第15話 膝枕なら……たまには
意識が戻ると、見覚えのあるふたつの膨らみ。
そして頭の下が柔らかい。……これは、膝枕?
「目が覚めた?」
いつもの声が、いつもより優しく響く。
……まだ出会って間もないはずなのに、〝いつも〟と思ってしまう自分が、なんだかおかしい。
こんな美少女といることに慣れてしまうなんて、贅沢が過ぎる。
また独りになってしまったら、きっと……今度は、もっと寂しくて、辛くなるのに。
「……独りは、嫌だな」
火に包まれた部屋で、俺はどうしようもなく独りだった。
誰かが俺を探し声が聞こえないか。
僅かな希望に縋って耳を澄ましても、聞こえてくるのは木材の爆ぜる音だけ。
どこまでも無力な俺は……誰かにみつけてもらわないと、何もできない。
温かい手が、俺の頭を優しく撫でた。
炎は怖くて不安になるのに、彼女の熱はとても心地良くて……落ち着く。
「ひとりじゃないわ。……ここにいるから」
子供をあやすような撫で方。つい気が緩んでしまって、また瞼が重く――
「寝るなです! いい加減起きるのです!」
膝枕という名の楽園を邪魔する、やかましい声に意識を繋ぎとめられる。
続いて2本の柔らかい何かが、ぺちんと俺の頬を叩いた。
これは――兎の耳か。
「イナバにまで怒られるなんて、朝倉くんは本当に朝倉くんね」
「俺の名前を罵倒みたいに使うな」
「解釈は人それぞれよ。目が覚めたらなら早く頭をどけなさい」
「もう少しこのままじゃだめ?」
「……延長料金。5分1000円。払いたくないなら早くどい――」
「延長します」
交渉成立。遠慮なく太ももに顔を埋めさせてもらおう。
「ちょっと! 冗談だから!」
頭を上から押さえつけられてしまう。
料金を支払うのに邪魔をするとはけしからん。
「交渉は成立しました」
「1000円払うとは思わないじゃない……。――もうっ、調子にのるなぁ!」
お金に苦労してきた人生だと、なかなか金銭感覚をアップデートできないみたいだ。
美少女JKの膝枕になら、お金を払う人はたくさん居る。
この世の闇は深い。
「1万円! 1万円にしますっ!」
「……仕方ないなぁ」
それでも払う人はいると思うけど、耳まで真っ赤な伊万里さんがさすがに不憫なので、起きることにした。
「さっきまで気を失っていたとは思えない、鬼畜の所業なのです。さすがマスターなのです!」
なにがさすがに結びついたのか、さっぱり分からない。
「トゥナはどこでそんな言葉を覚えるの?」
「契約のときにマスターの知識を一部共有するのです。人の文化を知らないと、まともにコミュニケーションも取れないのです」
俺という存在はトゥナの教育に悪いようだ。当時中3だったし、頭の中が健全なわけないか。
「……いだだっ! まって、力強いって!!」
両耳をつままれて引っこ抜かれそうになる。伊万里さん力強すぎ。
「悪いことをしたら、ごめんなさいでしょう?」
「別に悪いことなん――いだいって! ごめんなさい!」
「たくさん反省して」
お姉ちゃんは躾も過激なようだ。弟達の耳は無事か心配になる。
「それで、何が有ったのよ。朝倉くん急に倒れちゃうし、そのあとトゥナちゃんまで倒れてすっごく心配したんだから」
相変わらず可愛らしいお怒りの表情だけど、不安も色濃く見える。
言葉通り心配させてしまったんだろう。
「実は……昔から火が怖いんだよ。子供の頃に火事の家に取り残されちゃってさ。どうにも、そのときのことが忘れられなくて」
なぜかトゥナは腕組みで後方彼女面だ。レゾナンスで事情を把握しているから、見守る姿勢なのだろう。
伊万里さんは、俺の言葉を聞いて小さく息を吐く。
「そういうことだったの……」
いつもより低い彼女の声が、胸に重くのしかかる。
弱い男だと、失望しただろうか?
伊万里さんの顔が見れなくて、目線は床を意味もなく彷徨う。
見覚えのある石畳、闘技場の隅っこ。ここまで運んでくれたのは、きっと尾野さんだ。
彼の姿が見えないことに今更気が付く。余裕がなくて、全然周りが見えていない。
「なんて顔してるのよ。ほら、こっち向いて」
彼女の温かな手が優しく俺の頬を挟み、そのまま顔を持ち上げた。
目が合う。思わず逸らそうとしても、顔ごと正面に向けられる。
「なに、もしかして恥ずかしいの?」
「……思春期だから」
「目を瞑ったら、イナバが噛むからね」
そう言って小さく笑う表情に、また体温が上がる。
「……情けないって、思わない?」
沈黙が耐えられなかった俺に、伊万里さんは不思議そうな顔で首を傾げた。
「なにを?」
「子供の頃のトラウマを今でも抱えて、火を見ただけで倒れて。……テイマーになれば少しは変わるかなって思ったけど、全然だめで――」
彼女の瞳は、ただ凪いでいる。映る俺だけが、場を乱す。
「こんな俺なんて……見限られて当然だと思う。伊万里さんも見損な――んぐっ!」
俺の頬を包んでいた手が、顔をぎゅっと押さえつけて言葉を封じた。
今どんな顔をしてるだろう。絶対人に見られたくない顔なのに、伊万里さんは目を逸らさない。
「見損なうなんて……そっちこそ、私のことを見損なわないでよ」
膝枕の後よりもずっと不機嫌そうなジト目。
俺の頬は好き放題にむにゅむにゅと蹂躙され、引っ張られてヒラメみたいになっているだろう。
「ひ、ひまひひゃん……?」
「怖いものなんて誰にだってあるわ。私も虫が怖い。弟にいつも泣きついてるわ」
「いがひだにゃ……」
喋れないから引っ張るのやめて?
