悠久の約束編
第46話『旧校舎からのアンコール』
地球。帝国宇宙軍付属新幕張女子高等学校、第一避難シェルター。
「……嘘、でしょ…」
端末のスピーカーから、全ての音声が途絶える。
シェルターの静寂を引き裂いたのは、大河の最後の言葉と、レヴィの絶望の叫びだった。
ミヤビの指が、コンソールの上で、止まる。
その瞳から、サーッと血の気が引いていく。
「そん、な……」
アカネは、声にならない悲鳴を上げ、両手で口を覆った。
ミヤビの絶叫が、シェルターの静寂を、切り裂いた。
数瞬の硬直。
だが、その静寂は、すぐに、別の、醜悪な熱によって破られた。
大河の死という現実よりも、ニュースが報じた「スパイ」という言葉に、シェルター内の人々が反応したのだ。
「……おい、今、言ったぞ…」
「『レヴィ・ストラウス』って…うちの学校の…」
「あの、シリウスからの転校生か!」
「候補生だったブリ子も!?」
ざわめきが、急速に「敵意」へと変わっていく。
数人の女子生徒が、アカネとミヤビを、指差す。
「あんたたち、あいつらのダチだったんでしょ!」
「知ってたの!? あの二人がスパイだって!」
「あのこらのせいで、被害がこんなに…!」
非難の声が、津波のように二人を襲う。
アカネは、ミヤビを庇うように、一歩前に出た。
「……違う…」
アカネは、唇を噛み締める。
大河を失った悲しみと、理不尽な非難への怒りで、視界が真っ赤に染まる。
「あいつらは…! ブリ子は! レヴィは! そんなんじゃない…!」
違う。
あいつらは、スパイなんかじゃない。
ただの、不器用で、ちょっとズレてて、誰よりも優しい、文化祭のステージで、一生懸命、歌おうとしてた、ただの、かわいい、女子高生だった。
その「本当の姿」を、この人たちに、いや、世界中に、分からせてやりたい。
アカネは、怒りと悲しみで震えながら、隣でうなだれるミヤビに向き直った。その声は、驚くほど、冷たく、静かだった。
「ミヤビ」
返事はないが、サブ端末を握りしめたまま、力なく、うなだれる。
アカネは、その震える肩が、自分の言葉を聞いていることを、知っていた。
「……地球上の、全モニター、ハックできる?」
ミヤビが、呆然と、アカネの顔を見る。
「無理よ、そんなの…」
「でも…」
ミヤビの視線が、ふっと、床に落ちる。
絶望に閉ざされた瞳の奥で、かつての「悪巧み」の記憶が閃いた。
「……体育館、横の…。旧校舎の、放送室……」
「……なに?」
「……あそこなら。……私たちが、『湾岸レース』の違法中継に使っていた、あの『裏サーバー』が残ってる……」
ミヤビが、はっと顔を上げる。
「…思い出して、アカネ。軍の監視網を誤魔化して、オッズやレースの映像を流すために、先輩たちが改造した旧校舎の回線……。 あそこは、軍の最新プロトコルじゃなくて、昔の枯れた
アカネも、その言葉に目を見開く。
かつて、大人たちに隠れて遊んだ「秘密基地」。それが今、世界に残された唯一の希望の
「LAPLACEが『ゴミ』だと思って監視していない、忘れられた周波数帯……。私たちが使っていた『あの道』なら、もしかしたら……!」
ミヤビが言い終わる前に、アカネは、その手を掴んで、走り出していた。
「――どいてッ!」
アカネは、行く手を阻もうとする群衆を、強引に、突き飛ばした。
シェルターを飛び出し、誰もいなくなった文化祭の体育館へと、二人、息を切らせて走る。
ミヤビは、まだ大河の死のショックから抜け出せず、アカネに手を引かれるまま、かろうじて足を動かしていた。
「ミヤビ…! ハァ…ハァ…!」
アカネは、走りながら、涙と汗でぐしゃぐしゃの顔で、隣のミヤビに叫んだ。
「あたしが…! 文化祭の練習のとき、スマホで撮ってた、あいつらの…! アンコールの、練習の『動画』…!」
「……え…?」
「あれを、流しなさいッ!」
アカネは、半ばヤケクソのように叫ぶ。
「地球上の、全モニター、乗っ取ったっていいわよッ!」
そんなこと、無理に決まっている。
でも、アカネは、そう叫ばずにはいられなかった。
ミヤビは、その無茶苦茶な、しかし必死な「命令」を、息を切らして走りながら、ただ、聞いていた。
体育館のステージ袖。埃っぽい放送室に、二人は転がり込む。
