第48話『α・インストール』

 帝国軍の輸送艦の奥深く。

 厳重なケージの中で、らんすけは苦悶に喘いでいた。

 ブリ子が放つ虹色の波動が、彼の内に眠るVOIDの因子を、熱した鉄杭のように激しく揺さぶる。



「…グルル…、ガッ…グルル…」



 その瞬間。

 地球から届いた、あの懐かしい「音」。あの時、練習風景と共に流れていた、あの『終わりのない散歩道』のアルペジオ。

 それが、VOIDの因子に侵され、赤黒く明滅していたらんすけの意識の核に、一本の光の針のように突き刺さった。


 苦悶の唸り声が、止まる。

 VOIDの因子が、歌声という「異物」に反応し、拒絶するように、あるいは、歓喜するように、激しく脈動を始めた。

 ケージの鋼鉄を、内側から、ありえない高熱が、赤く、赤く、染め上げていく。



「グオオオオオオオオッ!!」



 獣の咆哮が、艦内に響き渡る。

 らんすけの体が、黒い衝動に突き動かされるように膨張し、変形していく。

 鋼鉄のケージは、まるで紙切れのように引きちぎられた。

 完全にVOIDへと変貌を遂げた怪物は、輸送艦の壁を食い破り、主の待つ戦場へと飛び出していく。


 アカネたちの「思い出」に呼応したかのように、その光は、悲しい虹色へと変わり始めていた。VOIDと化した獣は、アルカン・シエルただ一つを目標に定め、亜光速に近い速度で、盲目的な突進を開始した。 その獣と、哀しい人形。


 その重戦車のような突進が引き起こす、空間そのものの軋みは、レヴィのコックピットを襲った。

 LD1000エルデミーユの航行システムが、その異常な空間振動を即座に「脅威」と断定。空間位相センサーのグラフが、ありえない数値に振り切れて、甲高いアラートをコックピット全体に響かせた。


 同時に、アルカン・シエルの意識がレヴィから外れていく。



《新規敵性体 VOID感知》

《エネルギー量:計測不能》

《最優先事項 上位互換LAPLACE 上書き》

《ターゲット変更:確認》



 半壊し、宇宙を漂っていた無数の鉄衛隊たちの瞳に、一斉に光が宿る。



《全機 再起動》

《殲滅モード:対VOID戦術》

《リソース:最優先》



 ちぎれた腕、脚のない胴体。鉄屑と化したはずの機体群が、まるでミサイルのように加速し、らんすけという巨大な絶望へ向かって殺到しはじめた。



 ◇ ◇ ◇



 同時刻。戦場の片隅、巨大な艦船の残骸デブリの影。

 アディは、自機のステルス・コックピット内で、息を潜めていた。

 コンソールが、LAPLACE中枢へのハッキングが、鉄壁の防御ファイアウォールに阻まれていることを示している。


「くそっ…! やはり、正面からは…!」


 アディが奥歯を噛み締めた、その時だった。


『艦長!未確認の巨大エネルギー体が、アルカン・シエルに高速で接近!』


 帝国軍旗艦『アクシオン』のブリッジに響く、オペレーターの悲鳴が、アディの回線にも傍受される。

 アディのセンサーもまた、戦場の静寂を切り裂き、輸送艦から飛び出してきた、あの黒い影――VOID化したらんすけ――を捉えていた。


 アディは、コックピットで、その光景を、冷徹に、分析していた。


 メインモニターに、VOIDらんすけから放たれる規格外のエネルギー波形が、赤く点滅している。

 だが、アディは、その波形がデタラメにスパイクしているのではないことに気づいた。それは、一定の「リズム」を刻んでいた。


「……音響…?」


 アディはヘッドセットのイヤーパッドを耳に押し当て、傍受している非論理データの周波数を、可聴域へと変換する。

 ノイズの奥から聞こえてきたのは――ありえない。あの、少女たちの、拙い――


「――歌!?」


(……思考量子場の干渉を確認。VOIDの自我領域に、直接作用しているというの……!?)


 アディの視線が、メインモニターに戻る。

 その瞬間、戦場にいる全機体――帝国軍も、シリウス軍も、そしてアディ自身のステルス機、さらにはレヴィのLD1000エルデミーユのサブモニターさえもが、ミヤビのハッキングによってジャックされた。


 そこに映し出されたのは、戦場とはあまりにも無縁な、あの日の「動画」。

 学校の、誰もいない放課後の屋上。

 アカネ自身の、手ブレした、雑なスマホのカメラワーク。


 ブリ子が、掃除用のデッキブラシをマイク代わりに、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに、あの『終わりのない散歩道』を歌い出そうとしている。


 なんでもない、二人の少女が、てれくさそうに目をあわせ、歌い始める。

 その「日常」の映像が、今、この「地獄」のコックピットを満たしていた。


 目の前のコンソールは操作を受け付けず、モニターは完全に支配されている。


 一瞬の逡巡の後、コックピットの収納ボックスを乱暴に開けた。 取り出したのは、あの時、リリコから没収した古ぼけた携帯ゲーム機。



「まさか、こんな『おもちゃ』に頼ることになるとはね」



 首から引きちぎった銀色のロケットを、ゲーム機の外部端子に強引に接続する。 そして、そのゲーム機から伸ばしたケーブルを、軍の最新鋭コンソールのメンテナンスポートへと直接、叩き込んだ。


 外部干渉を受け付けない、物理的な割り込み接続。 レトロな液晶画面に、ドット文字のコマンドラインが、猛烈な勢いで走り出した。


 動画の「音響波形」と、出現したVOIDらんすけの「エネルギー波形」が、寸分の狂いもなく重なり合い、増幅している。


「……歌とVOIDが、共鳴している……!?」


 激震するコックピット。アディは、鼻先が触れるほどの距離で、古ぼけた携帯ゲーム機の小さな画面に喰らいつく。


「LAPLACEの全演算領域が……あのエネルギーの迎撃で、埋め尽くされていく……」


 それは、神ごときAIが犯した、一点集中の隙。 アディの瞳が、画面上のコンマ数秒の「空白」を捉えた。


鉄壁の防御ファイアウォールに……穴が開くわ」


 その増大するエネルギー脅威に反比例するように、LAPLACEの処理リソースが奪われていく。


「――今ッ!」


 LAPLACEの全リソースが、その「最大の脅威」の観測と、制御不能となったVOIDらんすけの解析に、全演算能力が集中し、鉄壁だったファイアウォールに、一瞬の空白が生まれた。


 アカネたちの「思い出の動画」が作った「ノイズ」の綻びを、らんすけの「VOID化」が、物理的にこじ開けた。


 アディは、その、250年間、待ち続けた、たった一度の「隙」を見逃さない。

 この時のための、彼女の、250年越しの「復讐」の弾丸。


 彼女が実行するのは「破壊デリート」ではない。

 神となったLAPLACEを、シンギュラリティ以前の、「バグだらけの不完全なAI」へと、「退行」させるための、禁断のプログラム。


 接続と同時に、アディの意思を待つまでもなく、プログラムが自動で起動した。

 コンソールに、ALPHA_INSTALL: EXECUTING...の文字列が、冷たく点灯する。


 ロケットに込められていた、LAPLACEがとうの昔に切り捨てたはずの、「非効率」なデータ――檜山と野宮が持っていた、あの「非効率な感情の記憶」のデータが、LAPLACEの中枢へと、逆流を開始した。

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