Sec. 01: Conference Presentation - 04

 Dブロックは四人掛けの席で、既に二人が腰を下ろしていた。一人は『最もロゴスへの到達可能性が高いのは錬金術である』という発表をしていたフェアクロフで、もう一人もフェアクロフと同じく女性だった。淡い金髪にそばかすのある、まだ若い女性である。


「ミスター・シャーロック。先日はどうも、マスターがお世話になりました」


 フェアクロフはクロフォードが席につく前に、そう声をかけてきた。


「いえ。こちらこそ無理を言って申し訳なかった。助かりましたとお伝えください」


 にこりと笑顔で対応するクロフォードは、普段の仏頂面を知っているレイからすれば、どこか不気味にすら見える。唇の角度、眉の下がり方まで完璧なのだから余計に恐ろしい。


「ああ、先日の吸血鬼殺人で宝石を融通してくれた、プラハの友人だよ。彼がマスターを務めているのが、ミズ・フェアクロフが所属する『黄金の小路』さ」


 不思議そうな顔をしているレイに、クロフォードは補足してくれた。


 そういえば、春に起こった連続吸血鬼殺人事件において、クロフォードは鉱石魔術に使用する宝石を掻き集めるためにプラハに飛んだことがあった。そのとき手伝ってくれたのが『黄金の小路』のトップであるらしい。


 もう一人の女性は、皿に山盛りにされたボロネーゼを熱心に食べているところだった。クロフォードはサラダに手をつけはじめ、レイもマカロニを口に運ぶ。


「ミズ・カルヴェはどんな発表を?」


「あたし?」そばかすの女性は眉をひそめて、顔を上げた。口元にミートソースが付いている。「名前でいいって言ったわ、クロフォード。あたしは『肖像画による構成式の複写』についてやるつもり。三日目よ。あなたは? ああ、警備責任者なんだっけ」


 カルヴェは新しいパスタをスプーンの上で巻きながら言い、クロフォードを上目遣いで見やった。子どものような食べ方に、レイは彼女を早々に変人と結論づける。


「あなたの発表も聞きたかった。あたし、あなたの理論、好きよ」


「光栄だな、ベルティーユ。私も君の絵が好きだよ」


「ほんとう?」彼女は目を輝かせる。「じゃあ、今度こそモデルになって」


「すまないが、それはローマンに頼むといい。彼なら引き受けてくれる」


「あなたじゃなきゃだめなの。彼の絵はもう描いたわ、何枚もね。でもあなたの顔は……描こうとしても描けない。どう描いたって、あたしが見てた顔と違っちゃう」


 レイは小さなステーキを食べながら、クロフォードの顔を初めて館で見たときのことを思い出していた。顔に被せられた聖書をどかしたときの、あの黒々とした顔。ただの闇と形容するのがふさわしい何か。あれと、何か関係があるのだろうか。あるとしたらきっと、彼が人でなしであることも関係しているに違いない。


 クロフォード・シャーロックは亜人である。魔術社会では神話や伝承に登場する生物をまとめて伝承種と呼び、そのなかでもヒト型のものを亜人と呼ぶ。クロフォードは神霊を喰らった亜人であり、現実領域からは既に姿を消して久しい伝承種の、数少ない現存する一種であるのだ。伝承種には人間の常識は通用しない。そういうことも、あるのだろう。


 カルヴェはむくれてフォークの先でボロネーゼをつつき、フェアクロフに軽蔑の視線を向けられている。画家だろう彼女はそれを意に介することもしなかった。もう大人だし、誰も注意しようとはしないのだろうけれど。


「私の肖像画など、どうするつもりだい? 私は買わないが」


「あなたの細密画ミニアチュールが欲しいってご令嬢がごまんといるワケ。そういうお嬢様方に売るの。写真のほうが売れるでしょうけど、あなた、写真なんて『セラフィム』のカメラマンにも撮らせないじゃない?」


「なるほど」


 クロフォードは鼻でため息をついた。『セラフィム』は魔術社会——幻想域で流通している唯一の新聞で、その写真は映像のように決められた秒数だけ動くことで有名だ。古い『セラフィム』が学術院の図書室に置いてあるのを見つけて、少し読んでみたことがある。中身はほとんど学術的な発見と魔術犯罪の報道に終始していて、現実領域の新聞とあまり変わらないな、と思ったことを、レイはよく覚えていた。


「ミズ・カルヴェ、そのあたりで」


 こほん、と咳払いをしたのはフェアクロフだった。下世話な話をするような場所ではない、ということだろう。実際、貴族や研究者の多いこの場で商売の話をするのは場違いだ。レイはオレンジジュースを飲みながら、内心でフェアクロフに同意した。


 それからの食事は、実に穏やかなもので終わった。フェアクロフは綺麗に食べ終わった皿を残してレストランを去り、カルヴェも食べ方の汚さとは裏腹に綺麗な皿を置いて席を立った。レイが最も遅くまで食べていて——クロフォードはサラダと炭酸水だけで、食事という食事をしていないので——クロフォードを待たせることになってしまった。


 ポスターセッションは、研究者が自分の理論や実験を壁面に展示する形式の発表である。


 レイはふらふらといろんな展示を見てまわり、興味のある分野を探した。基礎学派を出たあと、自分はクロフォードが教授を務める伝承学派を主専攻に置くのだろうと思ってはいたが、どの魔術体系を学ぶかは考えていなかった。魔法使いの弟子なのだから、やはり魔法か。


