花屋
ツナん
花屋
私は花が苦手です
花の枯れゆく姿を、好きになれません
灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、頭のてっぺんからじりじり焼かれているような気分になる。この季節、学校から駅までのたった五分ですら汗が止まらない。やっぱり夏は苦手だ。いつもならこのまままっすぐ帰れるのに、今日は両親に頼まれた祖母のお見舞いに行かなければならない。
祖母が入院している病院は電車を二回乗り換えて、さらに最寄り駅から十分ほど歩いた場所にある。道のりは長いし、正直早く帰ってアイスを食べて涼みたい気分だ。それでも、今まで何かと理由をつけてお見舞いを先延ばしにしてきたツケが回ってきた今日は、さすがに断れなかった。
うちの家は二世帯住宅で、祖父母と私たち家族が一緒に暮らしている。とはいっても、キッチンもお風呂もトイレも二つずつあるから特に不便はない。時々、嫁姑問題が起きること以外特に問題なく暮らせていた。
二週間前、祖母が突然倒れて救急車で運ばれた。はじめは、もう歩くのは難しいかもしれないと医者に言われたけれど、祖母は驚異の生命力で回復し、杖を使ってなんとか歩けるまでになった。ただ、料理をしたり庭いじりをしたりする元気はまだ戻っておらず、今はリハビリ専門の病院にいる。三ヶ月後に退院の予定を控えているけれど、祖母は老人ホームに入るつもりなど毛頭ないらしく、家に戻る気満々らしい。
もちろん、元気になって戻ってきてくれることは喜ばしい。ただ、家に戻ってきても以前のように何でも自分でできるわけじゃない。料理も掃除も、祖母がこだわっていた庭の手入れも、全部誰かが代わりにやることになる。その「誰か」は、たいてい母だ。母はフルタイムで働いているし、もともと祖母とはよく衝突していたから、祖母の介護をすることを良く思っていない。祖母が退院する前から、すでに母のストレスゲージは限界寸前だ。
私は病院へ行く前に、祖母へ花を持って行こうと、近くの花屋に立ち寄った。初めて訪れる花屋だったが、店内はそれほど広くなく、壁が見えないほど一面花で埋め尽くされていた。床も最低限の足場しか残されておらず、そこも花でいっぱいだ。さらに驚いたのは、想像以上に値段が高かったことだ。この値段なら好きな漫画を二冊も買えるではないか。種類も豊富すぎて、何を選べばいいのかさっぱり分からない。
私がしばらく迷っていると、店の奥からエプロンをつけた美人なおばさんが出てきて、声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?」
「お見舞いに持って行く花を探してるんです。祖母に。できれば、二千円くらいでお願いしたいんですけど、ありますか?」
「こちらのアレンジメントなんてどうかしら。どこにでも置きやすいサイズだから、おすすめですよ。」
おばさんはすぐに色々な種類の花が詰め込まれた小さなカゴを持ってきてそう言った。
「じゃあ、それにします。」
おばさんが花を包装しながら何気なく話しかけてきた。
「この種類のヒマワリは、この時期とても綺麗なんですよ。お花は好きですか?」
「え~と……花はあんまり好きじゃないんです。」
言ってからしまったと思った。花屋さんに花が好きじゃないなんて、気分を害してしまったかもしれない。おばさんも好きじゃないなんて返答は予想してなかっただろう。そんな私の考えと裏腹におばさんは微笑んだまま、やわらかく言った。
「そうなのね。理由を聞いてもいいかしら?」
「咲いてるときは確かに綺麗だなって思うんですけど……花ってすぐに枯れてしまうじゃないですか。綺麗なのはほんの一瞬で、枯れていく姿を見ると、わざわざ育てようと思えなくて。」
おばさんの反応をうかがう。
「たしかにね。花が枯れていくのを見るのは寂しいものよね。私も、あまり好きではないわ。でも、それが花の良さでもあると思うのよね。」
包装の手を動かしながら、おばさんは続ける。
「花が一番綺麗に咲くその瞬間のために、私たちが大切に育ててあげる。枯れてきた花びらは丁寧に取り除いて、種ができるまで見守って、また次の花の命につなげていくの。お花のお世話も案外、楽しいものよ。」
そう言って、おばさんは花を手渡してくれた。
「お祖母様、よくなるといいわね。」
「ありがとうございます。」
私は会計を済ませて、花屋を後にした。
それから私は、週に二回お見舞いに行くことになった。私がはじめてお見舞いに行った日、祖母がものすごく喜んで両親に電話をかけたそうだ。私が夏休みに入り、両親が共働きで頻繁に病院に通えないなめ私がお見舞いに行くことになった。
祖母が喜んでくれたのはいいけれど、週に二回のお見舞いがもはや義務のようになったのは正直うれしくない。
「女子高生の夏休みは忙しいんだ。」
そう言ってやりたい気持ちは山々だったが、多忙な両親にそんなことを言える訳もなく、なんだかんだ引き受けてしまった。
祖母がアレンジメントの花をすごく喜んでいたので、それ以来、いつも花屋に寄ってから花と祖母に頼まれた物を持ってお見舞いに行っている。花屋のおばさんとは、顔を合わせるたびによく話すようになった。
「好きな人はまだいないの?」
「夏休みはいつ終わるの?」
「最近若い子の間で流行ってるお菓子ってなに?」
……他愛のない話ばかりだけど、そういうのが、なんとなく心地よかった。
おばさんはすごく穏やかで、いつも小綺麗な格好をしている。このあいだ話をしていたとき、四十歳くらいかと思っていたら、実は五十代半ばと聞いて驚いた。
