第26話 魔王候補リュカの逃亡劇

聖剣騒動の余韻が冷めないうちに、もう一つの騒ぎが街を揺らしていた。

――魔王候補リュカが姿を消したのだ。


◇ ◇ ◇


「魔王候補が逃げたぞ!」

「ギルドが追ってるらしい!」


市場は朝から大騒ぎ。

パン屋の主人は顔を青ざめさせ、八百屋は「また戦乱が起きる!」と叫んでいた。

勇者が多すぎる時代なら、魔王だって多すぎる。

そのひとり、リュカ。

かつて僕に「モブとして生きたい」と言った青年だ。


――彼は、ついに舞台から降りようとした。


◇ ◇ ◇


夜の酒場金獅子亭

僕は桶の泡を見つめながら、彼のことを考えていた。

すると裏口が軋み、小さな影が入り込んできた。


「……カレー肉まん」


リュカだった。

息を切らし、マントは泥だらけ。

角を隠す布は破れ、目には必死さが宿っていた。


「助けてくれ。ギルドが……俺を捕まえようとしてる」


◇ ◇ ◇


事情はこうだ。

勇者ギルドは「新しい勇者神話」を安定させるため、同時に“魔王候補”を確保し、利用しようとしている。

勇者と魔王の対立は舞台装置。

つまりリュカは、ギルドにとって「必要な敵役」だったのだ。


「俺は戦う気なんかない。ただ静かに生きたいだけなんだ!」

リュカの声は震えていた。


僕は皿拭き用の布を握りしめた。

……ああ、やっぱり。

勇者も聖女も魔王候補も、みんな肩書きに押し潰されてる。


◇ ◇ ◇


「……また面倒を背負い込みますね」


背後で魔導書少女が本を開いた。

「魔王候補、逃亡開始。モブに接触」


やめろ、記録するな!


◇ ◇ ◇


そのとき、扉が乱暴に開かれた。

銀の鎧をまとった勇者ギルドの兵士たちが飛び込んでくる。


「魔王候補リュカ! そこにいるな!」


リュカが息を呑む。

兵士の視線が一斉にこちらへ注がれた。

――完全に包囲されている。


僕は反射的に立ち上がり、リュカの前に出た。

桶の泡を握りしめたまま。


「ちょ、ちょっと待って! ここは酒場だぞ! 皿と泡以外は出さないでくれ!」


……ああ、口が勝手に。


◇ ◇ ◇


兵士たちが一瞬ひるんだ隙に、ヴァルドがカウンターから飛び出した。

「ガキどもは引っ込んでろ!」

剣閃が走り、兵士たちの隊列が崩れる。


「今だ、走れ!」


リュカと僕は裏口から飛び出した。

夜の街を駆け抜ける。

背後で鎧の音と怒号が追いかけてきた。


――こうして、モブと魔王候補の逃亡劇が始まった。


◇ ◇ ◇


次回、「路地裏のモブ同盟」


お楽しみに。

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