化物に追われる

 なんとか必死こいて俺は病院から外に出た。

 人が居ないこの状況下で、無暗に外に出るなと危なっかしい事この上無いのだが、病院に何時までも閉じこもっていても何の解決にもならないし、何よりも……。


「飯、を喰わねば……死んで、しまう」


 そう、目が覚めてから、異様に空腹が激しくなっていたのだ。

 さながら、年季の入ったバッテリーの様に、スマホの充電の%が毎秒1%ずつ減っている様な感覚。

 そして、0%になれば、今度こそ俺は餓死してしまう。

 とにかく飯だ、胃袋に何か詰め込めればそれで良い、空腹の状態で急に飯を蝕すると胃袋がビックリして吐き出したり、最悪死んでしまう事もあるらしいが、そんな事を考える暇もなく、飯があれば胃袋に入れたい気分、だったのだが。


 駐車場へと出た時、俺は遠くから聞こえて来る微かな息遣いに思わず喉を鳴らした。

 何かが此方に迫って来ている、そう思った時、俺は音のする方に振り向いてみた。

 そして……俺は、人が居なくなった世界ではどうなってしまうのか、と言う世界終末の話を思い出していた。


 人が急に、全人類が居なくなってしまった場合、インフラの維持は難しくなり、数十年も経てばアスファルトの隙間から生命力の強い草木が生え始め、建築物に張り巡らされる。

 そして、動物はヒエラルキーの頂点が居なくなった事で、新たな肉食動物たちが大頭し、新たな支配者が誕生する。

 結果、人が居た都市には餌を探し求めて、多くの生物が増え続けるのだ。


「ッ、ひ、け、獣……ッ」


 そして、俺の背後には、大きな獣が居た。

 それも、ただの獣では無い、大きさは大型バイクと同等であり、その毛は青色、瞳がギラギラと血走っており、狼の様な姿をしている。

 その牙と爪は太く鋭く、人間の肉など容易に粉微塵にしてしまうだろう。

 此方を見て大きく唸り声を上げながら接近していると言う事は、少なくとも俺の事を餌として認識している様子だった。


「ぐるるるるッ!」


 喉奥から唸り声。

 その音を聞くだけでも思わず背筋が凍り付く。

 まさか、建物から出て数十秒で獣に襲われるなど……俺の頭は何処までも平和ボケしていると、痛感してしまった。

 ……なんて考えている場合じゃないだろッ!!危険な状況ならそれ相応の対応をしろって話だ!!


「く、そ、そうだ、火、獣には火が苦手だった、筈ッ」


 俺は懐から燐寸を取り出そうとした。

 火を擦って、燃え盛る炎を前にすれば、獣も恐怖で逃げ出すんじゃなかろうか。

 文明の利器こそ、人類が遺した最大限の力、俺の脳裏は兎に角、マッチを取り出す事だけに専念していたが……そもそも、指先一つ程度の大きさしか燃える事の出来ないマッチの火で、一体どうやって、この獣を追い払おうと言うのだろうか。


 そんな、当たり前の事すら俺は失念していて、マッチを取り出したけど、火を点けようと箱を開けて、自分の体が鈍っていた事を思い出す。


「あ、ま、まっちがッ」


 焦りも相まって、手から零れ落ちる多数のマッチ棒。

 俺はそれを拾おうと屈んだ時、手足に力が入らず、俺は倒れてしまう。


「がうッ!がううううッ!!」


 俺が前のめりに倒れた時、此方へと迫って来る獣が大量の唾液を分泌しながら接近して来た。

 このまま逃げるのが正解か、マッチ棒を拾ってマッチに火を点すのが正解か。

 その瞬間の俺にとってはどちらが正解であるかなど分からなかった。

 ただ、獣の牙が目前にまで迫った時、俺の脳裏に過るのは死、と言う言葉だけだった。


「あ―――」


 咬まれた。

 頭部を簡単に噛み砕く程の大きな牙で。

 俺の頭部は簡単に喰い千切られる、あぁ、こんな簡単に死んでしまうんだなぁ。

 脳裏に過る様々な料理の数々、これが俺の走馬燈か、色々、美味いモノを食べて来たんだなぁ。


 ああ―――もっと、珍味を、美味を、食い尽くしてやりたかった。


 ……此処までが俺の走馬燈だった。

 思い切り目を瞑り、獣を前に防御も回避すら出来ずに喰われかけた俺だったのだが。

 何時まで経っても、激痛も死も訪れず、ただ目を瞑るだけ、おや、おかしいぞ?いつまで待っても牙が俺の顔面を喰い千切らないな、そう思い目を開けた時だった。


「な、あ?」


 俺の前には、巨大な刃があった。

 目の前の獣を突き刺す大きな太刀、いや……それは刃と言うには何処か見た事のある、ざらざらとしていて、様々な箇所に突起が膨れ上がっている。


「……ぁ」


 ぐぅぅぅ、と、俺はその刃を見て唾液が滴る。

 頭の中で思い出すのは、沢山の甲殻類である。

 特に上海で食べたあの上海蟹は美味かったなあ……甲羅を外したら黄色の蟹卵が濃厚で舌に蕩ける様な味わい、身も小ぶりながら甘味があって、……考えただけでもまた食べたくなってしまう。


「……っと、ッ」


 いやいや、そんな事を考えている暇なんてない。

 とにかく、俺がその刃を見た時に上海蟹を思い出したのはそれが原因だ、その刃は何処かで見た事があると思えば、甲殻類の鋏に似ていたのだ。

 青色の毛並みを生やす狼が倒れた時、俺はゆっくりと後ろを振り向いた。


「―――ッ、ひぃい!!」


 其処で俺が見たのは、青色の甲殻に身を包んだ人型の化物だった。

 その体に生えている装甲が如き重厚な殻に覆われている化物の片腕は、前腕が刃となっていて、其処から先端へと近くなる度に刀身が細くなっていく。


 それは、武者が使役する様な大太刀の様であった。

 狼から手元の刀を引き抜くと、俺は体を這いずり回る様に動き、その化物から離れようとする。


「こ、こんな所、で、死んで堪るか……」


 俺は必死になってその場から離れようとする、だが、身体は先程も言った様に力が出ない様子で、どれ程動こうが体が限界を発していて、俺は這い蹲っても動き回る事が出来なかった。


「め、し……」


 あぁ……なんでも良いから食べたい。

 俺は餓死して死んでしまうのだろう。

 こんな時、俺は死ぬ直前になって後悔を浮かべた。

 小学生の頃、何故俺はあの時、母親が作ったハンバーグのソースを皿が綺麗になるまで舐め回さなかったのだろう。

 中学生の頃、学校の帰り道で寄り道してでも、あの肉屋が揚げたコロッケを買わなかったのだろう。

 高校生の頃、期間限定のお菓子や弁当を買わなかったのだろう。


 ……脳裏に過るのは、食事の事ばかり。

 あの時食べておけば、こうして後悔を遺さずに死ねたと言うのに。


「ぁぁ……腹、減ったなぁ……」


 そうして、俺は眩暈によってそのまま気絶した。

 体力は最初から限界だったのだ、俺はこのまま死んでしまっても仕方が無いだろう。


 だが……俺の食い意地は、ただでは終わらなかった。

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