Sec. 05: The Menace from Pride - 03

 執事の無機質な声を聞きながら、レイは近くの執行者を捕まえて現場の部屋番号を尋ねた。運のいいことに彼はクロフォード以外に真犯人がいると考えている派閥の一人で、声をひそめてレイに場所を教えてくれた。頑張ってくれよ、とも。


 エレベーターに乗り込み、デッキ八へ向かう。

 部屋番号は八一二。部屋の前には、警備課の執行者が立っていた。後頭部を刈り上げた茶髪の男は、じろりとレイを睨んだ。追い払うべき野次馬として受け取られたらしい。


「お引き取りください」


 冷たい声だった。レイは物怖じすることなく、彼の焦茶色の瞳を見上げた。


「レイ・カレンです。事件の調査を……」そこで、誰かに認められているわけではないことに気づく。完全に、無許可だ。しかし。「ミスター・藍に委託されています」


「そのような指示は出ていません。お引き取りください」


 だめか。レイは舌打ちが漏れそうになるのを抑えながら、別の名前を出してみる。


「ロード・ヴィドラからも委託を受けています。通してください」


「申し訳ありませんが、ハウエルズから『一人では絶対に入れるな』と」


「一人では……」二人以上ならいいということだ。「わかりました」


「ご協力に感謝します、ミスター・カレン」


 レイは足早にその場を離れ、夜会の会場に戻った。警備に当たっているだろう藍鍾尤を引きずっていくにしろ、ローマンが演奏を終えるのを待つにしろ、夜会会場にいるのが一番早いと思われた。アダムも、さすがに執行者を遠隔で気絶させるなんてできないだろう。


 エレベーターを降りて会場に入っていくと、向こうから歩いてくる人影があった。赤いパンプスと眼鏡がよく似合っている、ベージュのイブニングドレスの女性——ハウエルズだ。カルヴェのような派手さはないものの落ち着いた印象で、よく見ると細かな刺繍が施されていた。花、だろうか。胸元と背中がざっくりと開いているが、下品さはない。


「今、警備員から報告があったけど……まだ探偵ごっこをしているの、レイ?」


 ハウエルズは赤縁の眼鏡の奥で、碧眼を細めた。


「ミズ・ハウエルズ。ちょうどよかった。貴女に聞きたいことが」


 幹事であり多忙だった彼女は、夜会でも説明責任を求める教授たちの質問攻めを受けて余裕がなさそうにしていた。しかし、今、レイの目の前にいる。警備員もつけず、一人で。魔術師であるのだから、当然身を守るすべは心得ているのだろうが——聞くなら今だ。


 彼女はレイの言葉に眉をひそめたものの、軽いため息をついて観念した。


「夜会が終わるまでなら、構いません。それで? 私について嗅ぎ回っていたのでしょう。それ以上、何を聞きたいと言うのかしら?」


 レイは手帳を取り出し、ボールペンをノックしながら尋ねた。


「キース・チェンバーズ、スチュアート・エディソンと仲が悪いと伺いました」


「本当よ。でも、殺すほど憎んでいたと思っているなら大間違いね」


 虫を払うようにひらひらと手を振り、ハウエルズは目を閉じる。呆れ返っているようだ。


「魔術師なら、意見の相違など当たり前。それでいちいち殺していたら、あっという間に大量殺人者になってしまいます」


 当然だ。魔術と関係のない一般社会でも、支持する学説が違う研究者などごまんといる。その全てを殺す人間など存在しないし、魔術師でも、そうなのだろう。


 だが、スチュアートについては勝手が違う。


「スチュアート・エディソンは貴女を見下している。それで……恨んでいたのでは?」


「恨む? それもお門違いよ、レイ。あんな若造、視界にも入らないわ」


 スチュアートと同い年くらいに見えるのに、彼女はそう言って鼻で笑う。やはり、魔術師の見た目と実年齢は相関関係にはないのだ。いったい何歳なのだろうと疑問に感じたが、調査には関係のないことだとして振り払う。


「クロフォード先生は、式核の一部が現場に残っていたと言いました。貴女が犯人ではない証拠は、ありますか?」


 ハウエルズは堪えきれないといった様子で笑い出した。さすがに直球すぎたか、とレイも後悔したが、機嫌を損ねてはいないようでよかった。「貴方、それを信じているのね」


「仮にシャーロックの証言が真実でも、式核に触れずに式核ごと人体を壊すには、大量の魔力が必要よ。そんなことができるのは、魔法使いか賢者だけ」


「ロード・ヴィドラを疑っているんですか?」


「第二容疑者、程度にはね」


「……他に犯行が可能な人間は?」


「カルヴェかしら」彼女は思いがけない名前を口にする。「絵画は構成式を限定的に複写できるの。彼女の研究テーマもそうだったでしょう? 絵画を用いて、人間を額縁に閉じ込めた……という可能性も考えられるわ。もっとも、この船に乗っている全員が魔術師なのだから、どうやったかハウダニットが明らかになっても犯人を絞るのは困難よ」


