第6話 彼女に纏う蘭香は、彼の香り

 ――楚河漢界そかかんかい

 巨大寝台の真ん中に積まれた枕の山を境に、沈秋音シンシュウインは「楚河」側で毛布にくるまり、景澄ケイチョウは「漢界」側で背を向けていた。

 毒の一件があったばかり。秋音シュウインは毛布を握りしめながら、ちらちらと山の向こうを気にしていた。

 ほんの少しだけ――心配していたのだ。


「……殿下、まだ起きてる?」

 恐る恐る声をかける。


「寝ていない。」

 返ってきたのは、やけに短い答え。


『※既読スルーのボイス版』

『※塩対応きた』


 そっけなさに、秋音シュウインはむっとする。けれど、どうしても気になって、さらに問いを重ねた。

「……古清霜コシンショウと殿下は、どういうご関係で?」


「……無関係だ。」

 声色は低く、不機嫌さがにじむ。


 秋音シュウインはたまらず上体を起こした。

「無関係なら、どうして私に毒!?殿下は、あの子をかばってるじゃない!」


 その瞬間、景澄ケイチョウが片肘をついてゆっくり振り向いた。

 長い黒髪が肩から流れ、月明かりを映す瞳がじっとこちらを射抜く。


「……私は美しいか?」


「は?」

 秋音シュウインの目がまん丸になる。


「私は美しいか。格好いいか。お前の目に、どう映っている?」


『※急な美形自己確認』

『※ナルシスト三皇子w』


 秋音シュウインは慌てて毛布を胸元まで引き上げ、顔を真っ赤にした。

「な、なにそれ!私、殿下なんて好きじゃないし!自惚れすぎ!」


 けれど景澄ケイチョウは平然と続ける。

「答えろ。」


「……顔は、まあ……綺麗だと思う。美しいっていうか。でも、格好いいかは微妙!」


「……ちっ。」

 彼は舌打ちして天井をにらみつける。

「この私に嫁ぎたい者など、いくらでもいる。」


 その言葉に、秋音シュウインはふっと視線を落とした。


 彼が美しいのは事実だ。皇帝がかつて最も愛した妃の子で、才学もあり、未来を嘱望されている。

 太子にはなれなくても、彼の妃となれば栄華は約束されたも同然。あるいは、彼を利用して一気に出世を狙う官僚なんて、星の数ほどいるに違いない。


 ……だからこそ、疑問がこみ上げる。

「――なら、どうして私と結婚したの?」


 景澄ケイチョウは額に手を当て、深いため息を吐く。

 そして、寝返りを打ちながら冷たく言い捨てた。

「……お前は、脳みそを犬にでも食われたのか。」


「はあっ!?」

 秋音シュウインの怒声をよそに、彼はさっさと目を閉じて眠りに落ちてしまった。


 残された秋音シュウインは毛布の中でごろごろ転がりながら、ぷくっと頬を膨らませる。

 ――せっかく心配してあげたのに。

 ……あれ、そういえば私、肝心の「体調どう?」って聞き忘れてない?

 でも、どうせ古清霜コシンショウとの仲は深いんだ。

 毒を渡されたのは私だったのに、彼は自分で口にして中毒しても、相手を責めることも声を上げることもなかった。

 一方で「自分は美しいか」とか急に訊いてくるし……自分の美貌に酔いしれながら、古清霜コシンショウの美しさまで手に入れようとしている――

 ……ほんと、宮廷恋愛なんてやつはごめんだ!