 だが魔法を扱うには干渉基盤に特殊な機構が必要で、その才能は先天的に決まる。入学のときにも何も言われなかったから、自分には魔法使いの才能はないのだろう。


 ならば、どんな改竄言語を扱うかは自分の自由だ。レイは錬金術にも興味があるし、魔女術にも、占星術にも、呪詛にもカバラにも興味があった。


『ルーンを使用した自律発動魔術の生成実験』『構成式改竄儀装としての「賢者の石」の再定義』『惑星配置による構成式変位の時系列的研究』など、さまざまな展示がある。


 そんななかでレイが目を引かれたのは、電脳魔術に関する発表だった。


 電脳魔術は魔術式をデータ化したり人格を再現したりする魔術分野で、電脳魔術使いはハッカーに近いと言われている。学術院内ではヴェリタス・ネットワークという演算ネットワークが用いられ、講義のスライドを出したり学院内のデータを閲覧したりすることが可能になっている——論文は適用外のようだが。


 ——『干渉基盤の仮想化』と『人格エミュレーションと擬似霊魂の構築』が、電脳魔術のブースで興味を引かれた二つの展示だった。


 干渉基盤は擬似的な臓器であり、これを通して魔術師は魔力を生成し、魔術行使のための演算を行う。いわば魔術師が魔術師であるための心臓だ。これを仮想化することができたなら、魔術は魔術師ではない一般の人間にも開かれた学問となり、神秘は失墜する。


 そもそも、神秘は秘されなければならない。故にこその『神秘』である。知られれば、魔術を形作る幻想——すなわち魔術という概念の構成式は変質し、今までの魔術が全く通らなくなる可能性がある。失墜した神秘は変化しやすくなり、変化すれば、今までに積み上げてきたすべてが崩れ去る危険性を孕む。だから、神秘は秘匿されなければならない。


 そんなレイの不安とは裏腹に、発表者が主張しているのは『干渉基盤の仮想化による魔術儀装の広がり』についてだった。基盤を仮想化できれば儀装に搭載することも可能となり、自律して魔術を使うAIのような魔術師を運用することもできるだろう、と。


 もう一つの発表は『人格をエミュレーションし、霊魂の構成式を複写して仮想空間上に人間を再現する』という試みだった。魂については式核に含まれているため、魔術師には見えすらしないはずだが——発表者は魔法使いユリウスの名を共同研究者に挙げていた。基礎学派の賢者で、現存する三人の魔法使いのうちの一人だ。式核部分の構成について、人類の文字に直した言語である『解読言語』として教えてもらったのだろう。


 レイはしばらく展示を見たあと、会場の壁際に置かれた椅子に座って内容をメモした。『錬金術は全ての魔術の基礎である』というフェアクロフの言説が心に残っているのか、自ずとそれに関するメモ書きが増えていった。


 あっという間にアフタヌーンティーの時間になり、レイはつまらない茶会を楽しむふりをさせられて、また次のセッションへ身を投じることになる。


 最後のセッションでは特別講演として、ローマンが壇上に立っていた。


 彼は『音による精神誘導の定量分析』と題して、自らの専門分野である音楽の魔術について講演を行なってくれた。席についたレイの隣にはなぜかクロフォードが座って、彼はマイクを握る元弟子を感慨深そうに眺めていた。


 夕食は本格的なフルコースで、レイは着慣れないスーツに身を包んで出席した。席次はここでも日替わりになっているらしく、ハウエルズやローマンといった学会上層部以外は、毎日別のテーブルで食べることになっているという。


「ミスター・シャーロックとご一緒できるとは、光栄です」


 にっこりと笑ったのはダークブロンドの短い髪の男で、レイが興味を引かれた『仮想空間上に人間を再現する』展示の製作者だった。


「こちらこそ、光栄です。ミスター・エディソン」もしかしてクロフォードは乗客名簿が頭に入っているのだろうか。「貴方の展示を拝見しました。実に興味深いテーマだった」


「それはどうも。あなたは魔法使いですから、つまらないのではないかと思いましたよ」


「まさか。とても興味を引かれました」


 小綺麗な社交辞令を交わしているうちに夕食が終わり、レイはあてがわれた客室へ戻る。ワインでふらふらになったレイをいつでも支えられるよう、クロフォードが従者のように隣で控えていた。酒に弱いほうではないと自認していたが、ワインは向いていないようだ。


 クロフォードはついに廊下の壁に頭をぶつけたレイを、ため息を吐きながら回収する。腕を自らの肩に回させ、デッキ七の客室まで連れていった。


 レイのポケットに手を突っ込み、クルーズカードでドアを開けて、クロフォードは中へ入っていく。部屋の入り口近くにある大きなベッドにレイを座らせれば、その両手に己の白い手を被せ、しゃがみこんで下から目線を合わせる。


「大丈夫か?」


「だいじょうぶ、だ……」


「そうか。どうせ夜会はそう楽しくない、このまま眠っていても構わないよ。十時以降はラウンジを除いたほとんどの区画が立ち入り禁止になる、うっかり外に出ないように気をつけなさい。執行者が駆けつけてしまうからね」


 クロフォードはいつもより幾分か優しい口調で言うと、レイの頭をぽんと撫でて部屋を出ていった。レイはぼんやりする頭と上昇する体温にやられて、シーツの海に倒れ込んだ。そして、そのまま眠りに落ちてしまった。

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