家事代行サービスの私が見たーー死神が取り憑いた家

大濠泉

第1話 お初にお目にかかります。俺は死神です。

 都内とは思えない、大きなお屋敷が目の前にある。

 表札には『藤澤』とあった。


(このお屋敷で、間違いない……)


 今日、私、武田美里たけだみさとは濃い藍色をした、地味なワンピースをまとって、黒いバックを手にしている。

 バックの中には、白いエプロンや、お掃除のための道具なんかが入っている。


(うん、問題ない。頑張るぞ!)


 気合いを入れて、呼び鈴を鳴らす。


 すると、玄関に来るよう、奥様から直々にインターホンで言われた。

 お手入れの行き届いた庭木の間を進み、玄関の引き戸を開ける。


「玄関から失礼します。家事代行サービスのミサトです」


 奥様に出迎えてもらい、応接間に通してもらう。

 小太りの奥様は、花柄をあしらった派手な色合いの服装をしていた。

 化粧も濃い。

 廊下を歩く間、軽く会話した。


「思っていたよりも随分、若いわね。幾つ?」


「十九歳です」


「ほんとうに、その若さで一通りこなせるのかしら」


「ええ。炊事、洗濯、掃除……そういった家事全般は、若い頃からやってきましたので」


「苦労してきたのね」


「いえ……」


 応接間を兼ねたリビングには、旦那様がソファに腰かけていた。

 眼鏡をかけた、白髪が混じったオジサンだ。

 ミサトの姿を見ても、立ち上がろうともしない。

 一瞥いちべつするだけで、奥様に不満げな顔を向ける。


「若すぎるんじゃないか? 大丈夫なのか。お義母かあさんを任せて」


「だって、仕方ないじゃない。他にアテがなかったんだもの」


 旦那様は苦虫を噛み潰した顔をしながら、ようやくミサトに顔を向け、対面のソファに座るように促す。

 ミサトはお辞儀しながらも、遠慮無く座る。

 旦那様の隣に座ると、奥様がさっそく切り出した。


「私の実母ははは寝たきりなの。本当は手すりを伝えば歩いたり、車椅子に乗せれば外出できるかもだけど、転倒して骨を折ったでしょう? 以来、慎重になっちゃって、ベッドから動こうとしないのよ。意識はしっかりしているけど……」


うかがっております。私は介護経験もありますので、ご心配なく」


 対面に座る夫婦は互いに顔を見合わせたあと、露骨に安堵の溜息を洩らす。


 彼ら夫婦は、今日から一週間に渡って、九州に温泉旅行に行く予定になっていた。

 新幹線で博多に到着後、バスで大分県の別府、ついで湯布院、それからJRで鹿児島県に出向いて霧島、指宿と連泊するのだという。


「別府では海が見渡せる部屋を取って、湯布院ではコテージ風の温泉付き別荘を借り切るの。霧島では源泉かけ流しの滝を浴び、指宿では砂風呂に入って、蒼い海を眺めるのよ」


「うらやましいです。私、そんな遠出の旅行をしたことがないので」


「あなたは、まだ若いんだから、これからいくらでも機会があるわよ」


 ミサトと奥様の会話に、旦那様も割って入る。


「仕方ないんだよ。旅行に連れてけって、コレがうるさいからな。いままで母に尽くしてきたんだからって。そんなに手がかかるわけじゃあるまいに」


 奥様は膨れっ面をする。


「じゃあ、あなたが毎度の食事を用意して、下の世話をしてくださるの!?」


「いや……」


「私だって仕事に就いていたのに、介護のために辞めたのよ」


「仕事って言ったって、パートじゃないか」


「なによ。お母さんの年金を丸ごともらったほうが得だからって言ったの、アナタじゃない。私だって、ほんとはまだまだ自由に過ごしたい。施設に入れたっていいのよ。アナタのお母さんのように」


「あれは、兄貴が勝手に決めて……」


 そこまで話して、ようやく旦那は、目の前に年端もいかない若い女性がいることに気がついた。

 

 よく見たら、可愛いな。

 これくらいの年齢の女性は、職場にもいない……などと、ようやく気づいた。


「あなた!」


 奥様に小突かれて、旦那様はやっと我に返って、ソファから立ち上がった。

 露骨に鼻の下を伸ばしていたらしい。


「とにかく、細かい台所については妻から説明してもらって、とりあえず、お義母さんに会ってもらうよ」


「安心して。手が掛からないから」


「はい」


 二人に先導されて廊下を進み、二階にあがる。


 階段を上がってすぐの八畳の和室ーー。


 そこには、ベットで半身を起こし、湯呑みで緑茶を飲む老女がいた。


 そして、もうひとりーーベッドの傍らに、長身で細身の男性が立っていた。

 ミサトは思わず見上げてしまった。


(うわあ……大きいな、この男性ひと……)


 二メートル近くはあるだろうか。

 こぢんまりとした和室にはそぐわない。

 実際、ちょっと背伸びしたら天井に頭がつかえそう。

 窮屈そうにしている。

 ちぢれた前髪が両眼にかかっているが、チラとのぞく瞳は、ジッとこちらを見ている。


 思わずミサトは視線を逸らした。


(こんなヒトがいるなんて、聞いてない……)


『派遣先には、八十代のご婦人と、五十代の娘夫婦がいるだけ』と聞いていた。


(男性は苦手だ……)


