第3話
平原は見通しがいいので危険だったが、
日が落ちて来たのもある。
山岳地帯に入れば地の利で逃げ切れる。
山は迫っていた。もう少しだ。
腹部に手を当てると指に血が付いた。
衣から染み出しているということは、傷が開いたのだろう。
(無茶をし過ぎたか)
それはそうだ。
山岳地帯の、最も近い狩猟小屋を思い浮かべる。
狩猟小屋には軽い手当を出来る道具はあるから、まずそこで手当だ。
あとは着の身着のままで出て来たから防寒も備えなくてはならない。
着の身着のままと自分の格好を見て、右手腕にはまった翡翠の腕輪に視線が留まる。
自分と別れた後、あの娘が兄とたった二人だけで、どんなに寂しい時を過ごしていたのか。
(復讐だけを胸に抱いて)
自分も
寂しくはなかった。
たまに
(兄貴は、
話では
強いが清廉な人柄をした武将で、例の
涼州では民を連れたまま逃亡し戦闘に突入した劉備の行動は猛烈に批判されたが、趙雲のこの行動だけは称賛されていた。
涼州の人々は、たった一人でも勇敢な戦いをする者を好む。
そういう者に対しては国など関係なく迷い無く賛辞を送る土地柄だった。
(
黄巌は幼い頃から馬超の生み出す、そういう戦場の異質な渦の中に身を置いていたから、そういうものだといつしか自然に思っていたが、馬超の側を離れてから、あんなことは普通の人間には不可能なのだと実感するようになった。
蜀が魏軍の【
そういった時に曹操などは恐らく、いざとなれば謀反を容易く起こせる涼州騎馬隊は涼州には布陣させない。
しかし徳の将軍と言われた劉備ならば、悪戯に涼州騎馬隊を涼州から引き離すようなことは避けるはずだ。
馬超は涼州には留まらず、恐らく恩のある劉備の許で戦い続けるに違いないが、涼州、
蜀と協力し合って生きて行く。
涼州が自分達の風土も守り、生き残って行くためにはこの道しか無い。
黄巌は追撃に見つかることもなく、山岳地帯に入ることが出来た。
ここに魏軍の拠点が出来れば涼州は北と南で大きく分断されてしまう。
それではこの先【
(潰すなら今しかない)
翡翠の腕輪に触れた。
涼州の人々はすでに戦火に焼かれた。
北方の人々はある程度は無事だが、自警団も散り散りになってどれくらい生き残りがいるかは分からない。
全員無事だとして、魏軍の遠征軍の規模は分かった。
涼州騎馬隊さえ失った涼州の人々には、彼らを相手にする力は無い。
今のところ魏軍には激しい侵攻の意志は無い。
(今回戦闘になったのは、
だがそういう戦い方もある。
【
同情はあるが愛情ではない。
しかし一度は好きになった女だった。
殺し尽くせば何かがそこから生まれるかも、と彼女は言っていた。
きっと何かを残したかったのだ。
自分にとっての何かなのか【烏桓六道】としての何かなのか、それは分からないが。
【烏桓六道】の戦い方は黄巌は心得ている。
彼ら兄妹に教わったからだ。
それを装って魏軍を襲う。
彼らの戦いの続きをする。
(【
そうかもしれない。
罠だと分かっていても、自分の父と弟達の晒された遺体を奪いに向かった男だ。
だけどその卑怯な戦いに誰も巻き込まないのなら。
たった一人で魏軍と戦う。
そんなことが自分に果たして出来るのか?
狩猟小屋に辿り着くと、
治療をしなくてはならないことは分かったが、さすがに動けなくなった。
(たった一人で戦う為に俺は涼州で残った。
新しい誰か……新しい家族を見つけたいからじゃない。
平和に生きたいからでもない。
戦う覚悟が出来たからここに残った)
血に汚れた自分の手を見た。
(もう迷わないって決めたんだ)
幼い頃から
誰も前を走ってくれない景色はどこまでも吹き抜けて、遙か彼方まで自由で。
――こんなにも孤独だ。
自由を望むことは、果てしなく孤独なことなんだ。
自分に言い聞かせる。
(戦う為にここに残った)
馬超は例え馬岱がいなくなっても戦い続けるだろう。
だがその逆は有り得なかった。
そういう甘えが馬超に長い間何もかも一人で背負わせ、一人で戦わせていた。
そういう人生を変えるのだ。
(俺は【馬岱】だから、
例え最後の一人になってもここで戦う)
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