Sec. 05: The Menace from Pride - 02

 レイはクロフォードの名前で思い出して、ジャケットの胸ポケットに差していたカラーグラスを取り出した。それをかけ、会場の壁際に立って、虚空に語りかける。会場の人々はこの夜会でしか得られない人脈を作ることに熱心で、レイのことなど見向きもしない。


「アダム?」


『はい』


 起動した。よかった、と安堵を覚えつつ、さらに話しかける。


「先生は……ミスター・シャーロックは、今なにを?」


『お繋ぎいたしますか?』


「繋げるのか?」部屋に行かなくても話せるんじゃないか。それなら、最初に教えてほしかった。アドラムに睨まれることもなかっただろうに。「頼むよ」


『かしこまりました』


 数秒沈黙したあと、カラーグラスのテンプルあたりから衣擦れの音が聞こえてくる。


『何か?』


 甘く伸びやかな声。呆れの滲んだその台詞は、騒がしい会場でもはっきりと聞き取れた。レイはシャンパングラスに口をつけ、青みがかった視界で会場を見渡しながら答える。


「どこにいるんだ? 今いいか?」


『ベッドにいる。ちょうど聖書を読むのにも飽きてきたところだ。新しい推理でも?』


 いつもの、クロフォードの不敵な笑みが目に浮かぶようだった。レイは内ポケットから手帳を取り出し、慎重にめくる。話すべきことを取りこぼさないように。


「一日目の夜にハウエルズと誰かが言い争ってるのを見たって、カルヴェが」


『相手はよく覚えていないと?』


「そうだ」彼女をよく知っているらしい。「チェンバーズか、スチュアートだと思う」


『なるほど。それで?』


「それで……」


 レイは咄嗟に答えられず、鸚鵡返しにしてしまう。それを感じ取ったのか、クロフォードは小さく笑い声を漏らした。嘲りではなく、慈しむような笑みだった。


『意地悪な聞き方だったね。君は誘拐と殺人、どちらだと考えている?』


 ローマンと同じことを言って、質問を二択に絞ってくれる。空気中の魔素濃度が変わっていないのだから、殺人ではないだろう。しかし彼がわざわざ尋ねるということは、そのままの答えではないはずだ。クロフォードは、この事件を殺人だと考えているのだろうか。


「お前がそう言うってことは、殺人……なのか? けど、魔素濃度に異常はないんだぞ」


『チェンバーズのベッドの上には、式核の一部も残されていた』


「は?」


 式核は、魔法使いにしか見えない。


 残っていたとしても、クロフォードにしか見えなかった。それはいい。だが、なぜ彼は今に至るまで、それを黙っていた?


「捕まるときに証言すれば——」


 レイは猜疑心に襲われ、考える前に口を動かしてしまう。


 捕まったとき、ハウエルズに証言していれば、何かが変わったかもしれないのに。


『私にしか見えないものがそこに存在している、という証明を成せる手立てが?』


「……それは、そうかもしれないけど」


 見えるか見えないかは、個人によって異なる。みんなには見えないで、クロフォードにだけ見えるものが存在していて、それがあることを、容疑者である彼が訴えたとしても。その訴えが容疑を逃れるための嘘ではないことを、証明できない。


「じゃあ、なんで最初に面会したときに言わなかったんだ」


 少なくとも、あのとき言ってくれれば、もっと早く調査が進展したかもしれない。


 ややあって、クロフォードは軽いため息をついた。


『鍾尤やローマンには、伝えるべきではなかった』


「なんでだよ?」


『私の証言を軸に調査を進めれば、それは中立ではなくなる。まずは私の証言を抜いて、調査してもらおうと思っていたのだが……話を聞くに、行き詰まっているようだから』


 執行者である藍鍾尤や、賢者であるローマンは、クロフォードと親しい。しかし事件の捜査においては、公平中立であることが求められる。真実かどうかもわからない証言を軸に捜査を進めれば——それが真実であったとしても——過程にきずがつくだろう。そうなれば、あのハウエルズを納得させることも難しくなるかもしれない。可能性が少しでもあるなら、それは避けるべきだ。


『式核が残されていたということを抜きにしても、魔素の濃度が変わっていない以上は、これが殺人であることがわかるはずだ』


 物質が壊れると、構成式は魔素に還る。濃度が変わっていないのだから、人体は破壊されていない。何度も確認してきた事実だ。ローマンが言うには、式幹を丸ごと魔素に変換してしまえば式核に触れずとも人体を消失させられるとのことだが——式核が残っていたのなら話は別だ。犯人は、魔素の濃度を変えず、人体を消し飛ばした。


