第六章 彼らは戦場で出会う (1)

 災厄が去ってから十六日目の深夜、ドフヤは村中に響き渡る警報の音で目を覚ました。


 最近はずっと天気が良かった。水害ではなさそう、まさか火事? 窓辺に歩み寄って外をのぞき、火の手が家からどれほど離れているかを確かめようとしたその時、「戦争だ! 遏令アツレイが攻めてきたぞ!」誰かが大声で叫んだ。


「えっ?」ドフヤは一瞬、ぽかんとした。


 すぐに家族が起き出した。母、ニーシャ、ドフヤの三人はまず子どもたちに服を着せ、それから手を引き、あるいは抱きかかえて、戦争神廟への避難に向けて動き出した。父は銃を取り、城壁の防衛に向かった。


 ドフヤたちは家を飛び出し、近隣の人々と共に分厚い壁を持つ戦争神廟を目指して走った。


 外に出ると、ドフヤの耳に怒号や悲鳴が飛び込んできた。遠くの空が、まるで火事のような赤い光に照らされている。下から上へ、燃え上がる炎の色だった。ドフヤは胸の不安を必死に抑え、イナを抱きかかえ、母の背中を追って走った。


 やがて彼らは戦争神廟の分厚い壁の中へと身を隠した。村の人々も次々と駆け込んできて、緊張した面持ちで口々に話し始める。


「なんで遏令が……供物はちゃんと届けたはずなのに……」


「もしかして、遏令じゃなくて山賊じゃない? 哨兵の見間違いだろ?」


「旦那……無事でいてくれ……」


「お人形さんは? お人形さん、どこ?」


 何時間が経ったのか分からない。警報の音は止まず、危機が去ったという知らせもない。その代わりに、「防衛が足りないんだ! 誰か、来てくれないか!」と知らせに来た者がいた。


 神廟の中が静まり返った。集まっているのは女たちと子どもたちばかりだ。


 二秒後、年長の男の子たちと、何人もの女たちが立ち上がり、出口へ向かって歩き出した。


「ママは残って、みんなをお願い」そう言うと、ドフヤも立ち上がり、出口へ駆け出した。


 ドフヤは戦士たちと共に、銃と鉄帽、防弾チョッキを取りに行った。学校では銃の使い方や、基本的な武術は習っていた。戦士たちには遠く及ばないけれど、今はそれを言っている場合じゃなかった。






 指揮官の命令で、彼らは城壁の上に移動し、掩体の後ろに身を隠して敵兵に向けて発砲するよう指示された。


 ドフヤは城壁に上がって外を見下ろした。まず目に入ったのは、彼らが汗水流して育ててきた農地がすべて燃え上がり、火の手が空に向かって立ちのぼっている光景だ。そして、その向こうの地上では、密集した人影と機械たちが入り乱れて戦っている。城壁の一部に大きな穴が空いていて、皆がその箇所に集まっていた。


 彼女は火を噴く機械馬を見た。機械龜からは次々と敵兵が降りてくる。


 その敵兵たちの体格は、普通の人類のほぼ倍に近いほど巨大だ。


 ドフヤの目に、彼らの装備に刻まれた遏令の聖石碑の紋章が映る。あの体格、あの紋章、間違いない、遏令の聖兵だ。


 彼女は、聖兵が怪力で仲間たちを容易く殺していく様子を目の当たりにした。迷っている暇はなかった。敵兵を狙って引き金を引く。だが、聖兵は身体を揺らしただけで、倒れない。


 防弾服に当たった。すき間を狙わないと!


 彼女は再び照準を合わせ、今度は聖兵の動きも計算に入れて撃った。今度はうまくいった。聖兵は鮮血を噴き、倒れた。


 ドフヤは荒く息を吐きながら、次の敵を狙う。


 その瞬間、誰かの叫び声が耳を貫いた。「伏せろ!」


 反応する間もなく、すぐ隣の城壁が爆発した。


 爆発した位置は、彼女から五メートルも離れていなかった。


 彼女は衝撃で吹き飛ばされ、地面を二回転してようやく止まった。銃も今にも手からすっぽ抜けそうだった。頭はぐらぐらし、耳の奥では音が鳴り響いている。しばらく地面に倒れていたが、ようやく身体を起こす。