 私はただ、話本に書かれているみたいな――

 甘くて、あったかくて、誰かがちゃんと「好きだよ」って笑ってくれる恋が欲しいだけなのに。


 翌朝。

 景澄ケイチョウは早々に出仕してしまい、侍女たちへ「妃殿下は昨夜の件で驚かれた。昼まで眠らせよ」と言いつけていた。

 その間、小青シャオチンはずっと控えの間で待機していた。


 秋音シュウインが目を覚ましたのは、すでに日が高く昇ったころだった。

 彼女は伸びをして、気の抜けた大あくびをひとつ。

「……いま、何時?」


「お嬢様、ようやくお目覚めですか!もうすぐ昼膳のお時間です!」

 小青が慌てて駆け寄り答える。


「えっ、うそ!後宮学堂が――!」

 秋音シュウインは慌てて布団をはねのける。


「ご安心ください。三皇子殿下が、今日は休講だと仰せでした。」


「……そっか。」

 ようやく息を整えた秋音シュウインは、小青シャオチンの手をぎゅっと握った。

「小青が戻ってきてくれて、ほんとにうれしい!」


「私もです!」小青シャオチンは頬を紅潮させて答える。「三皇子殿下は本当にお嬢様を大切にしておられます。わざわざ私を呼び戻し、侍女たちを預けて『お嬢様の命令だけ聞け』と……もう、心配事は何もないと!」


 秋音シュウインはぷいっと顔をそむける。

「……大切になんて、きっと大げさよ。ただ、私が実家に逃げ帰って恥をかかせないためでしょ。」


「そうでしょうか?」

 小青シャオチンは小首をかしげる。「私には、話本に出てくる美男子そのものに見えました。殿下も美しい。お嬢様も美しい。まさに天が結んだご縁――」


『無理やり恋愛認定!』

『いや普通にお似合いでしょ!』

『何が良縁だ、これはむしろ運命の悪縁だ!死ぬフラグw』


 秋音シュウインの頭上に、またもや〈流コメ〉が滝のように流れる。

 彼女は思わず睨み上げ、心の中で叫んだ。

 ――無理やり恋愛認定は分かる!悪縁でも別にいい!

 でも……「死ぬフラグ」って何!?誰が死ぬっていうのよ!?私!?それとも……殿景澄ケイチョウ


「お嬢様、またぼんやりして……何を考えておられるのですか?」

「……何でもないわ。とりあえず髪を整えてちょうだい。」


 小青シャオチンはまず温かい湯で柔らかな布を湿らせ、秋音シュウインのこめかみにかかった寝ぐせをそっと拭った。驚かせぬよう、ひたすら丁寧に。

 それから髪をほどけば、黒髪が滝のようにさらさらと肩へ流れ落ちる。

 小青は象牙の櫛を取り、毛先から少しずつ梳き上げた。引っかからぬように、痛ませぬように。


 秋音シュウインは頬にほのかな笑みを浮かべ、銅の鏡に映る自分の姿がますます艶やかになっていくのを眺めていた。


 やがて小青シャオチンの指先は器用に黒髪をまとめ、ふたつの小さな輪を描くように高く結い上げた。こめかみには可憐な飾りかんざしを挿し、揺れるたびに玉飾りが澄んだ音を響かせ、まるで朝の露がこぼれ落ちるようにきらめいた。


「……お嬢様、入宮してからずっと蘭の香りがしますね。」


 その一言に、秋音シュウインの顔は一瞬で真っ赤になった。

「そ、それは……景澄ケイチョウの匂いよ!」


 今度は小青の顔も真っ赤になる。頭に浮かんだのは――昨夜、二人がずっと抱き合っていたに違いないという、あらぬ想像。


「やっぱり……殿下とは仲睦まじいのですね……」

「……???ちょ、ちょっと待って!あなた今、絶対おかしなこと考えたでしょ!!」


 秋音シュウインの顔はさらに真っ赤になった。

 だがふと、実家で母が蘭を育てていたときに聞いた言葉を思い出す――蘭は清熱解毒の効能がある、と。

 はっとして彼女は立ち上がり、ぱっと戸を開けて駆け出した。


「お嬢様っ……お嬢様ぁ!」

 小青シャオチンが慌てて追いかける。


 長い回廊を行きつ戻りつしながら、秋音シュウインは声を張り上げた。

「二っ!二、いるの!?二っ!」


「……何事でしょうか、皇子妃殿下。」

 侍衛ジエイ・二が、気配もなく姿を現した。


「ねぇ二、景澄ケイチョウの体から漂うあの濃い蘭の香り……あれって、毒を抑えるためのものなの?」

「はい……ですが、それだけではございません。」


「どういう意味?」

「蘭には解毒の効能もありますが、さほど強くはありません。肝の気をめぐらせ、鬱を晴らし、咳をやわらげる作用がございます。」


「……じゃあ、やっぱり咳の持病があるってこと?」

 ――やっぱり病弱キャラ!?


