1-3 当日利用の条件

「先ほど申し上げました通り、この船は飛行船オルテンシア号、我がラピエス旅行社の所持する旅客船でございます」


 海の中を通っているのに飛行船なのはいまだに理解し難いが、それはともかくここがどこだとか、一体なぜ自分はこの船にいるのかとか、夏美は知りたいことがたくさんある。


「あの、今通ってる場所は情報海って聞いたんですけど、この世界はどういう場所だとか、そういうのって教えてもらえないんですか?」

「世界?」


 アデーレは首を傾げる。


「この世界は情報海で、ただいま別の世界に向けて航行中でございますよ」

「情報海って、この世界は海しかないってことですか」

「左様でございます。オルテンシアは世界間を飛び歩く旅客船ですので、様々な世界を訪れることができますよ」

「世界と世界を行き来する船……」


 どこか知らない異世界を旅していることはなんとなく気づいていたが、まさかその異世界と別の異世界を行き来するとは夏美も思いもしなかった。


「私のこと、当日利用のお客って言ってましたけど、私船に乗るなんてなんにも言ってないですよ」

「オルテンシアを当日利用されるお客様にはいくつか条件がございまして。お客様はその条件にぴたりと合ったのですよ」

「その条件ってなんですか?」

「細かなものもございますが、一番大きいものは遠くへ行きたい、と思うことですね」


 アデーレは夏美の疑問に答えていく。


「遠くへ行きたい。様々な意味がございます。何かから離れたい、距離を置きたい。それだけではありません。何かとは形あるものからないものまで、距離を置くにも人かものか、あるいは自身の心からかもしれません。そういった気持ちを抱いたことは、ありませんか」

「遠くへ行きたい……」


 疲れている時にそう思うことは夏美にもたまにある。だが、そう思うだけでこの不思議な船に乗ることができるのは、なんだか変な気分だ。


「私、そういう気持ちにはなったことないけど」


 夏美が否定的に言えば、アデーレはゆっくり首を横に振った。


「自覚のあるなしに関わらず、あなたには来る資格があったのですよ」

「来る資格があるって」

「資格というか、資質の方が近いかもしれませんね。お客様には旅人の資質があるのです」


 話をきけば聞くほど夏美は頭がこんがらがってくる。遠くへ行きたいとか、旅人になれるとか、よくわからないことばかりだ。


「なんだか、言ってることがよくわからないです。別に私、遠くに行きたいとか思ってないし、旅行が好きってわけでもないし」

「でも、離れたがってはいたでしょう?」

「離れたがってるって……あ」


 思い出したのは寝る前のこと。SNSに嫌気が差していたのを夏美は思い出す。

あの気持ちが、遠くへ行きたいということなのだろうか。


「確かに、ちょっと離れたいことはあったけど……」

「なら、それがお客様をこの船へ導いたということですよ」


 にわかには信じがたいと疑問に思う夏美に、アデーレは頷きながら答える。


「お客様、こちらをご覧ください」


 アデーレがカウンターの向こう、展望室の窓を指した。

 窓からは様々な魚が泳ぎ回るのが見て取れる。色とりどりの魚はよく見れば鱗の代わりに四角くノイズがチリチリと走っている。それがいろいろな色や模様に見えるから、たくさんの種類の魚がいるように見えたのだ。

 だとすると、ここで泳いでいる魚はどれも同じ種類のものなのだろうか。


 水の中というが、文字でできた珊瑚といい普通の海ではないことは確かだ。その珊瑚も徐々にアルファベットとひらがなが混じり合って英語とも日本語ともつかない言葉になっていき、読むのだって夏美にはできなくなっていった。


「でも、遠くに行きたいって思った割に離れたいものの中にいるって、おかしな気もします」

「ですので、今は移動をしております。情報海を抜けた先がお客様の目的地です」

「遠く、ってことですか?」

「ざっくり言えばそうなりますね。お客様が遠いとお思いになっている場所でございます」


 アデーレの説明はちゃんと説明しているように見えて煙に巻くような曖昧さがあり、夏美には理解しがたい。

 でも、意識もしていないのに自分が行きたい場所と言われると、ちょっと夏美も興味はある。


「私って、どこに行きたいんだろう……?」


 アデーレはもうどこに行きたいのか知っている様子だったが、夏美に教えてくれる気配はなかった。


 その内に、見えてくる文字やノイズの走った魚に変化が表れ始める。

 魚たちは徐々にノイズがひどくなり、一目見て目がチカチカするような色になり始めた。堆積した文字も、刺々しい言葉が多くなっていく。

 ちょうど、目に付かせて広めるためだけに作られた過激な投稿ばかりのSNSのように。


 夏美は見たくないとジンジャーエールに視線を落とし、展望室の窓を見ないようにした。

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