「魔素を増やさずに人体を吹き飛ばすって……そんな魔術、使えるわけないだろ?」


『あらゆる可能性を検討し、一つずつ潰したまえ。最後に残ったものが真実か、あるいは、真実への手がかりとなる。まず、魔素の濃度を変えない方法にはどんなものが?』


 クロフォードはいつも通り、隣を歩くときのように少しずつ、調査を進めてくれる。


 魔素を濃度を変えないためには、人体を破壊して増える魔素の量を計算し、同じだけの魔素を、あらかじめ大気から引いてやればいい。魔素は基本的に、魔術師の体内で魔力に変換される、もしくは魔術的資源として改竄され、別のものに変換される程度のものだ。


 あらかじめ大気から魔素を取り出すには、魔素を別の物質に書き換えてしまえばいい。


「魔素変換を使って、人体の崩壊で増えるぶんの魔素を差し引いておく、ってことか?」


 レイは答えに辿り着いたと興奮気味になりながら、必死で声をひそめた。会場は騒がしいが、どこで誰が聞いているとも限らない。シャンパングラスの中身をあおって給仕に手渡すと、レイは会場を後にする。あの場にいても、ノイズが多いだけだ。


 廊下は喧騒から遠く離れ、静かだった。人影はない。レイは夜会会場となっているレストランの反対側にある、ラウンジへと赴いた。間接照明が多く用いられており、モダンな雰囲気を醸し出している。中にはレイを含めて両手で数えられる程度の乗客が滞在していて、老夫婦や若い男女など、みな思い思いに過ごしているようだった。


『あまり静かなところへ行くと、注目を集めるよ』


「どこから見てるんだよ……」


 うんざりしてレイがこぼせば、クロフォードはふふ、と笑う。


『君の手首にある契約の印だ。君の大まかな居場所は、それを通して伝わるようになっている。居所がわからなければ、守りようがないだろう?』


 それって、プライバシーの侵害だろ。


『無論、有事に備えてのものだ。普段は切っているとも。今も、環境音が変わったところから推察しただけさ——手錠だけでなく首輪までつけられては、簡単な魔術も使えない』


 レイがそう反論するよりも前に、クロフォードはにこやかな声音でそう答えた。まあ、それならいい……のかも、しれない。レイは自分が絆されつつあることにぶんぶんと首を振り、自らを戒めた。クロフォードは必要であれば容赦なく嘘をつく人物だ。いつ、また裏切られるともわからない。あまり信用するべきではない——事件の推理を除いて。


『それで。魔素を引くために魔術を使うとしたら、どんな物質に変換する?』


 魔素を消費するための魔術なら、なんでもいいはずだ。


 魔素は式核を持たないため、魔術師でも好き勝手に改竄できる。たとえば炎、風、光といった自然現象を生じさせることもできるし、長くはもたないものの、食器などに変換することも可能だ。——食器。


「チェンバーズの部屋には手つかずの紅茶が……ティーカップが二つあった。魔素変換で生み出されたものなんじゃないか?」


 そうしてあらかじめ魔素濃度を下げておけば、あとでチェンバーズを殺したとき構成式が魔素となって還っても、濃度は通常を保つことができるだろう。


『だが、仮にそうでも「どうやって遺体を残さず殺したか」は、不明のままだ』


 その通りだ。レイは調査が白紙になるのを感じ、無力感に心がじわじわと侵食されていくのを理解する。犯行が可能なのは、クロフォードだけではなくなった。錬金術師であるフェアクロフは魔素変換に造詣が深いだろうし、動機があるハウエルズはもちろん、式幹をごっそり魔素に変換できるのは自分だけ、と申告したローマンも犯人候補だ。


「現場に戻ってみる。このまま繋いでていいか?」


 レイはまだ第二の事件現場を見ていなかった。カーリーの部屋にも不審なものが増えていれば、魔素で変換されたものだとみなすことができるだろう。


『いや。すまないが、そろそろ寝るよ』


 あくびまじりに言って、クロフォードは『悪いね』と付け足した。疲れているようにも思えなかったが、眠いなら引きとめることはできない。一人でだって調査できる。


「そうかよ」


 レイは拗ねたように吐き捨て、通信が切れたのを確認してため息をついた。


「アダム、代わりに手伝ってくれるか?」


『喜んで。何からお手伝いいたしますか?』


「現場に行くから……部屋の魔素濃度を調べてほしい」


『かしこまりました』

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