はじめて花屋を訪れてから、二ヶ月ほど経った日のこと。
「今日もいつものでお願いします」
いつものように注文を伝えると、おばさんがふと顔を上げてきいた。
「お祖母様、いままでどのお花を一番好んでたかしら?」
私は祖母の反応を思い出しながら答える。
「ダリアとか、トルコキキョウみたいな華やかな花が好きみたいです。あと、香りが強いのはあんまり喜んでませんでした。」
「じゃあ、ダリアとケイトウを包むわね。ちゃんとお祖母様の好みを知ってるのね。」
おばさんは、ふふふと微笑んだ。
「お見舞いする度に一時間も話していたら、嫌でも知れますよ。老人の話って長くて、同じことを何度も言うんで退屈なんです。」
「でも、定期的にお見舞いに来てくれるお孫さんがいて、お祖母様もすごく喜ぶでしょう。」
「まぁ、毎回喜びますけど、私、親に行けって言われて来てるだけなんで。自分で来たくて来てるんじゃないんですよ。」
「そう。でもね、どうであれお見舞いに来てることに価値があるのよ。あなたはいい子ね。」
「いい子なんかじゃないです。祖母、自分で自分のこともできなくて、私たち家族にまで迷惑かけてるのに、謝ったり感謝も滅多にしないし。早く老人ホームに行ってほしいって、思うこともしょっちゅうあるんです。」
おばさんは花の茎を切りながら黙って話を聞いてくれる。
「この間なんて、夢に死んだ妹が出てきて、三途の川に連れていかれそうになった、なんて話してて。生に執着する祖母を見てると、私は歳とって他人に迷惑かけてまで生きたくないなって思うんです。自己中心的な祖母が、好きじゃないんです。」
おばさんは少しだけ黙って、それから落ち着いた声で言った。
「そう。どんなことを考えていたって、お見舞いに行ってお祖母様の話を聞いてあげてるあなたは、良いお孫さんよ。」
私はなにも言わなかった。おばさんは、少しだけ視線を下に落として続けた。
「ちょっとだけ、余計な話をするわね。全然聞き流してもらって構わないわ。」
「私はね、人間って人に迷惑をかけながら生きていくものだと思うの。生まれた瞬間から死ぬ瞬間までね。赤ちゃんの頃、誰かにお尻を拭いてもらったところから、気づかないかもしれないけれどずっと誰かの手を借りながら迷惑をかけて生きてるのよ。もちろん、逆も然り。相手は気づかないかもしれないけれど、迷惑をかけられながら、自分の手を貸しながら生きていく。人間ひとりで生きていくのが難しいって、こういうことだと思うのよ。知らないうちに人に迷惑をかけてるの。」
おばさんは言葉を区切り、少しだけ遠くを見るような目をした。
「私みたいに人生も折り返し地点になってくるとね、だんだん『死』ってのを考えるようになるの。あなたはまだ若いから、こんなこと考えなくて当然だと思うわ。私も若い頃は考えてなかったもの。もっとあっさり死を受け入れられると思ってたけど、やっぱり怖いのよ。考えれば考えるほど、生きたいって思うの。一日一日、歳をとって『死』に近づくのが怖くなる。でも、いつか必ず訪れるものよね。だから今から少しずつ、心の準備をしてるの。だからね、私は強く生きたいって思うお祖母様はとても人間らしくて、自分の心に素直な人だと思うわ。長々とごめんなさいね。はい、今日のお花。」
おばさんは笑顔で花束を差し出した。
「あり、がとうございます。」
私はおばさんから花束を受け取ると、早々に代金を払い、店を後にした。
その日は、病院には行かなかった。
家に帰り、持ち帰った花をこっそり自分の部屋の机の上に置いた。花が視界に入るたび、おばさんの話が頭をよぎり、なかなか消えなかった。
それからしばらくの間、花屋には寄らずに祖母のお見舞いだけに通った。祖母は花がないことを残念そうにしていたけれど、あの花屋にまた行くのは気まずくて、足が遠のいていた。
あの日持ち帰った花は、まだ机の上に置いたままだった。
あれから1ヶ月。ついに祖母が退院する日になった。私は今、あの花屋の前に立っている。気づけば、もう十分ほどただ立ち尽くしていた。両親から退院祝いの花束を買うよう頼まれたのだ。
「お見舞いのときに買っていた花を祖母がすごく喜んでいたから」
そう言って、いくらかのお金も手渡された。
正直、少し気が重かった。別の花屋にすることも考えたけれど、いちばん祖母の好みにぴったり合った花束を作れるのはここだけだと思った。私は意を決して、店の中に足を踏み入れた。
「すみません、花束を二つお願いします。」
いつも通りの声でそう言うと、奥からおばさんが顔を出した。少し驚いた様子で顔を上げる。
「まあ、久しぶりね。今日は花束なの?」
おばさんは変わらずにこやかに応対してくれる。
「はい。祖母が退院したので、そのお祝いにお願いしたくて。」
「それはおめでたいことね。素敵なものを用意しましょう。二つともお祝い用でいいかしら?」
「そ、そのうちの一つは、私用に包んでください。」
おばさんは少し驚いた顔をした。
「ふふ、わかったわ。あなたにもぴったりの、とびきり素敵な花束を用意するわね。」
「ありがとうございます。」
少し照れくさかった。
私はおばさんから花束を受け取り、外に出た。
一つは祖母へ、もう一つは私のため。
手の中の花は不思議と温もりを帯びていて、穏やかな気持ちが心を満たしていた。
私は、枯れゆくものを愛せる人になりたい
花屋 ツナん @tunan
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