 元いた場所のすぐ隣には、大きな凹みができている。そこに立っていた人は、原形を留めていない泥となっている。


 彼女は立ち上がり、城壁の外を見る。


 遏令の部隊のずっと後方。そこには一頭の機械ゾウがいて、煙を上げる象鼻をこちらに向けている。あれが城壁を吹き飛ばした張本人だ。


 あれを止めなければ、城壁は時間の問題で突破される。戦争神廟の分厚い壁だって、同じ結末を迎えるに違いない。


 彼女は、仲間が機械馬に乗って突撃し、機械ゾウに近づこうとしては、聖兵に何度も押し返されているのを見た。


 頭上では、仲間が機械コウモリに乗り、火薬を抱えて飛び立っていく。


 この距離じゃ届かない。無理だ。


 そう思った瞬間、機械コウモリは空へと斜めに上昇し、操縦者が魔力を振り絞って最高高度まで駆け上がる。そして、放たれた矢のように放物線を描きながら、機械ゾウへと向かっていった。


 機械コウモリ四機が、搭乗者ごと聖兵の群れに墜落し、敵を巻き添えにして爆発した。


 そのうち二機は機械ゾウに激突し、一機の爆発が象鼻を吹き飛ばした。


 味方の陣営から歓声が上がる。


 しかし、それも束の間だった。聖兵たちは機械ゾウの火を消し、機械龜から新しい砲管を運び出して、交換の準備を始めた。


 止められない。どうすればいいの? ドフヤはさらに一人の聖兵を撃ち倒した。だが、それでも終わりが見えない。


 地面には死体が散乱している。最初は我々の兵が圧倒的に多かった。だが、その差は徐々に縮まりつつある。正式な訓練を受けた戦士たちが全滅する頃には、残るのは、わずかな戦闘訓練しか受けていない普通の男たち、補充された少年と女たちだけになる。そのとき、戦力差は恐ろしい形で逆転するだろう。


 皆、殺される。


 ドフヤは分からない。なぜ、こんな残酷なことをする必要があるのか? 私たちは遏令の人を殺したわけでもない。災厄が去ったばかりなのに、まだ死者が足りないとでもいうのか?


 機械ゾウは新しい象鼻を備え、ドフヤの方へとそれを向けてきた。


 その象鼻の中心に、赤い光が灯るのが見える。


 ドンッという轟音とともに、機械ゾウが炎に包まれた。象鼻は歪んだ外殼ごと地面に落ちた。


 ドフヤはまだ生きている。彼女のいる場所の城壁も、貫かれてはいない。


 遏令の聖兵たちの背後に、別の部隊が現れた。彼らは遺跡都市の光焰核心の旗を掲げている。


 最初に現れたのは、火を噴く機械馬の部隊だった。機械馬の背に乗った兵士たちは、高速で移動しながら銃を撃ち、聖兵の防弾服の隙間を正確に撃ち抜いていく。彼らは稲妻のように敵陣を駆け抜け、敵を殺してはすぐに離脱した。聖兵たちは次々と塔盾を構え、機械龜の周囲に集結する。


 続いて現れたのは、機械龜の部隊だった。その隊列の最後尾には、二台の機械ゾウが控えている。そのうちの一台の砲管からは、まだ煙が立ち上っている。それこそが、遏令の機械ゾウを燃やした砲撃の正体だ。


「援軍だ!」「突撃しろ!」「奴らを追い出せ!」「行けえええ!」


 遏令の部隊は撤退を始めた。我々と遺跡都市の部隊が前後から挟み撃ちにし、守勢から一気に攻勢へと転じる。戦士たちは城壁の穴からなだれ込み、逃げる聖兵たちを追いかけた。


 空がほのかに明るくなり始めた頃、戦いは終わった。聖兵たちは、死ぬか、逃げるかのどちらかだった。遏令の機械ゾウは、ただの鉄くずと化している。


 人々は戦場の整理を始め、死体を運び出し、まだ息のある者を探し始める。ドフヤも銃を下ろし、城壁を降りてその作業に加わった。






 ファンは深夜に叩き起こされ、警戒隊の緊急招集に応じた。彼らは農業村からの多数の救難信号を受信していた。


 会議室へ駆け込むと、先に到着した者たちが情報の整理を進めていた。


 農業村は彼らにとって重要な交易パートナーだった。遺跡都市はこれまで幾度も農業村の防衛を支援してきた。城壁を築き、銃器を提供し、戦闘訓練を施し、周囲に盗賊が現れれば討伐にも向かった。危機が迫った際には、花火を打ち上げて知らせる取り決めも交わしている。


