第2話
――妙な気配がした。
賈詡が馬を緩めると、少し遅れていた後続の副官達が追いついて来る。
「いかがされましたか」
「……いや。そろそろ奴の気配がしてもいいと思うんだが、さっぱり見えてこない」
完全に馬を止めた。
「少し待っていろ」
賈詡は副官達を待たせて、今来た道をうろうろしながら戻って行く。
あるところで立ち止まった。
理由は説明しにくいが、直感だった。
追っている者がこの先にいない。
それこそ涼州で暮らしていた少年時代などは追跡術を叩き込まれる過程で、追っている者の気配を随分広範囲に辿ることが出来た。
さすがに都暮らしが長くなり勘も随分鈍ったのだが、その時は賈詡は何かを感じた。
西の方を見遣る。
林は南の平原に平行するようにずっと続いている。
「……そうか。止め足だ」
「賈詡将軍」
三人の副官がやって来る。
後続に十人ほど小隊が追って来ているが、
直感で辿り着いた答えに一瞬唖然としたものの、確信が持てると賈詡は笑い出してしまった。
「止め足を使いやがったな、あの野郎」
「止め足というと……動物が追跡者を撒くときに使うという……あれですか?」
「ああ。一定の区間自分の足跡を後退して踏んで、足跡を消すんだよ。
恐らく雪が浅いところで林を出やがったな」
雪は全体的にまだ積もっているが、所々に数日間のうちに土が見えている場所があった。
賈詡は馬の足跡を当初追ってきたので、黄巌が林に入ったという確信があったのだが、途中で痕跡を見失ったのだ。
「しかし馬で止め足なんぞやるかね? 普通」
賈詡はわしわしと自分の髪を掻き回し、苦笑する。
「とんでもねえ騎馬術だ」
「後退して足跡を探しますか?」
「いや。今から後退して探したって見つかる当てもないしな。
そうこうしてる間に恐らく黄巌の奴はどんどん西の山岳地帯に近づいて俺達とは遠ざかってる。まんまとやられたよ」
出て来た時は何が何でもあの野郎を捕まえて引きずって帰ってやるという気持ちだったが、完璧に
「さすがは腐っても
馬は早いだけじゃないな。技量がある。
これは俺でも追いつかん。山に入られたら更に追跡は困難だし。
あとは深手が開いてどっかで倒れててくれないかだな。望みは薄そうだ」
賈詡は溜息をついた。
(くそ。複雑な足の動きをする馬に止め足をさせるなんてまるで神業だ。
怒りの矛先は逃げた
「
徐庶の奴が魏軍への不信感を黄巌に植え付けたに違いない。
あの野郎、全く
徹底抗戦ではなく止め足を使って追尾を撒くという、その発想が面白く、賈詡は妙に黄風雅という男が気に入った。今ならば使える男だからと
魏も多方に
間者と言っても塩梅はそれぞれで、厳格に命令を遂行させる者もいれば、その土地に住まわせて定期的に情報を送らせるだけで、人質などは取らない者もいる。
賈詡も個人で密偵は持っているが、黄巌なら個人として召し抱えて、好きなように大陸を行き来出来る条件のままでも良かった。
こちらに利のある気の利いた情報を送ってきてるかどうかなど、確かめる術は幾つでもあるし、そこは見極めるつもりだった。
だが今は、もしかしたら思っているより使える男だったかもしれないという事実にさしあたって、惜しい気持ちが出ていた。
「いかが致しましょう」
「いかが致しましょうと言ってもな。後方に回られた時点で追尾の術は失ったし、後方で痕跡を見せてもそこからまだこの辺りに潜んでるのか、とっくに西へ向かっているのか判断には時間が掛かる。――どうやら俺の負けのようだ」
珍しく賈詡は素直にそう言って、苦笑した。
「当初の予定通り、このまま
「郭嘉殿に報告をなさいますか」
「あいつの勝ち誇った顔を見るためにか? やだよ」
馬に跨がる。
「あいつは
興味の無い獲物だから俺に追撃を任せたんだよ。
放っておく」
「かしこまりました」
「念のため俺達は林を行くが、ここからは後方は南の平原に出して先行させろ。
可能性は低いが万が一、
敵意のないことを示し、お前が
「はっ!」
一騎離れて行く。
そして彼らは再び走り出した。
夕刻が近づいていた。
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