第4話
日が落ちて来た。
山が近づいている。
(どうか無事でいてくれ、
彼ならきっと追尾を躱して、山岳地帯にいるはずだ。
祈るように全力で駆らせる。
時折、後ろから付いて来る
重傷を負った友の無事に必死になればなるほど、
彼は許都を発った時明らかに体調が優れなかったのに、一番近くに配置されていたはずの徐庶は、何度か言葉も交わしたのに全く陸議の顔も見ず、気にも留めておらず、自分の差し迫った運命のことばかり考えていて、彼の不調を見逃した。
何か一つを大切に思えば思うほど、その他が疎かになる。
優先順位を決めないとこういうことになるのだ。
だが。
陸議の優先順位は
彼に失望されたら終わりだと泣き出しそうだった姿を思い出す。
そんな彼が何故、司馬懿に徐庶や
魏軍とは全く関わりないことに、陸議が気を取られることを、司馬懿は良しとしないだろう。賢明な彼ならばそれが分かるはずだ。
もしかしたら時間があれば直接司馬懿ではなく、
黄巌を見つけ、自由にする。
そう出来たら徐庶は砦に戻って陸議のことも含め、自分が願ったのだと弁明するつもりだった。
……賢い彼は、そうすることを喜ぶだろうか。
今更徐庶が弁明しても、司馬懿に嘆願した事実はなかったことにはならない。
そしてそれは徐庶には関わりなく、司馬懿と陸議の信頼関係の問題なのだ。
陸議は優れた才気を持った人だと思う。
まだ若いが器の大きさを徐庶は、はっきりと感じた。
意志が強く、些細なことでは他人に影響を受けないが、
物事の道理や、裏に隠された真理を見抜く慧眼と、
そこに思いを馳せることの出来る柔らかい感性まで持っている。
だからきっと自分が下手な弁明をせずとも、陸議は司馬懿の信頼を自分の力で勝ち取れるはずだ。
ではこのまま陸議を利用し、助けた
あとは自由になって【
全てを忘れて、己の好きな学問に没頭する。
それでいいのだろうか?
徐庶は目を閉じた。
自分は思い違いをしていたようだ。
そういう人生も、強くなければ送ることが出来ない。
他人を犠牲にして自分の利だけ迷い無く得る。
自分以外の事情を、全く無関心に遠ざけること。
強くなければ出来ないことだ。
弱ければ、そういう自分を信じ切れなくなった途端、些細な罪悪感で弱い心が冒される。
雪が弱く降っていたが夜空には星が出ていた。
【水鏡荘】で星をよく見上げていた友を思い出す。
何を考えているのか、あまり分からなかった人だけど。
(
どんな事情があったのかは知らないが、きっとあの謎めく【
多くの者の思惑を跳ね返して、
自分だけの望みをきっと叶えた。
徐庶は手綱を握りしめる。
大きな過ちを犯して人を殺めた時に、こんな自分はもう二度と他人の命を粗末に扱ってはいけないと誓いを立てた。
しかし誰も彼も守ろうとして、結局誰のことも守れていない。
陸議も。
黄巌と逃げるなら、自分もその覚悟であれと言ったのは
(母上は怒るだろうな)
あんないい人に恩義を受けながら、置き去りにするなんてと。
だが陸議は。
深手を腕に負っている陸議を、引き離すつもりの本気の追いをしたが、追走する馬の足音はぴたりと自分に付いて来る。
徐庶は一度だけ、肩越しに陸伯言を振り返った。
彼は片腕で手綱をしっかりと握り、強い表情で前を見据えている。
一瞬、徐庶の目と視線が合った。
星のように澄んだ琥珀の瞳が自分を射貫く。
徐庶は何も言わず前方を向き直した。
望むことも、望まないことも、何であれ他者に押しつけられはしない。
自分の手で全てを選ぶのだ、と
一人で、小さく徐庶は頷いた。
陸議を捨てよう。
そう心を決めた。
彼から与えて貰った善意や、優しさ、恩を。
受けてもこちらからは何も返さない。
このことで彼が司馬懿や軍からどんな懲罰を受けようと、考えない。
強い彼なら、それしきのことで潰されはしない。
都合良く、彼は強いからと信じ抜き、陸伯言の事情を切り捨てよう。
それがきっと、ある意味で彼の想いに報いることになる。
全てを懸けて
徐庶は決断を下した。
一時の感情で陸議を守ろうとしても、
それは全く彼からの恩に報いることにはならないのだ。
彼が縁も何もない自分に示してくれた情けは、
(そもそも簡単に返せるような領域のものではない)
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