 レイは自分の眉間に力が入るのを、自分でも感じた。


「わかってます。なぜやったかホワイダニット……ですね」


「シャーロックに教わったのかしら。勤勉なことね」


 そう言う彼女の声音には、ありありと嘲りの色がみえる。馬鹿にされていることが手に取るように理解でき、レイは手帳に書き込む筆圧を乱した。落ち着け、と言い聞かせる。


「貴女は妖精と契約していると聞いています。その妖精は、どこの幻想域に?」


「貴方に話す義務はないわ。自らの手の内を明かす魔術師がいると思う?」


 自分が疑われているのに、身の潔白を証明しようとしないのか。


 レイはアプローチを変えることにして、手帳の新しいページをめくる。


「なら、質問を変えます。一日目の夜、誰かと言い争ってましたよね?」


「カルヴェから聞いたの?」


 彼女は呆れ声で言って、やれやれとかぶりを振った。明らかに疲弊している様子だ。乗客たちは魔術師で、死には慣れているはずだが、失踪者の法則性が明らかになっていない以上、次は自分かもしれないと思っているのだろう。ハウエルズがどこまで事件のことを明かしているのかも、怪しい話だ。彼女は自らの名誉を守ることに心血を注ぐ人物であるようだから、『何もなかったこと』にしていてもおかしくない。


「キースについて、エディソンと少し話していたわ。これ以上話すことはありません」


 レイが追及しようとしたとき、ピアノの音がやんだ。代わりに拍手が巻き起こり、夜会の終わりを告げている。ハウエルズはピアノのほうに顔を向けた。「時間ね」


「あまり勝手なことをしないでちょうだい、レイ」


 半分ほどが残されたシャンパングラスを給仕に返し、彼女は夜会の雑踏に紛れて消えていく。レイは手帳を閉じ、ハウエルズを探した。だが、捕まえて何かを聞いても、もう答えてくれないだろう。


 ステージの上に置かれたピアノに視線を向けると、胸に手を当てる深い礼を終えたローマンが、短い階段を降りてくるところだった。彼はレイと目があうと、軽く手を掲げてこちらへ向かってきてくれる。


「ロード」レイは彼を呼んだ。安堵からだった。「お疲れさまです」


「おう。アデラインと話してたみたいだが、どうだったんだ?」


「あんまり……妖精について話を聞いたんですけど、答えてもらえなくて」


「ふむ? なら、クロフォードのところに行ってみるか。アイツは顔が広いから、どこの幻想域でも領主を知ってるはずだ。領主は、棲みついてる伝承種のことなら把握してる。だいたいはな」


 彼の言葉に従って、思い思いに部屋へ戻っていく人の流れに乗り、エレベーターを目指す。何度か見送り、階段で上がることも頭をよぎったが、そちらはそちらで混雑していた。


 二台あって助かった。鮨詰め状態のエレベーターで七階まで上がり、弾き出されるように廊下に出る。七階で降りたのはレイたちだけだった。


 七三一号室の前には、警備員であるアドラムが——いない。


 彼の黒髪は、床に倒れ伏していた。


「アドラム!」


 ローマンが駆け寄る。カーペットには血が染み込んでいて、腹部には深々とナイフが突き立てられていた。ローマンは首に手を当てて脈を測り、彼のシャツを脱がせる。まだ、生きているのだ。レイは立ち尽くすばかりで、適切に処置をする彼を見ていた。


 ローマンは呻くアドラムに声をかけ、カウントして一息にナイフを引き抜く。彼はいっそうの痛みに顔を歪めた。干渉基盤を励起させ、詠唱を始めながら傷口に手をかざす。


trpícího苦しむ者よ、, můžu tě slyšetあなたの声が聞こえる……Nepřekročíš řekuあなたは川を渡らず、, ale vrátíš se k nám我らの元へと帰る


 傷は見る間に塞がっていき、アドラムの顔に血色が戻る。ローマンはふうと息を吐いては、彼を軽く揺さぶって声をかけた。「大丈夫か?」


「う……ろ、ロード……?」


「傷は処置した。念のため救護室で診てもらえ」


 アドラムの肩を叩いて立ち上がった彼は、わずかに開いているドアを勢いよく開けた。


「クロフォード! 返事しろ!」


 その声には、明らかな焦りが滲んでいる。レイは頭を抱えながら体を起こすアドラムを置いて室内へ入り、部屋の惨状に絶句した——誰も、いない。


「クソッ……!」


 ローマンが柱を拳で殴りつけ、忌々しそうに漏らす。


 乱れたシーツ。切り裂かれた枕。血に染まった羽毛。そして。


「そんな……」


 ——『調査を中止しなければ、彼の命はない』という、壁に書かれた脅迫の血文字。

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