ミヤビは、震える手で自前のラップトップを広げ、埃を被った旧式の配信サーバーに、物理ケーブルを叩き込むように接続した。
アカネの無茶な要求が、ミヤビの瞳に、決意の光を宿らせる。
理論も、理屈も、今はどうでもいい。
かつてレヴィが語っていた難解な数式も、今なら直感で理解できる気がした。
「……旧式の、分散型ネットワーク……。これを『苗床』にして……」
ミヤビの手が、震えながらもラップトップを開く。キーを叩く指に、迷いはない。 だが、画面には無情な赤い警告灯が明滅した。
『警告: セキュリティ・レベル9 …… アクセス拒否』
「っ……! やっぱり、軍の正規回線は硬い……! 暗号化強度が違いすぎます…」
ミヤビの額に、玉のような汗が噴き出す。
指先が熱を持ち、タイプするたびに爪が割れそうなほどの痛みが走る。
正面突破は不可能。LAPLACEの演算速度は、ミヤビの処理能力の数億倍だ。まともにやり合えば、0.1秒で逆探知され、脳ごと焼かれる。
「……ミヤビ!?」
傍らで見ていたアカネが、悲鳴を上げる。
サーバーラックから、焦げ臭い煙が上がり始めていた。
冷却ファンが、ジェットエンジンのような轟音を立てて悲鳴を上げている。
「構いません、 ……綺麗な
「だ、だからって、このままじゃ機械が燃えちゃうよ!」
アカネは部屋を見回し、棚の隙間に突っ込んであった、埃被った「必勝」と書かれたうちわをひっつかんだ。
「冷えろ冷えろ冷えろぉぉッ!」
彼女はなりふり構わず、煙を上げるサーバーラックに向けて、猛烈な勢いでうちわを扇ぎ始めた。
それでも足りないと見るや、自分のスカートの裾を両手で掴み、バタバタと激しく振って風を送る。
「気休めでも、ないよりマシでしょッ! がんばれポンコツ!こんにゃろッ」
その必死な風が、熱を持ったミヤビの頬をわずかに撫でた。
ミヤビは、一瞬だけ口元を緩めると、再び画面に喰らいつく。
「……ええ、上等です、 ターゲット変更……現行のIPv6を破棄。……廃棄されたレガシープロトコル、IPv4アドレス空間へ…」
彼女が目をつけたのは、社会から排斥の末、追いやられた「旧式アンドロイド」たち。最新鋭のLAPLACEが、「非効率なゴミ」として監視フィルターから除外している、ネットワークの盲点。
カチャリ、とエンターキーを叩く。
世界地図上に、ポツリ、と小さな白い光が灯る。
それは、社会の隅で、ひっそりと役目をこなす、旧式アンドロイドたちからの、微弱な
「……来て……! お願い……!」
光は、また一つ、そして百、一万と、加速度的に増殖していく。
世界中に散らばる数億の「ポンコツ」の烙印を押された者たちが、ミヤビの呼びかけに応じ、巨大な並列処理ネットワークを形成していく。
『警告: 異常トラフィック検知 …… 排除シークエンス起動』
LAPLACEが気づいた。
画面上が真っ赤な警告色に染まり、逆探知の黒い波が、ミヤビの端末へと押し寄せる。
「くっ、速い……、 追いつかれる……」
モニターのガラスにヒビが入る。
キーボードが高熱を発し、ミヤビの指先を焼く。物理的な熱量で、システムが溶け落ちる寸前だ。
「…負ける、もんッ、くああああああッ!!」
ミヤビは絶叫し、焼け付くキーボードに、最後の一撃を叩き込んだ。
その横で、アカネもうちわが折れるほどの勢いで風を送り続ける。
「いっけえええええええッ!!」
アカネのスマートフォンから読み込んだ動画ファイル。
それを、制御コードに見せかけた「ウイルス」として、全世界へばら撒く。
『動画ファイル名:文化祭練習_屋上.mp4』
『ターゲット:ALL_SCREENS』
「――届けぇぇぇぇぇぇッ!!」
LAPLACEの迎撃プログラムがミヤビの端末に到達する、そのコンマ01秒前。
数億の「ポンコツ」たちが放った、意味のないデータの濁流が、LAPLACEの監視網を物理的に押し流した。
バチンッ! とサーバーが火花を散らして沈黙する。
室内の電気がすべて落ち、暗闇が訪れる。
失敗か?
アカネが、折れたうちわを握りしめたまま、息を呑んだ。
その時。
手元のスマートフォンの画面が、ノイズ混じりに明滅し――。
パッ、とクリアな映像を結んだ。
瞬間。
地球上の、そして
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます