花天月地【第92話 兄弟の絆】

七海ポルカ

第1話




 郭嘉かくかは部屋で書物を読んでいた。


「失礼致します」


 部屋の外で声が掛かる。

 中には常駐している軍医がいたが、彼は大概郭嘉を気にせず自分の作業をしていたため、郭嘉は自分で「入れ」と声を掛けた。

 徐庶じょしょ馬岱ばたいの件があったので、郭嘉は今日は、話の内容ではなく訪ねて来た人間で、会うか会わないかを決めることにしていた。

 徐庶は往生際が悪い男なので、牢から出せだの、話だけさせろだの、人のいい陸議りくぎ司馬孚しばふを郭嘉の許に送り込んで来る可能性があったので、郭嘉はそうと分かる場合会わないと決めていた。

 

 馬岱の追撃に出た賈詡かくからの報告しか、基本取り次ぐなと副官には伝えてある。

 声は、その副官からのものだった。

 だから郭嘉は許可したわけだが、許可を得て入ってきた副官は一目で分かる、妙に言いにくそうな顔をしていた。

 何か彼の想定しないことが起きたことが一目で分かる。


「どうした」


 郭嘉が尋ねると、躊躇っても仕方ないと心に決め、彼は一礼してから報告をした。


徐元直じょげんちょくが牢を出て黄風雅こうふうがを追撃に出ました。

 許可は司馬懿しばい殿が出し、陸伯言を伴ったようです」


 郭嘉は目を瞬かせたあと、側の台に頬杖を突いた。


「司馬懿殿が?」


 副官から見て、郭嘉がどういう反応を示すのか予想が付かなかったのだが、意外そうな顔は見せたものの、特に強い感情を郭嘉は見せなかった。

 郭嘉の副官は優秀なので、報告をする際には仔細は調べ尽くしてやって来る。


「それはまた、どういった経緯で?」


 司馬懿は、郭嘉自身の個人的な因縁も絡んだこの涼州遠征においても、まだ郭嘉のやることに一度も否定的な顔を見せていない。

 曹操そうそうの重用した軍師なのでそれなりに警戒はしているだろうが、才知において信頼もされてることを郭嘉も感じている。

 余程のことを郭嘉がしない限りは、司馬懿は郭嘉がそうすべきと思ったことに関しては総大将ながら口を出さずに好きにさせてくれていた。

 

 牢にいろという郭嘉の命令に逆らった徐庶ではなく、郭嘉の命令を司馬懿が総大将の権限において取り消すことは、非常に珍しいことだった。

 無論、興味が勝って腹は立たない。


 何となくだが、郭嘉は徐庶じょしょがこれで終わるはずがないと思っていたので、さて動くとしたらどんな手を使ってくるだろうかと考えてはいた。

 牢に入れたのは徐庶に勝手な行動をさせないというだけではなく、四肢をもがれた時に徐庶がどのように動くかを、見定めたかったというのもある。


 徐庶は基本、動く時は単独で動く。

 だからこそ予期せず、見通せない所がある。

 郭嘉も単独でよく動き回ってきたが、彼には圧倒的な曹魏と曹操への忠誠心があった。

 どんなに意のままに歩き回ってもその道からは外れないから、魏軍において単独行動を郭嘉は許されて来た。


 徐庶に魏への忠誠心を求めるのは、郭嘉はとっくに諦めている。

 人質を取るやり方も、彼の好みではない。

 徐庶が窮地に陥った時どれほど人を使って窮地を脱することが出来るのか、それは軍師としての才気も関わってくるものなので、この際見極めようと思っていた。

 

 郭嘉はそういう意図があったので、勿論自分なりに色々想像していたものはある。

 郭嘉が最も想像していた、徐庶がこの部屋に送り込んでくるかもしれないという人物は、実は司馬孚しばふだった。


 陸議は郭嘉の見たところ、徐庶を牢に入れた意図を読んだように思えた。


 謹慎を解いてくれるように頼むくらいは陸議はしたかもしれないが、郭嘉が徐庶を牢に入れた以上説得するのは無理だと見ただろう。

 彼はそういう部分は鋭く空気を読み、判断する能力があった。

 誰が誰をどうしたという額面通りの情報で読むのではなく、機を読める。

 昨日徐庶の謹慎を解くことを許されても、今日牢に入れられた理由がまた別の意図で、昨日許されたことが今日は許されないこともある。

 そういう刻一刻と変わる軍の日常や事情をよく把握しているのだ。


 徐庶はそういう部分が融通が利かない。

 だから親しい陸議に郭嘉との繋ぎを頼むかもしれないが、

(彼は引き受けないだろう)

 どこかそうであってほしいと願うように考えていた、それはその通りになって郭嘉は満足した。


 陸議に断られたのなら、人のいい司馬孚しばふに頼むだろうなと思ったのだ。

 また陸議は自分の身を弁えているが、司馬孚ならば司馬懿の正真正銘の実弟なので、意にそぐわぬことをしても自分よりは遥かに寛容に許されるだろうと判断するに違いなかった。そういう観点から、陸議もこの場合司馬孚が適任だと思うだろう。


 司馬孚を直接ここに送り込むだけなら馬鹿でも出来る。

 徐庶が有能な男なら、司馬孚を使って何かをしてくるはずだった。

 

 その何かが龐徳ほうとくなのか張遼ちょうりょうなのか、その辺りはまだ浮かんでいなかった。


 徐庶を牢に叩き込んで数時間も経っていない。

 もう少し動きが出るに、時間は掛かるかと読んでいたのだが。

 意外だなと郭嘉は興味を引かれて副官に聞き返した。


「司馬懿殿が陸議殿に命じたわけではどうやらないようです」


 郭嘉は副官を見た。

 彼は拱手きょうしゅして、顔を俯かせる。


「分かった。――成り行きを見守ろう。下がっていい」


 副官は一礼し、すぐに下がって行く。

 郭嘉は弱い雪が降る、曇り空の外を窓辺で見遣った。

 

 司馬懿が陸議に命じたわけではない。


 副官は郭嘉の知りたい答えを簡潔に答えた。

 つまり陸伯言りくはくげんが司馬懿を動かしたということだ。


 司馬懿が陸議を呼びつけたのではなく、陸議から司馬懿に会いに行ったのを見た者がいるのだろう。

 


「これは益々興味が湧くね」



 小さく笑って彼は呟いた。



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