アトリエ・サンドリヨンの魔法はロジックでできている

成海。

​第一幕:路地裏の魔法使い誕生

プロローグ

王都の喧騒が嘘のような静寂。

 路地裏にひっそりと佇む、その場所は訪れる者を別世界へと誘う。


​ ──アトリエ・サンドリヨン。


​ それが彼の城の名だった。

​ 磨き上げられたガラス窓から差し込む、午後の光が空気中を舞う微かな塵を、きらきらと照らし出す。床には一点の曇りもない黒檀こくたんの板が敷き詰められ、壁は柔らかなアイボリー色で統一されている。

 そこにあるのは、猫脚カブリオールレッグの優雅なテーブルと、揃いの椅子が二脚。

 そして壁の一面を埋め尽くすのは巨大なクローゼット。


​ その店の中心に立つ一人の青年。


 彼の名はイリゼ・ファーベル。

​ 陽光を弾く柔らかな銀糸の髪。

 知性を感じさせる細いフレームの眼鏡グラスの奥には、まるで見る者の本質まで見透かす、磨き上げられた紫水晶アメジストのような瞳が宿る。

 そこに仕立ての良い白のシンプルなシャツと、黒のスラックスという出で立ちは、彼自身の美しさをより一層引き立てていた。


​ 彼の指先が、一体のマネキンに掛けられたドレスのドレープをそっと撫でる。それは、ミリ単位のズレすら許さない、完璧主義者の動き。芸術家が作品を仕上げる時のそれに似ていた。