 ミサトは、男性を無視するようにして、老女の方に目を遣った。

 老女の視線は、窓の外に向かっていた。

 障子窓の向こうには、紅葉が映えている。

 その彼方には川が流れ、その間、視界をさえぎるものがない。


「素敵な所ですね」


 ミサトがそう口にすると、老女は振り向き、ミサトに目を留め、柔らかに微笑んだ。


「ありがとう。あなたが今日からお世話をしてくださるのね」


「はい」


 横から奥様が、事務的な口調で語り出す。


「食事は朝昼晩、決まった時間に出してね。朝は六時、昼は十一時、夜は午後七時。あと、毎食時の前後に服用するお薬があるから、その種類と個数を書いた紙がベッド・テーブルの上にあるから」


「わかりました」


「言っておきますけど、『お母さんの世話はしたから、あとは知らない』ってわけではないですからね。一階の応接間、寝室の掃除も、お願い。庭のお手入れもね。あなたが食べる分の食器は好きに使っていいから。食費などの費用はとりあえず十万円置いておくから、後で領収書を付けてお釣りを返してね」


 そこで旦那様が口を出す。


「一週間も任せるんだ。間に合うのか、十万で?」


 財布を取り出していくらか補充しようとする。

 それを奥様がピシッと手で叩き、制止する。


「もう! あなたは若い女性と見ると、すぐ甘くなるんだから。この娘は私たちの世代で言えば、子供の年齢じゃない!」


 そして、ミサトに笑顔を向ける。


「ごめんなさいね。私たちには子供がいないから、あなたぐらいの年齢の娘にどう接したらいいか、よくわからないの」


「お構いなく」


「それと、これは強く言っておきますけどね」


 顔を近づけて、奥様は断言する。


「この一週間、誰にもお母さんに会わせないで。たとえご近所のよしみだとか、親類縁者を称しても……特に、弟には!」


「弟さん……奥様の?」


「そう。私の弟。お母さんの子供。藤澤家の長男!」


「どうして……」


「お母さんにたかる連中があとを断たないの。とにかく、誰にも会わせないで」


 お母さんーー大奥様がいる前で、露骨な牽制である。

 大奥様に認知症の発症はない、と聞いている。

 ミサトは思わず大奥様の方を見たが、諦めたように窓の外を見ている。


「わかりました……ところで」


 ようやく口にできた。


「こちらの男性は、どちら様でしょうか?」


 やはり、話にあった、奥様の弟さん、藤澤家のご長男さんだろうか。

 だったら、「お母さんには誰にも会わせないで」という要求はハナから破綻している。

 でも、いまだ二十代ぐらいにしか見えない。

 奥様の弟にしては、年齢が離れすぎている……。


 奥様はキョトンとした顔をしていた。


「こちらの男性って……どこ?」


「いえ……こちらに……」


 長身男の方に視線をやる。

 奥様も視線を向けるが、首をかしげる。


「この部屋にいる男性は、ウチのダンナだけよ」


 奥様は不安そうな顔を、旦那様に向ける。

 旦那様は激しく首を横に振る。

 そこへ、声が響いた。


「お嬢さんは、冗談を言っているだけなのよ。私がしっかりしてるか確かめるために」


 そう言ってくれたのは、ベッドで半身を起こしているお母さんーー大奥様だった。

「ね」とミサトに向かってウインクする。

 私は若い男とお母さんを交互に見比べて、とりあえず話を合わせた。


「はい……」


 旦那様は大きく胸を撫で下ろし、笑った。


「ほんと、驚いたよ。まるでお義母さんのようなことを言うんだから。なんだよ、認知症の確認ってやつか」


 奥様も怒るような表情で、ミサトを叱責した。


「大人をからかうもんじゃないわ。これから私たちは旅行に行くんだから、わかったわね。後は任せたから。見送りは不要よ!」


「はい。すみませんでした……」


 旦那様と奥様は、連れだって一階へと下りていった。

 バタンと玄関ドアが閉まる音がした。

 随分と早い出立だ。


 そう思っていたら、大奥様が笑いながら説明した。


「荷物はとうに車に積んであったのよ。あとはあなたを待って、出かけるのみ、という状態だったの。買い物もあるから、はやめに東京駅に行きたかったみたいね」


「そうですか……ところで……」


 謎の長身男の方を見る。

 大奥様も一緒に目を遣りながら言った。


「よかったわ。あなたにも見えて。幻覚というのは、こんなにハッキリ見えるのか、いよいよ私も認知症を患ったのかって、不安だったの」


 長身男は、ミサトに向かって深々と頭を下げ、低い声で言った。


「お初にお目にかかります。俺は死神です」


「え……!?」


 大奥様を見る。

 が、大奥様はやさしく微笑んだまま。

 謎の男性から低い声が出て、捕捉するように語り出す。


「彼女には俺の声は聞こえない。姿は見えるけど……どうやら、若い頃の恋人かなにかと勘違いしてくれている」


 ミサトは男に身を寄せ、小声でささやく。


「そうなの? で、結局、あなたは何をしに来たの?」


「もちろん、この老女の生命を刈りにきた」


「生命を刈りに??」


 なにをいきなり。物騒な。

 ミサトは思わず後退りながら、声を上げた。


「なぜ?」


「俺は死神だからだ」


 平然とした風情で、若い男は答える。

 が、ミサトの困惑は増すばかり。


(それじゃ、答えになってない……)


 そう思ったが、ミサトは、なにをどう問えばよいか、わからなかった。

 でも、お手伝いに来た短い期間とはいえ、同じ屋根の下で過ごす異性である。

 とりあえず、現状把握ぐらいはしておきたい。


「あなたは、ずっと大奥様の許にいなければならないの?」


「そんなことはない」


「じゃあ、お掃除、手伝ってくれると助かるけど」


「わかった」


(え……!?)

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