「いいえ。我らが殿下は、ただ純粋に蘭を好まれるだけです。」


「…………え、じゃあ何でわざわざ遠回しに言ったの!?」

 秋音シュウインは心の中で全力ツッコミを入れる。

「とにかく――昨日、彼は私をかばって毒を受けたようなものだわ。……ねぇ二、蘭と甘草を少し探してきて。焚香にして、お礼をしたいの。」


「御意。」

 二は恭しく頭を下げ、闇に溶けるように姿を消した。


 午後の陽ざしは柔らかく、窓紙を透けて机の上に散った光は、星の瞬きのようにきらめいていた。

 秋音シュウインは水晶の壺にランを浮かべ、少しずつ湯を注いでは温め直す。その横で、甘草カンゾウを細かく摺り潰し、沈香ジンコウの膏を砕き合わせる。指先に香が染み込み、部屋いっぱいにやさしい匂いが広がっていった。


「本によると……干してから粉にして……それを固め直すのね!」

 彼女は書物を覗き込みながら、ひとりごとのように呟く。

小青シャオチン、ちょっと前髪が痒いの。押さえてくれない?」


 しかし返事はない。


「小青?ねぇ、お願い――」


 そのとき、足音が近づき、ひやりと冷えた指先が額に触れ、乱れた髪を掬い上げた。けれど、その手は離れず、髪を留めてくれる気配もない。


「……粉が目に入っちゃった。吹いて……」

 秋音シュウインは涙ぐんだ瞳を閉じ、子供のように素直に待ち受ける。


 次の瞬間、顎をやわらかく支えられ、もう一方の冷たい手が目もとを覆った。乱れた前髪を払い、まつ毛に落ちた粉を払う。かすかな吐息が瞼に触れ、指先が頬をなぞるようにして流れた涙を拭い去った。


 甘やかな蘭の香りに包まれ、秋音の胸はとくんと跳ねる。


「なっ……あなた!?」

 秋音シュウインは反射的に彼を押し退ける。


「戻ったら君が小青を呼んでいて……でも姿が見えなかったから、代わりに手を貸したんだ。」

 景澄ケイチョウは少し驚いた顔で、それでもどこか寂しげに笑った。


「なら、最初から『小青はいない』って言ってくれればいいのに……」


「そうか。じゃあ言うよ――小青はいない。」


 真顔で答える景澄に、秋音は思わずむっとする。

「……え?じゃあどこに行ったの?今朝までは一緒だったのに……」

 不安が胸をよぎり、秋音は急に真剣な顔で問い詰める。


「心配するな。すぐに人をやって探させる。」

 景澄はすぐに立ち上がり、軽やかに外へと歩み出ていった。


 三皇子ケイチョウの邸内では、侍女も侍衛も総出で小青シャオチンを探していた。

 そして――ついに皇后コウゴウのいる中宮チュウキュウから報せが届く。


「殿下。妃殿下の侍女だという小青シャオチンが、宮中で『お嬢様!お嬢様!』と大声で呼び回っていたそうです。規律を守らず、偶然ぶつかった妃嬪ヒヒン付きの嬤嬤ぼぼにも頭を下げなかったとか。しかも侍女名簿にも記録がなく……その妃嬪ヒヒン嬤嬤ぼぼが皇后様に訴え出た、とのことです。」


