Sec. 02: The Man of the Jackpot - 01

 翌日、レイは痛む頭でセッションに参加し、ほとんど上の空で発表を聞いていた。


 アクシデントが起こったのはその翌日——出航してから三日目だった。時間になっても、発表者が会場に姿を見せなかったのだ。連日の夜会で寝坊でもしているのだろう。


 ハウエルズは参加者に断りを入れ、客室に発表者を呼びに行くことにした。


「ミスター・シャーロック、来てちょうだい。ねぼすけさんを起こしに行きましょう」


「ああ」クロフォードはため息を吐く。「私が手伝えることはないと思うが」


 魔法使いは構成式を自由自在に操れるため、眠りこけている発表者——確か、キース・チェンバーズという名前だったはずだ——の、基底状態にある意識を揺り起こすこともできる。無理やり起こすのにうってつけではあるか。


 もっとも、魔法使いをモーニングコール代わりに使うなんていうのは、レイには思いつかない所業だけれど。


 レイは興味本位で彼らについていくことにして、クロフォードとハウエルズを追った。同じ考えの魔術師がいたらしく、執行者の藍鍾尤や人物画家のカルヴェも、レイと同様に二人の後を追いかけてきた。


 デッキ八のペントハウス・スイートが、チェンバーズに割り当てられた部屋のようだった。交霊学派の教授であるためなのか、それなりにいい待遇を受けているらしい。


 ハウエルズは勝手についてきた数人の魔術師を呆れたように見やって、スイートルームのドアをノックした。返事はない。ずいぶん深く眠っているようだ。


「ミスター・チェンバーズ? もう貴方の発表時間よ」


 クロフォードがすがめになって扉を睨み、耳をあてがう。


「何をしているの?」


「マスターキーは?」


「船長室に……シャーロック?」ハウエルズは察したのか、顔を青くした。


「後で直す。〈開けアペリー〉!」


 クロフォードはドアのロック部分を構成する式を破壊し、扉を乱暴に蹴破った。吹き飛んだドアはひしゃげ、入ってすぐの机にぶつかって乗り上げている。


 入り口左手に区切られた寝室があり、クイーンベッドが置かれているが、その上に男の姿はない。シャワーの音がするわけでもなければ、寝室奥のリビングエリアにも、人影はなかった。いないのだ。誰も。バルコニーにも。


「キース! いるなら返事をして!」


「ミス・ハウエルズ……」藍鍾尤が呆然と呟いた。「……式を見てみてくれ」


「式?」


 レイは目を凝らし、魔術師としての視覚を起動する。ベッドの上に、不審な黒い欠片が散乱していた——もつれあってはいるが、構成式だ。


「え————」


 そしてそれは、人間が持つ型を残していた。


「……シャーロック。動かないで」


 ハウエルズは銃を構えている。口はクロフォードに向いており、引き金には指。レイは彼女の意図が理解できず、ワンテンポ遅れて喉を鳴らした。


「藍鍾尤、彼を拘束してちょうだい」


「あ、ああ」


 言われた通りに藍鍾尤がクロフォードに手錠をかける。納得できないレイは、なんとなく内々で話がまとまっているらしい三人に向かって疑問をぶつけた。


「どうして先生が拘束されるんですか?」


「シャーロックの固有魔法を知っている?」ハウエルズは厳しい声で問う。「肉体はなく、構成式だけが残っている。つまり物理的な殺害ではなく魔術的な殺害よ。けれど、人体という物質を消滅させるには式核への干渉が必要不可欠。この船で式核に干渉できるのは?」


 式核という構成式の中枢に触れることができるのは魔法使いだけ。この世に魔法使いは三人で、この船には——クロフォードただ一人だ。


 レイは反論できず、ぐっと唇を噛んでうつむいた。


「それを抜きにしても、触れられない構成式を握りつぶせるのは世界にあなたしかいない。そうよね? シャーロック」


 ハウエルズがクロフォードを見る。春、別の魔術師にも言われた言葉だ。構成式は本来魔術師であっても直接触れることはできず、干渉基盤と魔術を用いた介入が限度である。


 しかしクロフォードは例外であり——式に触れて、それを砕くことができる。ならば彼が魔法使いであることを差し引いても、唯一の犯人であるということの証左になる。


 クロフォードは何も言わず、ただ自分の手首にかけられた枷を見下ろしている。これを不当として弁明するものだと、レイは当たり前のように思っていた。しかし彼は何も言わず、わずかにため息をつくばかりだった。


「自白なさい。あなたがチェンバーズを殺したのね?」


「動機がないだろう」クロフォードは少しの動揺も見せない。「私は彼をよく知らない」


「誰でもよかったのではなくて? この殺人が可能なのはあなたしかいないわ」


「魔術師に可能か不可能かを問うのはナンセンスだと思わないか、ミズ・ハウエルズ」


「じゃあ——あなたは、こんなことが魔術師にもできると言うの?」


 そこで、クロフォードは目を細める。ハウエルズはそれが癇に障った様子で、藍鍾尤に鋭く指示を出した。「連れて行きなさい」


「クロフォード・シャーロックを容疑者として拘留します。客室から一歩も出さないで」


「イエス・マム」藍鍾尤はわざとらしく敬礼をした。


「そんな……」


 レイには信じられないことばかりだった。船内で殺人が起こった——つまり、殺人犯がまだレディ・モルガン号に乗っていること、その殺人の容疑者がクロフォードであること、クロフォードが自らにかけられた容疑に、本気で反論しないこと。


 特に三番目は、何よりレイにショックをもたらした。反論しない、すなわち本当に、クロフォードが殺したのではないかという疑念。そんなはずはないと、自分でもわかっている。


 レイはクロフォードという男が私怨で人を殺すような人物には思えなかったし、そもそも他者を嫌うといった感情を抱くとすら思えなかった。


 藍鍾尤がクロフォードを連れていく。レイは二人の後ろ姿を眺めながら、集まってきた野次馬の好奇の目に晒されることとなった。その中には創生学派の賢者であるローマン・ヴィドラもいて、彼は連行されるクロフォードを怪訝そうに一瞥したあと、レイのほうへ近づいてきた。


「レイ、なんだってアイツが手錠をかけられてる? チェンバーズはどうした?」


「実は……」


 事情を説明すると、ローマンはさらりと笑う。


「それならしょうがねえな」


「しょうがないって、でも、ロード」


「オレが解決してやりたいところだが、賢者って地位もある。オタクに任せたぜ」


 肩を叩かれ、レイは飲み込めないで目を白黒させた。自分で捜査をしろと言うのか? 執行者が多くいるこの船内で?


 インカムで残りの執行者に指示を出していたと思しいハウエルズが、発表のスケジュールを遅らせることについて参加者に周知した。船内アナウンスに乗った声はひどく冷たく、ブリーフィングで聞いた優しい声とは似ても似つかぬものだった。


 発表再開まで残り一時間。そのあいだにクロフォード以外に犯人がいることを突き止め、証拠を提出しなければならない。協力者は望めないだろう。レイは今までにない緊張感を抱きながら、同時に胸が高鳴るのを感じていた。

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