第12話 無慈悲な慈悲



 

「リヒト様って、魔王様になるのが夢なんですよね!」


 まだビルケンシュトック領が滅ぼされる前のことだ。


 領内にある水車小屋の近く。小川に向かって釣り糸を垂らしながら読書を楽しんでいると、イザークがとんちきなことを言いながら絡んできたんだ。


「……いや、目指さないが?」

 

 眉をひそめながら否定すると、イザークがきょとんとした表情で瞬きを繰り返す。


「あれ? あれれー? 目指さないんですか!?」


「うん。……どう考えても無理だろ。考えてみろ、魔王だぞ魔王。魔界最強の称号なんだぞ? そんなもの目指すわけないだろう」


 豊臣秀吉や徳川家康みたいなりたいって言うようなものだ。十歳の子供が語るにしても、あまりにも壮大すぎて失笑を買いかねない。


「えー、でもライラさんが言っていましたよ! 『リヒト様は魔王を目指されるつもりです。だからたくさん勉強や剣術の訓練を頑張っているんです』って! イザークくんも見習わないと駄目ですよーって言われました!」


「……それ、騙されているぞ」


「えぇ!? そんなっ! それ聞いてめっちゃやる気出たのに!」


 ガビーン、と口に出しながら涙目になるイザーク。こいつ単純馬鹿だからな……ライラの適当な口車にあっさり乗せられてしまっていやがる。


 イザークの親が「真面目に勉強しない」って悩んでいたからなあ。そのせいだろうな。


「……まあ、魔王は目指さないけど、この領地をいずれ継ぐことにはなるから大きくしていきたいとは思っているな。目指すとしても大領地の領主ってところだ」


「え、大領地の領主!? すっげー!」


「……いや、まあ、うん」


 半分冗談のつもりで口にしたんだけどな。なんかすごく目をキラキラさせているから、訂正するのも野暮か。


「えへへ、やっぱりリヒト様はかっけえや。なら俺はリヒト様の騎士になります! 大領主を支える右腕! めっちゃかっこいいですよね!」


 その辺に落ちていた棒きれを拾って、得意げに素振りをしながら言ってみせる。動きは案外、様になっていた。ライラに教わったんだろうな。


「……たく」


 調子がいいやつめ。


 そう思いながら溜息をつくと、置き竿の先端がピクピクと揺れ始めた。本を閉じて、竿を手にして合わせると、ぐんっと竿先が引っ張られた。


「お、おぉっ! 大物ですね!」


「大物である必要はないんだけどな!」


 狙いは、この川に棲息するマナウナギだ。マナウナギの骨は咳嗽がいそうの薬になる。欲しいのはどちらかというとその素材の方だ。


 数分ほど格闘し、僕はなんとかマナウナギを釣り上げることができた。ヌメヌメしているせいで魚籠びくにいれるのには苦労したが。


「でかかったですね、リヒト様」


「うん」


「……でも、どうしてウナギなんて釣っていたんですか? 食べたかったとか?」


「違うよ。薬を作るためだ」


「……薬?」


「アンナ、最近喘息が出てきているだろ? マナウナギからは喘息によく効く薬が作れるから」


 僕がそう言うと、イザークはぽかんと口を開いた。瞬きを繰り返し、目をこすり、また瞬きを繰り返す。


「……え、アンナのためだったんですか?」


「ああ。なんだ、何かおかしいのか?」


「……い、いえ。まさか、アンナのためにこんなことまでしてくれるなんて……」


「……? 友達だからな。当然だろ」


 イザークの目が見開かれる。


 そこで初めて僕は気づいた。そうだ、弱小とは言え僕は貴族なんだ。平民の病気のためにそんなことをする貴族なんて珍しいなんてものじゃない。


 僕の父様が平民上がりだから、領民たちとの距離は近い方だとはいえ。ああ、これはまた父様から「地位のある魔族としての威厳を持て」と叱られるかもだなあ。


 憂鬱になっていると、イザークが一歩踏み込んできた。


「……決めました」


 胸に手を置いて瞳を輝かせる。


「俺、一生リヒト様についていきます! このイザークの命はあなたのものです!」


「お、おう。そうか……」


「はい! ちなみにアンナも一生あなたについていくと思うので、どうか嫁にもらってやってください!」