 その瞬間、秋音シュウインは椅子を蹴るようにして立ち上がり、駆け出した。


「待て、どこへ行く。」

 景澄ケイチョウが腕を取って引き留める。


小青シャオチンを助けに行くのよ!放して!」

「……勘違いするな。私は止めていない。」

 景澄ケイチョウは眉を寄せながらも、手を離さず言葉を続ける。

「ただ――お前は宮の道を知らぬ。迷えばかえって彼女を助けられんだろう。一緒に行く。私が案内する。」


 中宮チュウキュウ


「母上、ご機嫌麗しゅうございます。」

 景澄ケイチョウは両手を重ねて深々と一礼した。秋音シュウインも慌てて横に並び、裾を払って礼を取る。


「まあ、景澄ケイチョウがここに来るなんて珍しいこと。ふふ、今日は何の風の吹き回しかしら。」

 皇后コウゴウは口元を隠して笑った。


「母上、聞き及びました。秋音シュウインの侍女がこちらにいるとか。どうか大目に見て、連れ戻させていただけませんか。」

 景澄ケイチョウは丁寧に言葉を選びながらも、真剣な眼差しで頭を下げる。


「なるほどね。先ほど元妃ゲンヒが泣きついてきたのよ。『侍女の分際で嬤嬤ぼぼにぶつかり、口もきかず失礼を働いた』ってね。しかも侍女録にも載っていないとか。」

 皇后は楽しげに目を細めた。


 ――わざとらしい。小青シャオチンが私の侍女だって分かってるくせに、惚けてるだけじゃない!