「意外? そうかしら。朝倉くんには初対面から情けない姿を見せたから、なんか吹っ切れちゃった。もし虫の魔物が出たら、そのときは全力で逃げるから、よろしくね」
「無理なのです! トゥナも虫は嫌いなのです!」
2人が戦力外って、もう無理じゃん。
伊万里さんの手が離れ、今度はヒリヒリする頬に自分で触れる。
彼女の手とは全然違う手。女の子の手ってなんであんなに気持ち良いんだろう。
「……別に虫になにかされたわけじゃないけど、嫌なものは嫌なのよ。……そんな私の事、情けないって思う?」
「可愛いって思う」
「そういうことじゃなくて……」
額に手を当てた伊万里さんは、深い溜息をつく。
茶化して悪かったけど……今はだめなんだ。
彼女を直視できない。眩しくて、自分が余計に霞んでしまう。
「伊万里さんは……かっこいいよ。家族のためにってブレない軸がある。俺には……そういうのないからさ」
自分の弱さを乗り越えて、誰かの役に立てたら良いと思ってる。
けど、肝心の誰のためかが、分からない。
「それなら――」
伊万里さんの両手が、俺の右手を包んだ。
ただでさえ汗ばんでいる手が、彼女の体温で更に火照りだす。
「私のためにがんばる、じゃ……だめ?」
「……え?」
そう言うと、伊万里さんは恥ずかしそうに目を伏せる。
まつ毛が長いなんて――こんなときに言ったら怒るだろうか。
「私はもっと上を目指して、家族を支えたい。大切な妹や弟が家庭の事情で将来を諦めたなんて、言わせないし言って欲しくないから」
それが彼女の原動力であり、強さ。
大変だって分かるのに……羨ましいくらいに眩しい。
「私は独りで立てるほど強くない。いつも家族に支えられて、幸せな〝お姉ちゃん〟になれた。……だから、朝倉くんとも助け合えたらって思ってる」
「……弟扱いかぁ」
「ご不満? これでも……君のこと、結構かっこいいって思ってるのに」
「……なっ!」
突然のことに言葉が詰まる。顔が熱い。思わず顔を背けると、ニヤニヤしているトゥナと目が合った。
「――なんてね。さっきの仕返しよ」
クスクスとおかしそうな笑い声に、恥ずかしさが加速する。
無駄に働き者の心臓と汗は、死なない程度に止まって欲しい。
「兄弟たちとの日々が私を〝お姉ちゃん〟にしてくれたように、今度は朝倉くんの〝パートナー〟になりたい。今はまだ足を引っ張ってばかりけど、がんばるから」
楽し気な表情から、決意のこもった勝気な表情へ。
誰よりも美しくて、誰よりも強い少女のためにがんばるなんて、そんなの男心をくすぐるに決まってる。
「――分かった。弱い俺だけど、伊万里さんの役に立てるなら……喜んで」
「ありがとう。心強いよ」
「ちなみに……契約条件とかは? 具体的には、ご、ご褒美とか、サービスとか……なにかあるのかなって」
「もう……すぐ調子に乗る。そんなのはありません」
思案するように俺から視線を外した伊万里さんは、「でも……」と、付け加える。
「がんばってくれるから、膝枕なら……たまにはしてあげる」
「ありがとうございます!」
顔を染めてプイとそっぽ向く姿がなによりもご褒美です。
緩む顔を抑えるのに必死になっていたら、後ろから目を塞がれた。
「マスター、そろそろキモい感じになってきてるのです。トゥナの話を聞いて落ち着くのです」
「何も見えないから離せ……」
「だめなのです。今の美凪は可愛い過ぎるのです。マスターが理性を失っちゃうのです!」
「ちょっ……! なに言い出すのよ!」
「そんなのっ、なるわけ――」
ふと、膝枕の柔らかさが思い起こされる。
いくらでも払いたくなる、至高の時間。理性も何もかも捨て去ってしまくなる、込み上げる熱い衝動と欲望……。
「……ナルワケ、ナイダロ」
「なんで棒読みなのよ……」
「やれやれなのです。トゥナには全部お見通しなのです」
何も見えていないのに、伊万里さんの方から刺すような視線を感じる、怖い。
「それより、さっき尾野から魔石を貰ったのです」
「魔石を?」
「Cランクなのです! きっと良いスキルブックが出るのです! 戦い方が変わっちゃうです!」
塞いだ目を解放し、伊万里さんを隠すように俺の前に立ったトゥナは、ワクワク顔で魔石を差し出した。
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