​ ふと彼は動きを止め、窓辺に歩み寄る。

 ガラスに映るのは、銀髪紫眼の美しい青年の姿。その奥に、かつての自分の幻影おもかげが脳裏に揺らめいた。


​ 黒髪黒目の平凡な男。

 橘 海斗たちばな かいと

​ それが彼の前世の名だった。

 享年二十九歳。


 婚活に悩む男女を次々とゴールインさせた、凄腕のイメージコンサルタント。

 顧客の魅力を最大限に引き出す魔法ロジックで、彼は多くの人生を成功へと導いた。

 その日も、顧客のウェディングドレス選びに付き添い、幸福な未来を確信した矢先だった。

 彼が歩いていたオフィス前に、暴走した車が乗り上げてくるまでは。


​ 次に目覚めた時、彼はイリゼ・ファーベルとして、この世界に生を受けていた。

 メルシエ商会という、成り上がりの商家に生まれた次男。それが彼の新しい人生の始まりだった。

​ 前世まえの記憶を持ったまま、彼は成長し、そして前世まえの世界にはない、この世界の美しさを感じ。同時にどうしようもない『もったいなさ』に気づいてしまったのだ。


​ 窓の外の通りを、一台の豪華な馬車が通り過ぎる。窓から顔を覗かせたのは、まっすぐな眼差しをした、まだ若い貴族の令嬢。

 彼女が着ているドレスは流行の最先端なのだろう。高価な宝石ビジューがふんだんに縫い付けられ幾重にも重なるレースが風に揺れる。


​ ──美しい。

 ──ドレス"は"確かに美しい。


​ イリゼは静かに息を吐いた。

​ だが美しくない。

 彼女は少しも美しく見えない。


​ あのドレスは、彼女の若々しい魅力を、完全に殺している。淡い肌の色に、くすんだ青は似合わない。華奢な体つきに、あの過剰な装飾は重すぎる。


 あれでは服が主役だ。

 人間が服に着られている、典型的な失敗例。

​ この世界のファッションの価値基準はただ一つ。


 ──どれだけ高価な素材を使っているか。

 ──どれだけ手間のかかった刺繍が施されているか。


 ただそれだけだ。

​ この世界の服飾とは、血筋と財産を誇示するための道具で、個人の魅力を引き出すという視点がまるでない。

 誰もが同じような流行のドレスに身を包み、その個性を殺していく。


 なんと愚かで勿体ないことか。

​ 橘海斗だった頃の自分が、この光景を見たらきっとこう言っただろう。

 「クライアントの魅力を理解せずただ高価な服を勧めるのはコンサルタント失格だ」と。

​ だから彼は決めたのだ。

 この世界で自分が本当に為すべきことを。


​ 彼はくるりと踵を返し、自身のアトリエを見渡した。

 ここはただのレンタルドレス店ではない。

 ましてや仕立てクチュリエでもない。

 ここは訪れた女性の運命を変えるための舞台ステージだ。


 完全予約制のトータルコーディネートサービス。

 まずは徹底的なカウンセリングで、その人の内面まで深く知る。悩み目的そして本当の願い。

 そこから、その人だけの魅力を引き出すための戦略コンセプトを構築する。


 パーソナルカラー骨格診断心理学。

 前世まえで培った、全ての知識と技術スキルを、この世界の常識と融合させる。

 導き出した最適解こたえを元に、ドレスを選び、メイクを施し、髪を手入れしスタイリングし、そして立ち居振る舞いまでを指導する。


​ 彼が提供するのは魔法だ。

 ただしそれは、御伽噺おとぎばなしのような曖昧な奇跡ではない。

 緻密な計算と、観察眼によって導き出された、再現性のある魔法ロジック


​ アトリエ・サンドリヨン。

 前世まえの世界の御伽噺に出てくる、シンデレラの名前を冠したこの場所で、お客様にとっての魔法使いになるのだ。


​ ――貸すのはドレスではない。

 ――貴女が主役ヒロインになるための『物語』そのものだ。


​ それが彼の店の揺るぎない理念コンセプト

 そしてまだ誰にも理解されていない理念でもあった。


​ 開店から数週間。

 このアトリエの扉を叩いた者はまだ誰もいない。路地裏という立地、そして斬新すぎる事業内容。噂が広まるには時間が必要だろう。


​ 父親の呆れたような顔が脳裏をよぎる。

 『貴族相手の道楽でうまくいくものなのか』


 兄の心配そうな声が聞こえる。

 『困ったことがあればいつでも言えよ』


 そして母親の優しい笑顔が浮かぶ。

 『貴方ならきっとできるわ。お父様を見返してやりなさい』


​ 家族の顔を思い浮かべ、イリゼは静かに微笑んだ。心配も期待もすべて受け止めている。だからこそ彼は渇望していた。

 圧倒的な『実績』を。

 誰もが納得する最高の成功譚を。

 彼の魔法ロジックが本物だと証明するための最初の『物語』を。


​ 待っているだけでは何も始まらない。

 シンデレラも待っているだけでは王子様には会えなかった。

 彼女には魔法使いが必要だったのだ。

 ならば魔法使いの方からシンデレラを探しに行ってもいいはずだ。

​ 最高の『原石』は私が探し出す。

​ 決意を固めたイリゼの瞳に紫水晶の輝きが宿る。


 彼はマネキンが着ていたドレスを、寸分の狂いなく整えると、クローゼットへと向かった。

 その中から、カシミヤの滑らかな手触りが伝わるような、上質な黒のロングコートを取り出し、滑らかな動作で羽織る。そして絹のような銀の髪を軽くかき上げ眼鏡の位置を直す。


​ 準備は整った。

​ 革靴のヒールが床を打つ硬質な音を響かせ、彼はアトリエの扉へと歩む。

 真鍮のドアノブに手を掛けゆっくりと回す。

​ 重厚な扉の蝶番が軋む低い音が静寂を破った。


​ 扉の向こうには王都の喧騒と光が広がっていた。その光の中にはまだ磨かれていない無数の原石たちがいるはずだ。

​ 新たな世界の最初のシンデレラはどこにいるのだろうか。イリゼは柔らかな笑みを浮かべ光の中へと一歩踏み出した。


 彼の後ろでアトリエ・サンドリヨンの扉が静かに閉まる。

 これから始まる鮮やかな革命の序曲を奏でるかのように。

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