 しかし、今回は様子がおかしかった。各地の農業村を襲撃してきたのは、まさかの遏令だった。


「全く理屈に合わないだろ。農業村がやられたら、あいつらだって腹を空かせることになるんだぞ」同僚は信じられない様子で声を上げた。


「遏令に近い村々はすべて攻撃された。離れた村も、時間が経つとやられてる。どんどん我々の支配域に近づいてるってことだ。これは農業村を防衛に向かわせたうえで、背後を突く作戦じゃないか?」ファンが言った。「災厄が過ぎ去ったばかりで、指揮系統が混乱してる今を、連中は好機と見てるのかもしれない」


「俺たちを片付けた後なら、農民を好き勝手に奴隷に落とすことができるってわけか」仲間が歯噛みしながら言った。


「罠だとしても、救助に行かないわけにはいかない。ただし、出払った後の防衛の穴は、他の都市に埋めてもらうようにするべきだ」ファンが言った。


「連絡を始めろ」隊長が命じた。「すべての都市の警戒隊を動かせ!」






 夜が明けると、災厄研究会のメンバーたちは会議のために集まった。議題は遺跡開放報酬制度の見直しだったが、話題は完全に戦争へとすり替わっていった。


「遏令に近い村は全部焼かれたらしい」「じゃあ、今年の収穫は……」「住民たちをすぐに無事な村へ移せば……」


「なぜ、こんなことを?」誰も理由がわからなかった。


「災厄が明けて、みんなが悲しんでいるこの時に──」誰かが呟く。


「災厄と関係あるんじゃないか?」すぐに別の声が続く。


 突然、誰かが口を開いた。「今回の災厄、予測より一年も早く来たんだぞ。それって、奴らの仕業なんじゃないのか?」


 災厄の発生間隔は、回を重ねるごとに少しずつ短くなっていた。なぜ災厄が起こるのか、なぜ間隔が縮まるのかはわかっていない。それでも災厄研究会では、過去の記録をもとに推移をグラフ化し、次の発生日を予測していた。これまでは予測と現実に大きな差はなかった。しかし、今回は違った。予測より約一年も早かったのだ。グラフの曲線は、急に鋭く傾いていた。


 話題は一気にその方向へと傾く。


「奴ら、災厄の知識をずっと独占してたよな? 回避する技術があるのに教えようともしない! 人間扱いすらしてないんだ!」


「やつらは人を殺すのに理由なんていらないんだよ。俺たちが死に絶えることを、心の底では望んでるんだろ。食糧が足りなくたって、こっちが全滅してくれた方が食糧も足りる! そう考えるような連中なんだよ、あいつらは!」


「もしかして、災厄を制御する方法を見つけたんじゃないか? だから一年前倒しにできた。けど災厄は半分しか殺せないから、自分たちで残りを始末しようとしてる?」


「それだ! 絶対そうだ!」


「このままじゃまずい! 遏令を止めなきゃ!」


「やられっぱなしで済むか!」


「全面戦争だ!」


「災厄をやつらの手に渡してはならない!」


 ディワンは、呆然と議論の流れを見つめていた。今朝ここへ向かう途中、民衆も似たようなことを口にしているのを耳にしていた。遏令が災厄を早めたのではないか、という噂だった。


 災厄研究会の指導団は、博識な学者たちだ。それなのに、今の彼らの発言は、街で耳にした、基礎教育しか受けていない人々の言葉と何ら変わらなかった。


「今回の災厄が起こる前、まだ十歳の聖兵が外にいた。若い聖兵にも死者が出ている。遏令も、災厄が前倒しになるとは知らなかったはずだ」ディワンは、そう口にしてみた。だが、誰も彼の言葉に耳を貸さなかった。


「復讐だ、農業村のために報いを!」その叫びは、人々の口々へと伝播していった。


 その声は、やがて数日かけて、遺跡都市連盟の中で最大にして、ほぼ唯一の世論へと成長していった。






 ファンの部隊は、激しく抵抗していた農業村を救援した。


 聖兵は撤退したが、この村はあまりにも聖城遏令に近すぎた。肉眼で聖城を見渡せるほどだ。遺跡都市の部隊は、この村を長期的に防衛するのは不可能だと判断した。


 村の移転が必要だった。


 災厄の後、生存者の少ない村が合併されることがある。そうした合併は、時間に余裕がある中で、徐々に生活を調整しながら進められるのが常だ。たいていは、一か月ほどの時間をかけて互いに顔を覚え、仕事や暮らしの役割を調整し、旧い土地への別れの儀式を済ませる。合併が完了した後には、新たな住民を土地へ紹介する迎えの儀式が行われる。