「……えぇ。なんか勝手に決められてるんだけど。というか、アンナのいないところで決めたら駄目だろ」


「問題ありません! アンナは常々リヒト様のお嫁さんになりたいと言っているので!」


「……いやいや、それは微笑ましい幼子の告白でしかないだろ。本気にするなよ」


「いえ、アンナは本気ですよ! 僕ももらって欲しいです! 平民なんで側室でしょうが、それでかまいません!」


「……」


 たしかに、魔界では側室を取ることが慣習的にも許されているとはいえな。そんな重すぎることをウナギ釣っただけで判断するなよ……。


 鼻息を荒げて詰めよってくるイザークをかわしながら、僕は苦笑いを浮かべた。


「……まあ、アンナが大人になっても僕のことを好きなら考えとくよ」


「はい! 真剣に考えてくれてありがとうございます!」


 そこまで本気じゃねえよ……建前だよ。


 熱くなるイザークにそう言ってやろうとしたが、あまりにも嬉しそうに満面の笑みを浮かべるものだから止めておいた。


 たく、この馬鹿め……。


 こんな真っ直ぐな勘違い野郎が部下になるなんて、将来の僕は苦労するだろうな。








「……」


 僕は、闘技場へと続く道を重い足取りで歩いていた。


 しゃりしゃり、と粗雑な鎧が音を立てる。


 もう何度聞いたかすら分からない音。僕の神経をすり減らし、誇りや尊厳を石細工の加工のように削り落としていく。


 赤い空。


 欲にまみれた観客席。


 そして、だだっ広い石の広場。


 僕は、足を止める。


「……」


 イザークと釣りをしながら馬鹿みたいな夢を語り合ったあの日、こんな目に遭うことになるとは微塵も考えていなかった。


 無為な戦いを強制させられる日々。


 父様から教わった剣術を見世物にされ、娯楽として消費されてゆく。


『うふふ、いらっしゃいリヒトちゃん。今日は特別な相手だから楽しんでほしいわねぇ』


 変態貴族の言葉には、なにも答えない。


 僕は腰に佩いた剣を引き抜いて正眼に構える。


 さっさと終わらせよう。さっさと終わらせて、アンナたちのもとに帰るんだ。あの変態に触られる時間を減らすため、なるべく傷を負わないように気をつけて。


『つれないわねえ』


 変態は、つまらなさそうに息を吐いた。


『……まあ、いいわ。対戦相手を寄越しなさい。ふふ……今宵は、最高の宴になるわよぉ』


 歓声が波のように起こった。


 馬鹿どもが。


 悪態が頭を過ぎる。考えるな。苛立ちはただのノイズにしかならない。剣が鈍るだけ。マイナスにしかならない。


 集中しろ。


 さっさと終わらせるんだ。


「……」


 ひた、ひた、と濡れた足音がした。


 これまで聴いたことがない足音だった。姿を現したのはスライムとオークを足して割らなかったような異形の怪物。肉塊と表現した方がいいだろうか。濡れた泥人形のように潰れた顔に、何重にも潰れた緑色の腹。


 見たことがない魔物だった。


 魔物は、なにかをブツブツと呟いていた。痛い……痛い……。そう言っているのか? よく聴くとすすり泣くような声がした。泣いている。泣いているのか。


 僕は思わず舌打ちを鳴らした。


 なんて悪趣味なんだ。……こいつが何の魔物なのかは分からないが、泣いている相手と戦闘をさせられるのは気分が悪い。あの変態貴族が。どこまでも、僕の神経に障るようなことをしやがって。


 ドラが鳴る。


 心の準備が整わないまま戦闘が始まってしまった。すすり泣く化け物は動かない。ぶよぶよとした腕で、顔らしきところをひたすらこすっている。


 僕は、一歩踏み込んで止まった。


 戸惑いが躊躇を生んだんだ。どう見ても敵には戦う意思が見られない。なんなんだ。はやく終わらせて帰りたかったのに、僕の剣はどうしても動かなかった。


「……っ」


 くそ、どうすれば――。


『ああ、もう何しているのよぉ! さっさと殺し合いをしなさい! メソメソメソメソ泣いているんじゃないわよ!』


 変態貴族が苛立ちのこもった怒声を浴びせかける。それに追従するように観客たちのヤジが飛び始め、化け物はおびえたように身体を縮こまらせた。


 まるで、石を投げられる子供のような怯え方で――。


「……まて」


 子供?


