第44話 『虹色の爪』
レヴィの絶望を置き去りにするように、親友の変貌は最終段階へと移行する。
憎悪と悲しみの奔流が生み出した、歪んだ守護者。
その背中と両肩に、かつて自分が、ブリ子を守るためだけに夢想した、巨大な腕と脚のパーツが、空間を歪ませながら出現し、重い金属音を立てて融合していく。
それは、守護の象徴であるはずだった。
だが今、目の前で完成していくのは、全てを破壊し尽くすための、あまりにも完璧で、残酷な姿だった。
目の前で、親友が、自分の理想の、最悪の形へと成り果てていく。
『警告。対象のエネルギーパターン、計測不能領域に突入』
機体背面のカーゴベイから、思考リンクを通じて、ルリカの純粋な悲鳴の波形が、レヴィの脳を直接揺さぶる。
「大河っ、大河ああああ…」
ゴン、ゴン、と何度も鈍い衝撃が、機体のフレームを伝って、背中に響いた。
レヴィの視線は、目の前のアルカン・シエルから一瞬たりとも逸れない。
背後で鳴り響く衝撃音も、妹の悲痛な叫びも、まるで厚いガラスを隔てたかのように、レヴィの意識には届かなかった。
数秒前まで鬼塚大河がいた機体は、跡形もなく消え去り、
自らが放った激情の奔流によって、周囲にいたはずの
そして、その全ての引き金を引いた、かつての親友。
「……ぁ…」
助けを呼ぶ声も、制止の声も、もう届かない。
「ブリ子…! 私よ!」
レヴィが、回線を通じて必死に呼びかける。
だが、返ってくるのは、意味をなさない、甲高いノイズだけ。
『――無駄よ』
甲高いノイズを遮るように、別の通信が強制的に割り込んできた。
モニターに映るアディは、いつもと変わらない冷徹な声で、戦場の事実だけを告げた。
『レヴィ、引きなさい。帝国艦隊が、この宙域ごと消し飛ばすつもりよ。大きいのを準備してるわ』
しかし、レヴィは微動だにしなかった。 アディの警告も、迫りくる死の予感さえも、覚悟を決めた彼女の心を揺らすことはできない。
言葉による返答は、ない。
レヴィは、サブアームで確保していたルリカのカプセルを、アディ機に向かって、そっと押し出した。
その行動だけで、決意が伝わる。
「……ルリカを、お願い」
アディは、その行動の意味を、一瞬で理解した。
ほんのわずか、眉をひそめたが、すぐに、いつもの無表情に戻る。
ステルス機のアームが、カプセルを慎重に受け取った。
『……好きになさい』 私もやることがあるわ――。
アディは、それだけを告げると、ルリカのカプセルを抱えたまま、再び光学迷彩を起動させ、戦場から静かに離脱していく。
レヴィは、守るべきものを手放し、ただ一人、再びアルカン・シエルと向き合った。
その瞳に、もう迷いはなかった。
アルカン・シエルと化したブリ子の瞳に、もう感情の光は宿っていない。
ただ、最も近くにいる「敵」であるレヴィだけを、そのセンサーで捉えていた。
ブリ子が、消えた。
いや、違う。
思考が追いつかないほどの、圧倒的な速度。
「――ッ!?」
衝撃は、右側面から来た。
新たに出現した巨大な腕による、無慈悲な一撃。
コックピットが激しく揺れ、レヴィの身体はシートに叩きつけられた。
「ぐっ…ぁ…!」
体勢を立て直す間もない。
ブリ子は、獣のような俊敏さで、懐に潜り込んでくる。
出現した脚部が、スラスターのように高密度の粒子を噴射し、三次元空間を自在に舞う。
本来、遠距離砲撃用の装備として設計したはずのパーツが、今は、恐ろしいまでの近接格闘能力を発揮していた。
「目を覚まして、ブリ子!」
叫びながらも、レヴィはやむなく両腕のガトリング砲のトリガーを引く。
無数の弾丸が、虹色の閃光となってブリ子に殺到するが、それを物理法則を無視したかのような、ありえない角度の機動で、全て紙一重でかわしていく。
肩部ポッド、展開。 マイクロミサイルの雨を降らせる。
「届けッ!」
だが――ブリ子は振り返りもしない。
五指が閃く。 放たれた五条の虹。 閃光。爆炎。熱波。 レヴィのミサイル群が、一瞬で蒸発した。
(速い……!)
爆炎を突き破り、その光の刃は勢いを緩めることなく、
「ぐぅ、ッ……!」
警報音が鳴り止まないコックピットで、レヴィは操縦桿を限界まで引き絞る。 視界が、Gで赤く明滅する。 全身の血管がきしみ、内臓が背骨に張り付くような圧迫感の中で、血の味がするほど唇を噛み締め、無言で絶叫した。
(私は…、ともだちがっ、ほしかっただけなんだよ)
回避の反動を利用し、涙で滲む視界のまま、ガトリング砲のトリガーを押し込む。 小刻みな振動がシートを揺らし、吐き出された無数の薬莢が床に転がる。 放たれた弾丸の嵐が、ブリ子の虹色の装甲を叩き、無慈悲な火花を散らした。
(かえったら、一緒に…)
ブリ子が、無機質な瞳でこちらを見る。視界が「黒」に染まった。 レヴィ自身が「最強の盾」としてデザインしたはずの巨大なアームが、ガキィィィンと質量兵器となって襲いかかった。
「あぐっ!?」
(…買い物に行くって)
機体を掠めた衝撃が、レヴィの体を安全ベルトごと揺さぶる。 火花が散り、装甲が剥がれ飛ぶ音は、まるで自分の皮膚が裂かれる音のように生々しく響いた。
(約束…、したじゃないかよ…)
広大な宇宙空間に、白い光の軌跡を描いて逃げる
その幾重にも重なる光の線は、遠くから見れば、あまりにも美しく、そして残酷なアートのように見える。
爆発の閃光が、コックピットを白く染め上げるたび、あの日のカフェの風景がフラッシュバックする。
『かっこいいでしょ! あたし考案の、ブリ子専用アーマー!』
『なにそれー、変な形ー!』
アイスコーヒーの氷が溶ける音。バカにして笑うブリ子の顔。 あの時、私は下手なイラストに誓ったのだ。この最強の盾と矛が、不器用なあんたを、守るんだと。
なのに。
「…やめて…」
私の「守りたい」という願いが、物理的な質量を持って、私を潰しに来る。 叩きつけられる巨大な拳の一つ一つが、あの日の私の愛そのものだ。
涙で、視界が滲む。 呼吸ができなくなるほどの絶望が、レヴィの喉を焼き尽くした。
「……いま、戦っているのは……お前が大好きな、私だぞ……」
振り上げられたブリ子の巨大な腕が、ピタリ、と凍りついた。
無機質な瞳孔がギュル、カチリ、と機械的な音を立てて収縮する。
思考回路を焼き焦がしていく。
「……わたし……むかしから…、大好きな…」
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