飛行学①
天ヶ原で空を見上げれば、すぐに規則正しく引かれた白線の存在に気がつく。これは飛行して移動するドラゴニアのために整備されたもので、正式名称を「天中航路」というものなのだが、長いのでみな「天路」と呼んでいる。
僕は窓の外の天路を眺めながら、飛行学の授業が始まるのを待っていた。教室にいる学生はドラゴニアが大半、あとは僕を含めて少し人間がいるくらいだ。エルフが魔法学を受講するのと同じで、ドラゴニアたちにとってこの授業は「楽単」なのだろう。
ぼーっと空を眺めていると、不意に影が航路から降ってきた。僕がそれをドラゴニアだ、と認識できたのは、その人が窓をコンコンと叩いてからだった。
そのドラゴニアは無精髭を生やした、中年の厳つい男性で、ドアを叩きながら何やら口を動かしている。が、なにぶん窓を挟んでいるので何も聞こえない。僕はとりあえず窓を開けた。
「遅い。さっさと開けろ」
そのドラゴニアは眉間に皺を寄せて、僕の方を見ずに言った。そのまま足早に僕の横を抜けて、教壇へと上がっていく。
「席に着け。授業を始める」
険しく、重厚な声で男がそう言うと、思い思いに騒いでいたドラゴニアたちが機敏な動きで席に戻り始める。僕はこの教員の姿を見ながら、高校のときの体育教師を思い出していた。生徒に厳しく、ときに手を出し、叱るというより怒るタイプの教員。僕はこのタイプの大人が苦手だった。
「私はゼートラーヴェ。かつては……というか今もだが、軍人だ。この授業では諸君らにドラゴニアの飛行法と、それに纏わる文化などについて教えていく」
抑揚のない声でそう告げると、ゼートラーヴェと名乗った教員は壇を下りた。
「では、第七演習場へ出ろ。理論を解説するより見た方が早かろう」
それだけ言って、男は窓から飛び立っていってしまった。ドラゴニアたちも各々窓から飛んでいき、残された僕は戸惑いながら地図を確認する。ここから第七演習場までは徒歩だと二十分はかかる計算だ。
途方に暮れていても仕方がないので教室を出たが、他の人間の受講生たちは教員のあの態度でやる気を無くしてしまったものも多かったと見えて、第七演習場へ向かう人の数は少なかった。僕たちは「不安だー」「先生が怖すぎる」みたいなことを言葉少なに愚痴り合いながら道中を進み、十五分かけて演習場に到着した。
「遅い。授業時間は有限だぞ」
着くやいなやゼートラーヴェに睨みつけられ、僕は反射的に「すみません」と謝ってしまった。
いや、この件で僕に落ち度はないと思うのだけれど、彼の鋭い眼光と雰囲気がそうさせたのだ。
「ちっ……では実習を始める。各自で五人組を作り演習場に散らばれ。グループ内にドラゴニア一人と人間一人を必ず含むこと。組み終わったらドラゴニアは人間に飛行法を教えてやれ」
ゼートラーヴェは淡々と言うと、僕らに背を向けてどこかへ行ってしまった。どうやらまともに授業をする気はなく、学生のドラゴニアに授業をさせようということらしい。僕は呆れながらもグループを組まねば、と周囲を見渡した。
すると、ドラゴニアの集団が僕に手を振りながら近づいてくるのが見えた。長身の男のドラゴニアが先頭にいて、そこに追従するように女性のドラゴニアが二人と男性のドラゴニアが一人続いている。
「山田くん! よかったら僕たちと組まないか?」
爽やかな笑顔で話しかけてくる長身の男の顔を見て、僕は「あー」と落胆に近い感情を覚える。嘘くさいのだ、笑顔が。絵に描いたような作り笑いで、しかもそれを隠そうとしていない。ゼートラーヴェのように無関心に近い敵意でなく、このドラゴニアからは背筋の冷えるような悪意を感じた。が、既に続々とグループが出来上がっている以上、他に当てのない僕が断ることができるわけもない。
「あ……もちろん、僕でよければ」
僕がぎこちなくそう答えると、長身のドラゴニアは更にわかりやすく歯を見せて笑った。
「ありがとう! ちょうど君と会いたいと思っていたんだ。いや、入学式の演説で感銘を受けてね。僕も君と似た思想を持っていたから……あ、話は後にしようか。実習をしなきゃね」
男はさらに嘘くさい言葉を並べ立てると、きょろきょろと辺りを見回した。
「目立たないところがいいな。僕は立場上、結構目を引いてしまうから、落ち着いて仲を深められるところがいい」
立場上目を引く、という言葉が僕の中で引っかかった。
「偉い人なの?」
僕が聞くや否や、後ろで黙っていたドラゴニアの女性の一人が割って入ってくる。
「無礼な口を利くな。アルジェロ様は第二王子であらせられるお方だぞ」
「いや、いいんだよシンセア。僕は種族も身分も越えて対等に話したいんだ。それが彼の望む世界でもあるだろうしね」
シンセアと呼ばれた女性は何も言わずに後ろに下がったが、高圧的な態度を隠さない分、まだ彼女の方が好感が持てた。王子か、と僕は目の前のいけすかない男を見て思った。王族も普通に授業を受けているとは噂で聞いたことがあったが、目の前の男がそうだと突然言われてもにわかには信じがたかった。いや、先輩が王女なのだからドラゴニアの王子がいてもおかしくはないのだが、そんな人物が僕に接触してくる理由がわからなくて不気味だ。まさか本気で僕の思想に共感していると思い込むほど僕も馬鹿ではない。
「あっちの隅の死角になってるところがいいね」
アルジェロは演習場内の休憩施設の方向を指差して言った。死角、という言葉に嫌な予感を覚えるが、僕は彼らに連れられるまま演習場の隅へと向かう。
「いや、僕はね。本当に感動したんだよ。これまでドラゴニアを倒そう、潰そう、みたいなことを言う人は多かったんだけど、まさかドラゴニアと仲良くしようなんて言ってくれる人がいるとは思わなかったから。それも異世界の人間がね。僕たちも争うことばかり考えていたから、仲良くするなんてことは頭になくてさ。これはやられた、って感じだったね」
ぺらぺらと喋りながら僕の横を歩くアルジェロの声には感情が乗っていて、それが更に気味が悪かった。演技にしては生々しいし、本音にしては嘘くさすぎる。
やがて施設の陰、死角に入り、他の学生や職員の姿が見えなくなる。
「本当にね、マジかーって思ったんだよね。人間にこんなこと言わせちゃったか、って。いやまあそうだよなー。何千人か殺したくらいじゃそう思っちゃうのも無理ないよなって」
声のトーンが落ちた。
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