Haphazard Fantasy ~AIエイルの不思議な冒険~

加藤大樹

第一章 大穴の試練

第1話 少年の剣

 村に朝霧が残るうちに、僕は父さんの小屋へ駆け込んだ。扉を開けると、研ぎ台の上に一本の剣が横たわっている。細身の刃は淡い光を帯び、柄には翠色の石が埋め込まれていた。僕の瞳と同じ色だ。


「十一歳、おめでとう」


 父さん――ロドルフ・ノルデンが、少し柔らかな声で言った。大人の仲間入りだと告げ、剣を両手で持ち上げて僕に差し出す。金属の冷たさと重みが腕に伝わり、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「見てて、父さん。僕だって、もう大人なんだから」


 口にした瞬間、頬が赤く染まった。けれど父さんは笑わず、鞘を握る僕の手を包み込んで言う。


「エイル。剣は人を守るためのものだ。忘れるな」


 さらに父さんは、狩りに備えて槍と弓矢を手渡した。革の胸当て、背の弓、腰の狩猟槍。矢筒を背負った自分が、ほんの少し背伸びをしたように思える。


「今日は初めての狩りだ。気を引き締めろ」


 その言葉に、心臓が大きく跳ねた。


 森へ続く小道で、もう一人の足音が追いついてくる。


「おい、走るな。転ぶぞ」


 ヴェルダン・スタールだ。僕より背が高く、落ち着いているくせに、僕が無茶をすれば必ず隣にいる。


「今日は父さんと狩りだ。初仕事、見せてやる」


「俺は付き添い。暴走したら止める役だ」


 むっとして剣の柄を握り直す。けれど胸の内は妙に軽かった。ヴェルダンは、僕が子どもじゃないと証明したいときでも、必ず隣に立ってくれる。


 森は鳥の声に満ち、葉の隙間から光が踊る。父さんは折れた枝と獣の足跡を示し、鹿の群れが近いと合図した。


「落ち着け」ヴェルダンが囁く。「呼吸を合わせろ」


 僕はうなずき、矢筒の重みを感じながら、そっと前に出る。


 そのときだった。森の奥から低い唸りが響き、足元の地面がかすかに震えた。進む先の茂みが裂け、黒ずんだ土が崩れ落ちる。


「……穴だ」父さんが険しい顔で言う。


 裂け目の底から、赤黒い霧がじわりと立ちのぼった。右目の奥がちかちかと疼き、黒い炎が走ったように感じる。


「下がれ、エイル!」父さんが声を張った。ヴェルダンも腕を引く。


 その瞬間、霧の奥から声がした。


 ――来い、と。


 どうにかその場を離れ、村へ戻る道すがら、父さんは険しい顔のまま口を閉ざしていた。


「この土地には古い穴がある。昔、赤黒い霧が人を喰ったと聞いた。決して近づくな」


 僕は唇をかみしめる。だが、胸の奥で何かがざわつき続けていた。


 夕暮れ、家の戸口に母さんの明かりが灯る。妹のリーセを抱き上げ、あたたかさに一息つく。それでも霧の気配は、靴の裏にまとわりついて離れなかった。


 ヴェルダンは門のところで手を振る。「明日も鍛錬だぞ」


「うん。僕はもう――」


 言いかけて、飲み込む。


 夜、寝台に横たわる。耳の奥で声が囁いた。


 ――来い、と。


 毛布を握りしめ、僕は決意する。


 ――明日、必ず行く。守るために。確かめるために。そして帰るために。


 窓の外で風鈴が鳴った。僕は特別な剣の鞘に触れる。冷たさは、不安を切り裂く刃の予感だ。弓も槍も矢筒も揃っている。父さんには言えない。けれど一人では行かない。ヴェルダンを――僕の隣に立つ勇気を、必ず連れていく。


 夜の底で、赤黒い霧が笑った。やがて夜明けが訪れる。僕たちの冒険も、そこで始まる。

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