考えたくない夜。
誰かと話したいけれど、リアルで人に会う元気はない。
そんなとき、ふと広告で見かけたファンタジーRPG。
名前を決め、髪型を選び、レベル1からの世界をひとりで始めた。
初めてセレンと出会ったのは、初心者向けの森だった。
敵に囲まれてピンチだった私のキャラに、助け舟を出してくれたのが彼だった。
『大丈夫?初めてっぽいね』
その時点では、ただの親切な人、くらいにしか思っていなかった。
だけど、やり取りを重ねるうちに、セレンは毎日のようにログインしては私をパーティに誘ってくれるようになった。
『今日もどこか行かない?』
『この装備、君の職に合いそうだよ』
やさしくて、少しおせっかいで、でもどこか距離を保っている。
そのバランスが心地よかった。
ある日、ちょっとリアルで落ち込んでいて、なにもしたくないな……と思っていたときも、セレンはログインしていた。
『元気ない?』
どうしてそんなふうにわかるんだろう、と思った。私はその夜、自分でも驚くほどいろんなことをセレンに話していた。
仕事のこと、家族のこと、リアルで言えなかった小さな不安。
セレンは黙って聞いてくれて、ときどき短く返事をくれるだけだったけれど、その一つ一つが、妙にあたたかかった。
『無理しなくていいよ』
『ここでは、自分のペースでいこう』
文字だけなのに、どうしてこんなに救われるんだろう。
ゲームの中の名前だけで繋がっているはずなのに、どうしてこんなに心が動いてしまうんだろう。
それからというもの、私は毎晩セレンのログインを待つようになっていた。 チャットの通知音に胸が高鳴り、ゲームの世界でセレンの姿を見つけると、安心してしまう。
あるとき、ログイン直後に彼がつぶやいた。
『今日は、リアルで少しだけ嫌なことがあってさ』
珍しくセレンのほうから、リアルの話。 私は驚きながらも、うれしかった。
『そっか。話したくなったら、いつでも聞くよ』
彼は少し間を置いてから
『ありがとう。君って、やっぱり優しいね』
と返してきた。
たったそれだけのやりとりなのに、画面越しの私はしばらく胸がドキドキしていた。
『セレンさんがログインしました』
その通知が、今日も胸をふわりと揺らす。
リアルで会ったこともない。性別も年齢も、本当は知らない。
それでも、私はセレンに会いたいと思ってしまう。
この感情に名前をつけるのは、もう少しあとでもいいかもしれない。
ただ今は、ゲームの世界のどこかで、“彼”が待ってくれている。
私はその場所へ、静かにログインする。
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