 秋音シュウインは歯噛みしたが、ぐっと笑みを作って答える。

「母上、彼女は私の侍女です。入宮したばかりで――」


「黙りなさい!」

 皇后の声が鋭く響いた。「自分の侍女すら管束できぬとは、何たること。」


 秋音シュウインの手が震えた。その手を景澄ケイチョウが握りしめ、かすかに首を振る。


「母上、どうかお情けを。新婚の祝いに免じて、今回は咎めをお許しいただければ……私が必ず彼女を正しく戒めます。」


「本来ならこんなささいなことに私が口を出す必要もない。けれど妃が訴えてきた以上、放置もできぬわね。……六十杖づえ打ちの上、宮から追放といたしましょうか。」

 皇后はにこやかに立ち上がり、秋音シュウインへ歩み寄る。


「六十!?そんな――」

 思わず秋音シュウインは声を荒らげた。


「ほう。つまりお前は私を非道だと言うの?」

 皇后の目が冷たく光る。


 景澄ケイチョウ秋音シュウインの手を強く握り、彼女の言葉をかき消すように一礼した。

「母上、秋音シュウインは悪気なく口を滑らせただけ。彼女も、そして私もまだ未熟。どうか父上や尚書ショウショ大人とのご縁に免じて……」


「規矩なくして、円も方も成らぬ――規律を外れた者に、居場所はない。もし不満なら、父上に直訴すればいい。ただし、今日この場では処断する。」

 皇后は御座に戻り、茶を口にした。

「それに――学堂を休んで遊んでいた妃が、何を言えるのかしらね。」


 秋音シュウインは拳を握り締める。だが景澄ケイチョウがもう一度彼女の手を解き、首を振った。


「母上、どうか……私は本当に秋音を大切に思っております。どうか彼女を悲しませないでください。」


 景澄ケイチョウの必死の言葉に、皇后は唇を歪め、愉快げに囁いた。

「ふふ……面白い。では十杖で済ませましょう。」


 ――だが十回といえども、小青の細い体にはあまりに重い。

 二度叩かれただけで「お嬢様……お嬢様、助けて!」と泣き叫んだ。


 秋音シュウインの目に涙が滲む。景澄ケイチョウが彼女の手を必死に握り留めたが――

 彼女は彼の手を振りほどき、板刑の場へ飛び出した。


 四度目の杖は秋音シュウインの背に落ちた。驚いた役人たちは思わず手を止めた。景澄ケイチョウも駆け寄り、振り上げられた板をがしりと受け止める。


「不敬な!」

 皇后の声が雷のように響く。「続けなさい!」


 だが打ち手の兵は顔を青ざめさせ、景澄ケイチョウに向かって震える声で言った。

「三皇子殿下……どうかお許しくださいませ……」


 景澄ケイチョウ一瞬秋音シュウインを見、それから皇后を見据える。

 そして秋音シュウインを抱き寄せ、低く告げた。

「……母上。続けろ。」


 残り六度の杖は、すべて景澄ケイチョウの背に叩き込まれた。


 夜。

 三皇子の宮内では、侍衛ジエイ・二が頭を抱えながらも、三人を順に診て回っていた。

 秋音シュウイン小青シャオチンは主殿で、景澄ケイチョウは側室の間で薬を塗られている。


「お嬢様……ごめんなさい……わたしのせいで……」

 小青シャオチンは声を震わせて泣き出し、秋音シュウインは抱き寄せて優しく撫でる。

「違うわ、小青シャオチンのせいじゃない。私が一人で飛び出したから、あなたが迷ってしまったのよ。」


 そのやり取りを、側から景澄ケイチョウが冷ややかに口を挟んだ。

「……小青。これからは『お嬢様』ではなく、『皇子妃殿下』と呼べ。後宮では呼び方一つ、立ち居振る舞い一つが命取りになる。お前が間違えば、痛みを受けるのは秋音だ。」


 小青はすすり泣き、秋音は微笑んで涙を拭って「大丈夫よ」と頷く。やがて薬を塗り終えると、秋音は二に小青を託して下がらせた。


 主殿に静けさが戻る。景澄はしばし黙って小青の背を見送り――薬壺やっこを手に、ゆっくりと秋音のもとへ歩み寄った。


「……肌着を脱げ。薬を塗る。」

 景澄ケイチョウが低く告げる。


「だ、大丈夫。私は一度しか叩かれてないし……一番ひどかったのは景澄ケイチョウじゃない。」

 秋音シュウインはそう言いながら、涙をこぼして顔を上げた。

「……痛くないの?」


「痛くない。」

 景澄ケイチョウは淡々と答える。


「こんな小さなことで……そこまでしなくてもいいのに。」

 秋音シュウインは悔しさに声を詰まらせる。


「宮中に理は通じない。」


「でも……あなたが庇ってくれたのに、それでも手を止めないなんて。どうして……殿下まで打つの?」


 景澄ケイチョウはふっと笑みを浮かべた。

「……婚約の時もそうだっただろう。あの時も、代わりに板を受けたのは私だ。」

 そう言って彼は秋音の頬に触れ、涙を指先で拭った。

「――ほら。これ以上、小さな真珠をこぼすな。」


 秋音の胸が一瞬で跳ね上がる。

 彼は、彼女の涙を真珠と呼んだ。


景澄ケイチョウ……いい香り。蘭の香りね。蘭が好きなの?」


「……ああ。とても好きだ。」

 彼はかすかに笑みを浮かべて答えた。


「どうして?」

「……いいから。背を向けろ。服を少し下ろせ。背中に薬を塗る。ほかには何もしない。」


「……別に、誰もそんなこと疑ってないけど。」

「いい子だ。さ、背を向けろ。」


 秋音シュウインはおずおずと背を向け、肩口から肌着をわずかに滑らせた。


 白い肌に浮かぶ痣は紫色に変わり、痛々しい。

「……こんなに腫れているのに、まだ痛くないと言うのか。」

 景澄ケイチョウは薬匙に膏を取り、ひと塗りずつ慎重に広げていく。


 秋音シュウインは緊張と恥ずかしさで喉が詰まり、言葉もなくただ身じろぎした。

 背に触れる薬の冷たさが沁み、少し顔をしかめる。


 景澄ケイチョウは手を動かしながら、ふと遠くを見て淡い笑みを浮かべた。

「……蘭が好きなのはな。ある人に聞いたんだ――『母の庭に咲く蘭がいちばん美しい』って。彼女は蘭の香りが大好きで……抱いて眠る寝具しんぐまでも、その香りに染めたいと願っていた。」


 その笑みは秋日和の陽射しのようにやわらかく、秋音シュウインの胸を一瞬で満たしていく。

 心臓は激しく跳ね、耳の奥まで響くほど。

 息をするたび、空気は蘭の香りに染まり――それはまるで、深まる秋を彩る一面の蘭花の園に抱かれ、息さえ甘くなるようだった。


 ーーーーーー

 後書き:

 侍衛はもう4人登場しました!ちびキャラ風「七人の侍衛」デザインはこちら

 https://kakuyomu.jp/users/kuripumpkin/news/16818792440101232530


 それから――今日は更新がいつもより1時間以上遅くなっちゃいました~

 それは単純に「このエピソードを一気に語り切りたい!」と思って、二話分のボリュームをまとめて書いちゃったからです。

 そのぶん、きっともっと尊くて、もっと「カップル推し」しやすい回になったはず……どうぞ心ゆくまで尊みを味わいつつ、来週を迎えてくださいね〜💕

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