 あいつは、子供なのか? 僕よりも二回り以上も巨大な体躯をしているが、僕にはどうしてもやつが子供のようにしか見えなかった。足が動かない。躊躇がさらに強くなる。


『あああああ、イライラするわねぇ! もういいから錯乱魔法をもっとかけちゃいなさい! 術師は何を躊躇しているというの! ちゃんと働かないなら殺すわよ!』


 空気がざわめく。


 妙だ。いつもなら敵にはデフォルトで強力な錯乱魔法がかけられているはずだ。それが、かけられていないのか? なぜ? 術師が躊躇した? どういうことだ。なぜ、躊躇なんかするんだ。


 僕がいつもとは違う事態に混乱していると、化け物が興奮して雄叫びを上げ始めた。錯乱魔法をかけられたんだ。化け物は口らしきところからよだれをまき散らしながら、突っ込んできた。


「――っ」


 僕は振り落とされた拳をギリギリのところでかわす。鈍重そうな見た目に反して、動きは想像以上に素早い。


 割れた石床が、どろりと溶ける。


 攻撃をくらったら終わりだ。


 僕は、着地と同時に敵に踏み込む。動きは僕の方が遥かに速い。いや、妙だ。最初から全力が出せる。いつもは、開始時からしばらく制限をかけられているはずなのに。


 化け物の反撃を避け、腕を切り落とした。


「……ァアアアアアアア!」


「――」


 すまない。


 僕も死ぬわけにはいかないんだ。どのみち僕が倒さなくても役目が終わればお前は殺される。


 だから――だから僕が。


 僕が、せめて楽にするしかない。


「ああああっ!」


 気合いとともに、化け物の分厚い胸を貫いた。素早く剣先に魔力を流し込み、感覚遮断の魔法を発動する。せめて痛みを感じないで済むように、少しでも穏やかに死ねるように。


「……ァ」


 化け物はわずかな呻きをあげて、ぐらりと身体を倒した。


 闘技場が虚しく揺れる。


 いつもの歓声はない。津波のあとのような冷たい静けさが、会場に重くまとわりついていた。


 興奮で息を切らしながら僕は、化け物を見下ろす。


 ――こんなに気分が悪くなったことが、かつてあっただろうか?


 やらなければこちらが殺されていたとはいえ、戦いを忌避していた相手を殺したんだ。抵抗感がないわけがない。


 僕は、震える手で自分の顔に手を置いた。


 スライムが死亡したときと同じように、化け物の身体がドロドロと溶けていく。肉の塊はゆっくりと原型を失い、やがてわずかな形だけを残して、そのほとんどが消えていった。


 そう、わずかばかりの肉を残して――。


「……」


 なんだ、あれは。


 僕は、残ったものを注視する。人の身体だった。ちょうど僕と同じくらいの大きさで、頭髪のほとんどが溶けてしまっている。


「ふふ、さすがねリヒトちゃん! 今回もよかったわよぉ」


 いつの間にか、変態貴族が降りてきて拍手をしていた。


「ふふ、予想外のトラブルもあったけどねえ。いやはや、まさかキメラにこれほどまでに自我が残るとは思っていなかったわ」


「……キメラ?」


「ええ、これはね、様々な魔物や魔族を魔法で合成させた生物なの。最後は自我を一番強く残したものが形を残すようね。……いい研究結果が得られたわ」


 ……なにを言ってやがる。


 キメラだと? 魔法で生物の特性を変えることができることも、そういう学問があることも知っている。だが、それは……それはまだ未完成の研究分野だろ。


「…………ァ」


 僕は、あえいだ。


 その横たわるものが、その溶けかけた顔が、僕の知っている人物と重なってしまったから。


 目を見開く。


 目が血走る。


 それは、あってはならないことだ。それは、それだけは……それだけは許容できない。


「ふふ、気づいたようね?」 


 変態貴族が愉悦に満ちた笑みを浮かべる。


 それは残酷な答え合わせだった。


 僕は……。


 僕は、取り返しのつかないことをしてしまったんだ。

 



  

「……イザーク」


  


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