 今回、隊長が求めたのは、四十八時間以内の緊急撤収だった。


「必要最低限の荷物だけを持て。できる限り軽装で移動しろ。移動中に追撃を受ける可能性がある。迅速に行動しろ」


 行き先の村さえ決まっていない段階での出発。当然、村民たちはその言葉を聞いて呆然とした。


「戻ってこられますか?」彼らは震える声で尋ねた。


「期待するな。おそらく無理だ。命が何より大切だ。すぐに準備を始めろ」


 隊長の言葉は、村民たちの体から最後に残っていた力を吸い取ったかのようだった。


 ファンの目には、彼らの姿が断縁儀式で見た、力を得られなかった者たちに重なって見えた。彼らの時は止まり、前に進めずにいる。






 ドフヤの父は村の会議から戻ってくると、家族に向かって言った。「早く荷物をまとめろ。村を移ることになった」


「どういう意味?」ドフヤはその言葉を聞いたことがなかった。弟と妹たちもわかっていない様子だったが、母が深刻な顔をしていることに気づいた。


「すごく悪いことなの?」ドフヤは尋ねた。


「悪いことじゃない」父は眉をひそめて言った。「つまり、俺たち全員、この村の人がみんな、この村を出て、別の場所に移って暮らすってことだ」


 ドフヤは口を開けたまま、言葉が出なかった。


 父は続けた。「田はもう、あの連中に焼かれちまった。たとえまた種をまいたって、どうせまた焼かれるさ」父は口に出さなかったが、皆わかっていた。あいつらがまた来るときは、田だけじゃすまない。人も殺される。「遺跡都市は、俺たちを防衛線の向こう側に移したいんだ。向こうで守られてる村と合併させるってさ。なんて言えばいいか、うまく言えないけど、ちょうどこの前、災厄があっただろ? 空き家もあるし、放置された畑もある。だから、俺たちを受け入れてくれる村は見つけやすいらしい。遺跡都市がそのへんの手配は全部してくれるそうだ。俺たちは向こうに移ればいいだけだ」


「いつ出発するの?」母が聞いた。


「四十八時間後だ」


「じゃあ、すぐに準備を始めないと」母はすぐに持ち出す物を考え始めた。「貴重品、着替え。向こうに何があるかわからないけど──もともと誰かが住んでた家に入るなら、食器とか、前の家のを使っていいのかな? それとも、そういうのって、向こうではすぐに分ける習慣でもあるの?」


「わからん、今のところは何も。とにかく、余ってる板で箱をできるだけ作っておく。荷台も少しは補強しておきたい。運べる量なんてたかが知れてる。必要なものだけ厳選しろ。そうじゃないものは置いていくぞ」


 ニーシャが口を開きかけたとき、ドフヤはそれに気づいた。あの子にはたくさんの服や飾りがあったけれど、それらは、持っていくのは難しいだろうと思った。


「デイジーの本、持っていっちゃだめ?」ニーシャは、今にも泣きそうな顔だ。


 ドフヤははっとした。デイジーの部屋は、本で埋まっている。どの本にも、彼女の書き込みがびっしりと残されている。デイジーが亡くなってから、ニーシャはずっとその本を読んでいた。


 イナも。ドフヤが顔を向けると、彼女も、今にも泣きそうだった。彼女が着ている服、かけ布団、ベッドと机。全部、旧宅から持ってきたものだった。それらには、彼女と家族の思い出が詰まっていた。それらがあったからこそ、ここを家だと思えたのだ。でも、それらは大きくて重くて、もう持ち出せない。


 父の目が赤くなり、母は鼻をすすりはじめた。ビルディもドプも、異様に静かだ。テマとサンヤは、大人たちの様子を不安げに見つめている。この家族も、この村の人々も、災厄で多くの親しい人を失った。そして今、その人たちを思い出す場所さえも、失おうとしている。


 この村では、いまだに多くの人が毎日、森へ足を運んでいる。亡き人が静かに眠る場所へ向かって。


 遏令に殺された人たちは、そもそも葬式をあげる暇すらなかった。


 母は両腕を広げて、みんなを呼んだ。


 ベビーベッドで眠るハータを除く全員が、抱き合って、泣いた。


 一度、きちんと涙を流してから、互いに手伝いながら荷造りを始めた。


 ドフヤも泣いた。仕方のないことだとわかっていても、どうしても悲しかった。


 母の腕の中で泣いたあと、ドフヤは心の中で言い聞かせた。生きている。だから、生きていく。いつかきっと、いいことが起きる。いいことを起こそう。

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