第20話『偽りのステージ』

 文化祭当日、帝国宇宙軍付属新幕張女子高等学校がお祭り騒ぎの熱気に浮かれていた。


 校舎の壁には、各クラスが趣向を凝した手作りのポスターが所狭しと貼られ、廊下を歩けば、甘い綿菓子の匂いや、お化け屋敷から漏れ聞こえる悲鳴が、ごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。


「おねえさま、見て見て! りんご飴!」


 その瞬間。 ブリ子のピンク色の瞳孔が、ギュル、カチリ、と機械的な音を立てて収縮する。


「あたし、昔からこれが大好きなんだー!」


 ブリ子は、子供のようにはしゃぎながら、真っ赤なりんご飴をレヴィの目の前に突き出した。

 満面の笑みでそう言ったブリ子の脳裏に、あるはずのない幼少期の祭りの記憶が、鮮明なデータとして上書き保存される。


「あんた、またそんな子供みたいなもの食べて…」


 レヴィは、努めて平静を装う。

 だが、その心は、数日前の地下施設での記憶――あの冷たい恐怖と、ブリ子の瞳に宿った虹色の光。


 そして、昨日ブリ子の家で見た、あの「写真」。その二つの謎に、まだ囚われていた。


 文化祭の喧騒が、どこか遠い世界の出来事のように感じられる。


「いいじゃん、美味しいんだから! ね、アカネ、ミヤビ!」


「そーそー! 祭りと言ったらりんご飴っしょ!」


「はい、同意です!」


 いつの間にか合流していたアカネとミヤビも、それぞれ焼きそばやたこ焼きを手に、賑やかな輪に加わる。


「…ったく、ガキみてえだな」


 不意に、背後から呆れたような声がした。

 振り返ると、腕を組み、壁に寄りかかって、鬼塚大河が立っていた。学ランではなく、ラフな私服姿だ。


「げっ、大河! なんでいんのよ!」


 アカネが、あからさまに嫌そうな顔をする。


「ミヤビに呼ばれたんだよ。『面白いモンが見れる』ってな」


 大河は、ニヤリと笑ってミヤビを見る。


「あらあら、せっかくですから。ライバルの晴れ舞台、見ていって損はないでしょう?」


 ミヤビが、悪戯っぽく微笑んだ。


「へっ、アイドルごっこかよ。せいぜい、コケるなよ、ブリ子、うさぎちゃん」


 大河が、ブリ子とレヴィを交互に見て、憎まれ口を叩く。


「むっ…!」


 レヴィが、眉をひそめる。


「ほらほら、おねえさま、もうすぐ出番なんだから! 行こ!」


 ブリ子がレヴィの腕を引き、二人はステージの準備へと向かった。



 ◇ ◇ ◇



 ブリ子とレヴィがステージ裏へと消えた後、アカネ、ミヤビ、大河の三人は、中庭の模擬店が並ぶ一角を冷やかして回りながら、出番までの時間を楽しんでいた。


「それにしても、あの二人、マジでやる気だよなー」


 アカネが、クレープを頬張りながら感心したように言う。


「まあ、きっかけはどうあれ、楽しそうですから、いいんじゃないですか」


 ミヤビが、ペットボトルのお茶を飲みながら答える。


 大河は、特に会話に加わるでもなく、腕を組んだまま、周囲の喧騒をどこか面白くなさそうに眺めていた。


 その時だった。

 人混みの中から、見慣れた人影が現れたのは。


「あら、アカネちゃん、ミヤビちゃん」


 ニーねぇが、愛犬の――らんすけを連れて、三人の前に立っていた。

 らんすけは、珍しい場所に来たせいか、少し落ち着かない様子で、ニーねぇの足元に寄り添っている。


「あ、ニーねぇさん! らんすけ君も! 来てくれたんですね!」


 アカネが嬉しそうに駆け寄る。


「らんすけ君、お久しぶりです」


 ミヤビも笑顔で続き、二人でらんすけの頭や背中をわしゃわしゃと撫で回す。らんすけは、嬉しそうに尻尾を振った。


「ええ、少しだけ。リリコたちのステージを見に来ましたの」


 ニーねぇが、穏やかに微笑む。


「こいつは?」


 大河が、顎でらんすけを指して、ぶっきらぼうに尋ねた。


「ああ、ブリ子んちのニーねぇさんと、愛犬のらんすけ君だよ! こっちは鬼塚大河。ブリ子の……まあ、知り合い?」


 アカネが、適当に紹介する。


「あら、鬼塚さん。いつもリリコがお世話になっております。レースで負けてばかりいると聞いていますが」


 ニーねぇが、穏やかな笑みを浮かべたまま、さらりと付け加えた。その一言に、場の空気が少し和む。


 らんすけが、くんくんと匂いを嗅ぐように大河を見上げる。大河も、犬相手にどう接していいか分からないのか、少し気まずそうに視線を逸らした。その視界の隅で、何かが一瞬、不自然に歪んだ気がした。


