アマゾンの秘奥

第49話 緑の地獄へ

 アジア支部基地、メインブリーフィングルーム。

 そこに召集されたチーム全員――剣崎姉妹もそこにいた――の視線は、部屋の奥に立つ司令官、長谷川チグサではなく、彼女の背後にある巨大なメインスクリーンへと、固唾をのんで注がれていた。

 スクリーンに映し出されているのは、医務室のベッドで静かに眠り続ける白雪ふわりの姿。その隣には彼女の脳波を示すモニターが表示されているが、その波形は、生命活動をかろうじて維持しているだけの、静かな線を描き続けていた。


 その光景を背に、チグサは口を開いた。


「マカオでの任務結果は、目的の証人は失い、データも損失した大失態だ」


 その直接的な言葉に、小鳥遊ツムギの肩が小さく震える。


「だが」


 チグサは、言葉を続けた。


「結果として、我々は次の一手を知ることができた」


 彼女が、その黒い義手でコンソールを操作すると、スクリーンの映像が切り替わる。

 映し出されたのは、どこまでも広がる緑の海――ブラジル・アマゾンの衛星写真。

 そして、雲を突き抜けるようにして聳え立つ、巨大なテーブルマウンテンの内部に建造されたバイオドーム型研究施設『ユグドラシル』の想像図だった。


「お前たちが次に目指すのは、ここだ。ウロボロスの聖域の一つ、『ユグドラシル』」


 チグサは、眠り続けるふわりの映像が消えたスクリーンを静かに見つめながら、告げた。

 その声は、医師が処方箋を告げるかのように冷静だった。


「――ゼリーの精神を再起動できるマスターデータは、ここにしかない」


 そのチグサの言葉が、チームの進むべき道をただ一つに定めた。

 だがその道がいかに困難であるかを、この中で誰よりも理解している者がいた。

 黒羽シズクだった。

 彼女は一歩前に出ると、ホログラムの司令官へと鋭い質問を投げかけた。


「司令、サーバーの位置は?ウロボロスの聖域と呼ばれるほどの施設、サイバーセキュリティも、物理的な警備も、これまでの比ではないはずです」


 チグサの答えは、彼女の、そしてチーム全員の常識を遥かに超えるものだった。


「その問いへの答えが、今回の任務の最大の難関だ」


 チグサはそう言うと、ホログラムのスクリーンを操作し、バイオドーム『ユグドラシル』の中心に聳え立つ巨大な樹木の映像をさらに拡大した。その内部構造が、DNAの二重螺旋のように青白く表示される。


「データはデジタル媒体ではない。施設の中心に立つ、遺伝子操作された巨大な樹木――通称『ユグドラシル』の、その塩基配列の中に、DNAストレージとして記録されている」


「なっ……!?」


「お前たちの任務は、この生命の樹の心臓部に到達し、そこから、ゼリーのデータが記録された特殊な組織サンプルを採取することだ」


『木の遺伝子からデータを採取する』

 その前代未聞の任務内容に、シズクや隣に立つリンさえもが、驚愕にわずかに目を見開く。

 今回の任務は、これまでの戦闘や潜入の経験が、ほとんど役に立たないかもしれない。それほどまでに異質なものだった。


 チグサはそんな彼女たちの動揺を意にも介さず、「出撃は1時間後だ。準備を急げ」とだけ告げた。


 ブリーフィング後チームが向かったのは、基地のハンガーに隣接する広大な装備室だった。

 彼女たちは、これまでの市街地戦とは全く違う未知の環境での戦いに備え、出撃準備を開始する。


 まず支給されたのは、専用の戦闘服だった。

 これまでの動きやすさや防御力を重視したものとは違う。高温多湿のジャングルでの長時間活動に特化した、緑と茶を基調とするデジタル迷彩柄の軽装のコンバットスーツ。その生地には、体温調節機能や、毒を持つ虫を寄せ付けない特殊な加工が施されているという。


 そして次に支給された装備が、今回の任務の異常性を何よりも物語っていた。

 シズクが受け取ったライフルの弾丸は、弾頭が不気味な緑色にコーティングされた、対生物兵器用の特殊な毒物弾。

 響カナデやツムギたち全員に、強力な神経毒さえも瞬時に中和するという、携帯式の自動注射血清アンプル。

 そして、特殊合金製の頑丈なマチェーテや、携帯用の水質浄化装置といった、長く過酷なサバイバルを想定したツールが、次々と手渡されていく。


 その物々しい装備の数々が、これから向かう場所が、いかにこれまでの常識が通用しない危険地帯であるかを雄弁に物語っていた。

 少女たちはそれぞれの武器を手に、来るべき緑の地獄を思い、静かにその覚悟を固めていた。


 ◇


 ブリーフィングと装備の換装を終えたチームは、ハンガーへと向かう前に一人の少女の元を訪れていた。

 医務室のベッドで、静かに眠り続ける白雪ふわり。その傍らで、チームは、最後の、そして、最も重要な作戦会議を行っていた。

 それは、言葉のない、決意を確かめ合うだけの儀式だった。


 緑の迷彩戦闘服に身を包んだ六人の少女が、ハイテクな医療機器に囲まれて眠る、白い寝間着の少女を静かに見下ろしている。

 カナデは、おもむろに、自らのグローブを外すと、眠るふわりの、血の気の失せた手をそっと両手で包み込んだ。その瞳には必ずあなたを連れ戻すという、強い意志の光が宿っている。

 その光景を、全員がそれぞれの思いで見つめていた。


 そして、輸送機へと乗り込む。

 重いハッチが閉まり、機体が浮上を開始しても、席に着いた少女たちは、誰も口を開かなかった。

 リンとリナは目を閉じ、これからの戦いに向けて、その精神を鋭く研ぎ澄ませている。

 シズクは、タブレットでこれから踏み込むジャングルの、想定される脅威リストを、繰り返し確認していた。

 カナデは、先程触れたふわりの手の、あの命のぬくもりが感じられない感触を思い出しながら、窓の外の暗闇をじっと見つめている。その表情は憂いに曇っていた。

 ツムギは、支給されたサバイバルマニュアルのページを、何度も、何度もめくっていた。


 これから挑む、未知の脅威。

 そして、基地で帰りを待つことしかできない眠り続ける仲間を救えるかどうかという重いプレッシャー。

 輸送機は、そんな希望と不安が入り混じった重い沈黙を乗せたまま、一路緑の地獄へと向かっていく。

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