第13話 魔族の正義




 

 精神的に強くなれ。


 模範的な魔族に相応しい心を鍛えろ。


 父様から、さんざん言われてきたことだった。


 たしかに僕は父様と比べても精神的な強さはなかったと思う。生まれ変わっても挫折の恐怖からは逃れきることはできなかったし、焦燥にかられて結果を求めたがる点では忍耐力があるとは言えなかった。


 だが、それでも僕は厳しい訓練で心身を鍛え続けてきたおかげで、前世とは比べものにならないくらい強くなってはいた。大概の痛みには耐えられるくらいに我慢強くはなっていたんだ。


 受験の失敗よりもはるかに残酷な苦痛を味わっているのに、それでも心折れずにいられたのは、その経験があったからだ。


 心は剣。


 僕はその剣をもって、アンナたちを守らなければならなかった。戦わなければならなかった。


 でも――。


「……なん、で」 


 なんで、イザークが。


 どうして? なんで? 化け物の中に入っていたのか。何かの間違い。僕の見間違い。いや、違う。あれは間違いない。間違いない。間違いない。イザーク。僕の友達。溶けている。キメラ。化け物にされた。あんな醜い化け物に。知らなかった。わかるわけない。あいつがこんなものになっているなんて――。


 膝が、勝手に崩れた。


 目の前の景色がぐにゃりと歪む。上下左右がわからない。赤い空と観客が、抽象的な絵画みたいに混ざり合ってみえた。ゴッホの絵。かつて美術館でみた星月夜。ああ、回っている。なにもかもがおかしい。おかしいんだ。なにかが千切れる音。まるで関節を無理矢理引き千切るような、肉感的な響き。ああ、ああ、ああ――。


 僕のこころが、千切れたんだ。


「――」


 耐えきれなくて、僕は吐瀉物をぶちまけた。


 受け入れられない。イザークが死んだ。イザークが殺された。僕の友達。僕のことを励まし続けてくれた大切な存在。それが、殺された。殺されたんだ。


 誰に……?


 吐瀉物で濡れた剣。


 その剣に、目を見開いた僕が映っていた。


 異様な輝きを放つ瞳が、僕を睨んでいたんだ。


「……」


 目が痛い。目が、痛い。


 まるで瞳に杭を打ち込まれているかのような痛みが響き続けている。ポタポタと落ちた雫は血の涙。ああ、痛い。まるで何かがそこに収束し、燃えてしまうかのようだった。


 なにか、なにかが、僕の身体を震わせる。


「ああ――美しいわねえ」


 下卑た歌が、耳朶を刺してきた。


「なんて素敵な光景なんでしょう。……友が友を病むにやまれず殺し、その死に自責を感じて伏せている。まるで童話を見ているようねえ。うふ、うふふふふふ――」


「……なんで」


 リヒトは、呻くように言った。


「魔術的な誓約を交わしていただろ……。お前と、僕の間でたしかに……アンナたちには手を出さないって」


「ああ、あれ? 確かにそうね。アンナちゃんやイザークちゃんの命の保証をする。そういう約束だったわねぇ」


 シェーンブルクはニヤニヤと笑って。


「でもあの契約、アンナちゃんとイザークちゃんが対象だもの。あれは、。イザークちゃんの身体が混ざった別のなにかよ。だから、契約には違反していない」


「――」


 髪を掴まれ、持ち上げられる。


 イカれた笑みが僕を見ていた。


「リヒトちゃぁん、これが魔族よぉ。奪い奪われ壊し壊され愛し愛され狂い合う。すべてはあなたから奪うため。あなたの瞳を絶望に染めて、素敵な魔眼を創るための儀式なの」


「……」

 

「絶望、愛、恐怖、怒り、悲しみ、憎悪。魔族はね、耐えがたいほどの強烈な負の感情を抱いた瞬間に、本当の自分の力を知ることができる。それが通過儀礼アコレード。魔族は強くなるために狂う宿命にあるの。うふ、うふふふふ」


 ――あなたはね、私とライラちゃんのシナリオで踊らされるまな板の魚に過ぎないの。


「あなたを目覚めさせてぇ、綺麗な瞳にさらなる星を与えてぇ、魔眼にしてから抉り取るつもりだったの! ああ、あなたのこころを折るのは苦労したわ。イザークちゃんはいい働きをしてくれた……本当に、最高よぉ!」


「……」


「皆様っ! ここに、新たな魔眼が誕生したわ!  どんな魔力を持っているのか十分研究したあとに、展覧会を開くから楽しみにしてくださいませ! あああああ素晴らしいウンダーバァル! 今日は、素晴らしい日になったわあ」


 ゲラゲラと、ゲラゲラと、ゲラゲラと。


 化け物どもの嘲笑が、変態の法悦に満ちた邪悪な笑いが、歪んだ景色の中でこだまする。影が蠢いていた。無数の影が。グロテスクな化け物たちの笑みが、混ざり合って溶けていって。


 僕は――。


 僕は、剣を掴んだ。


「――」


 すべてがぐちゃぐちゃに塗りつぶされていく。絶望と怒りが僕を突き動かし、これまでに聞いたこともない叫びが轟いた。殺意、狂気、憎悪、怒り、悲しみ。もうなんなのかわからない。わからないわからないわからないわからない。


 僕は、すべてを乗せて斬り掛かった。


「……ふん」


 だが――。


 僕の一撃は、変態の眼前に出現した魔力障壁にあっさりと防がれた。


「バカな子。その首輪があることを忘れたのかしらねえ」


「……ああああっ!」


 叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた叩いた――。あらん限りの力を込めて、その障壁に剣を叩きつけた。火花が散り、轟音が鳴り響く。だが、びくともしない。ヒビの一つも入らない。力が足りない。魔力が十分に身体と剣を巡らない。


 金属音とともに、剣が折れた。


 宙を舞う剣先。


 僕の胸元に、そえられた手。


「さよなら、リヒトちゃん」


 その瞬間、光が僕の心臓を貫いた。


 衝撃とともに吹き飛ばされ、僕の身体は闘技場の壁に叩きつけられた。血が噴き出す。息が詰まり、視界が一気に黒で蝕まれていった。


 痛みがない。身体が、冷たい。


 指先が震えて止まらない。


「……っ、ぁ」


 剣を――剣を握れ。剣を取らなければならない。

 

 戦わなければ、ならないんだ。


「心臓を貫かれた程度ではすぐに死なないわね。さすが剣魔の息子……いや、頑丈さは親以上かしら」


「……ぐ、ああ……ァ……ア……」


「ふふ、不様ねえ」


 変態は、言葉を切って続けた。


「……ねえ、リヒトちゃん。あなたがこうして何もかも奪われて、壊されて、挙句の果てに倒れてしまった理由はなんだと思う? 単純。そう、単純な答え。あなたが弱いからに他ならない」


 剣に伸ばした手が、踏みつけられた。


「魔族は力こそがすべて。力のないものは力のあるものに蹂躙され、奪われる。あなたやあなたの父親は私たちよりも弱かった。だから私たちという強者に奪われた」


 ――魔族とは、力の証明者。


「力こそが魔族の正義なの」


「……」 


「うふふ、最後に覚えておきなさい。そして、地獄に落ちた父親に伝えてやるといいわ。弱者は永遠に這い上がることはできないと」

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