 近くにあった、文化祭の案内を表示していたホログラムボードが、一瞬、激しいノイズを発して明滅した。

 画面に、意味不明な幾何学模様が走り、すぐに元の表示に戻る。


「……ん?」


 大河が、眉をひそめる。


 ほぼ同時に、上空を飛んでいた、飲食物を運ぶための小型配達ドローンの一機が、奇妙な挙動を始めた。

 ふらふらと高度を下げ、まるで何かに引き寄せられるように、らんすけのいる方向へと、一直線に向かってくる。


「危ねえ!」


 大河が叫ぶのと、ドローンがすぐそこまで迫るのが、同時だった。

 大河は、咄嗟に、らんすけの前に立ちはだかり、腕で庇うようにして、突っ込んでくるドローンを叩き落とした。


 ガシャン!という鈍い音と共に、ドローンは地面に墜落し、部品を撒き散らして停止する。


「きゃっ!」


「な、なに!?」


 アカネとミヤビが、驚いて声を上げる。

 周囲の生徒たちも、何事かと集まってくる。


「だ、大丈夫ですか、ねえさん!ワンコロ!」


 大河が、振り返ってニーねぇとらんすけの無事を確認する。


 だが、ニーねぇは、きょとんとした顔で、大河を見ていた。まるで、今、何が起こったのか、全く理解していないかのように。


「あら、どうかしましたの?」


 その、あまりにも平然とした声。

 ドローンが墜落したことにも、大河が自分たちを庇ったことにも、全く気づいていない様子だった。

 らんすけもまた、何事もなかったかのように、ニーねぇの足元で、落ちたドローンの残骸を不思議そうに見ている。


「……いや……」


 大河は、言葉を失った。


(なんだ……? 今のは……)


 背筋に、冷たいものが走る。

 ホログラムボードのノイズ。暴走したドローン。そして、この不自然すぎるブリ子んとこの姉さんの反応。


 偶然か? いや、違う。明らかに、何かがおかしい。そして、狙われたのは……。


 大河の視線が、無垢な表情でドローンを見ている、らんすけに向けられる。


「……そろそろ、ステージが始まりますわね。行きましょう、らんすけ」


 ニーねぇは、そう言うと、何事もなかったかのように、らんすけを抱き上げ、ステージのある講堂の方へと歩き出した。


 大河は、その背中を、ただ、黙って見送ることしかできなかった。きな臭い。だが、これ以上深追いするのは、得策ではない。


「……ったく、気味の悪ぃ」


 大河は、小さく悪態をつくと、アカネとミヤビに向き直った。


「おい、行くぞ。ブリ子たちのステージ、始まるんだろ」


「え? あ、うん!」


 アカネが、まだ少し呆気に取られた顔で頷く。


「そうですね。行きましょうか」


 ミヤビは、何かを考えているような表情だったが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻し、歩き出した。


 大河は、ニーねぇたちが消えた方向をもう一度だけ振り返ると、何も言わずにアカネとミヤビの後ろについて、講堂へと向かった。

 さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返った中庭に、壊れたドローンの残骸だけが、無機質に転がっていた。



 ◇ ◇ ◇



「――続いては、この二人! 彗星の如く現れた、超新星ユニット! 『虹色かくてるがーるず』の登場でーす!」


 司会の生徒の、少し上ずった声が響き渡る。

 割れんばかりの歓声と、眩いスポットライトに迎えられ、ブリ子とレヴィはステージへと足を踏み出した。


 持ち歌の「恋は別窓」のイントロが、スピーカーから流れ出す。

 練習通りに、二人は歌い、踊る。


 ノリノリで、最高の笑顔を客席に向けるブリ子。

 その隣で、レヴィもまた、完璧な笑顔で応える。

 だが、その笑顔の裏で、レヴィの心は、まだ地下施設の冷たさと、あの古い写真の残像を引きずっていた。


 完璧な笑顔を浮かべながらも、レヴィの瞳だけが、一瞬、ふっと遠くを見つめるように、焦点を失った。


 ステップを踏む。ターンを決める。

 観客の熱狂。ブリ子の笑顔。アカネとミヤビの声援。その全てが、どこか現実感を失って、遠くに感じられる。


 それでも、パフォーマンスは完璧だった。

 クライマックス、二人は見つめ合い、息の合ったハーモニーでライブを締めくくる。


 嵐のようなアンコールの声が、講堂を揺らす。

 スポットライトの白い光が、汗で濡れた二人の頬を焼き、乱れた呼吸だけが、この熱狂の中で唯一リアルなものに感じられた。


 隣で、ブリ子が、感極まったような、最高の笑顔でレヴィの手を強く握る。その手のひらから伝わる、疑いようのない熱と、達成感。


 レヴィもまた、ブリ子に笑みを返す。


(今は、まだ…)


 この偽りのステージの、その先に続く、本当の物語を見据えながら。

 レヴィは、ブリ子の手を、強く、握り返した。


 観客の歓声が、遠い潮騒のように聞こえた。


 汗ばんだ手が触れ合う感触だけが、世界の全てだった。 まぶしいスポットライトの中で、レヴィの銀髪がキラキラと光っている。 その瞳に、私だけが映っている。


「……最高ね」


 レヴィの唇が動く。声は聞こえないけれど、分かった。 時間よ、止まれ。 本気でそう願った。この眩しい光の中に、永遠に二人で閉じ込められてしまいたいと。


 講堂を揺るがす歓声とアンコール。その熱狂から離れた最後列の暗がりで、鬼塚大河は一人、腕を組んでいた。


 眩しいスポットライトに照らされるステージ上の二人を、じっと見つめるその瞳には、先ほどの中庭での出来事の残像と、完璧なパフォーマンスの中に見えた、レヴィのほんの一瞬の揺らぎが、静かに重なっていた。


 そのアンコールは、謎の音響機器のOSトラブルにより、歌われることはなかった。

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